2015年11月23日月曜日

テロの温床を作り出したのは欧米



空爆されたシリア

パリのアラブ人街にて

パリに足を伸ばしたとき、私には一度は必ず出かける場所がある。そこはベルヴィルという地区で、昔は貧しい労働者たちが暮らすパリの場末の町だった。

ルネ・クレール監督の映画『天井桟敷の人びと』の舞台になったのもこのあたりで、映画のなかでは貧しかった娘が金持ちの家に嫁ぎ、豪邸のベランダに立って遠くにかすむ労働者の町の灯をみながら、あの暮らしの方が人間的だったと振り返るシーンがある。

私がこの地区に出かけるようになったのは35年ほど前で、その頃はアラブ人街になっていた。フランスは主として1960年代に労働者不足を解消するために外国人労働者を呼び寄せた。彼らはフランスの底辺の労働をにない、パリの最下層の町で暮らすようになった。いまにも崩れ落ちそうな3階建てくらいの古い建物が並ぶ場所だった。

だがここでのアラブ人たちの暮らしは長くはつづかなかった。1980年代に入るとパリ市は建物を問答無用で破壊し、再開発をはじめたのである。旧住民は再開発後のアパートに優先的には入れることにはなっていたが、その家賃は高く、ほとんどのアラブ人はこの地区から追放されてしまった。
彼らはパリ郊外の安いアパートを探した。しかしそこで待っていたのは差別であり、ときに右翼の襲撃だった。殺された人たちも何人もいる。

さらに過酷な状況下におかれていたのは、パリで生まれた二世の人たちで、彼らが仕事を探す頃にはかつての高度成長も終わり失業者が増えていて、仕事を探すことも容易ではなくなっていた。
フランス政府はフランス語を話し、フランスの価値観を受け入れることを要求し、しかしそうしたところで最下層の生活から抜け出る道も、差別や迫害から解放されることも保証されてはいなかった。
だか、にもかかわらず彼らにとっては「祖国」はフランスなのである。両親が生まれた国は行ったこともない場所だし、アラビア語も話せない。しかしその「祖国」は自分たちを追い詰めるばかりで、人間的に扱ってはくれない。結局どこにも生きる場は存在しないのである。

アラブ人たちがこの地区から追放されてからは、私は日曜日にベルヴィル地区に行くようになった。日曜日になると郊外に散ったアラブ人たちが集まってくる。知り合いをみつけると路上で立ち話をし、旧交を温める。そんな雰囲気をみていると、私は一瞬だけいまのパリの町を覆っている慌ただしさを忘れることができた。

このアラブ人たちにとっては、自分たちの存在を解放してくれるものはイスラムでしかなかった。イスラム教徒としての誇りだけが、彼らを人間的世界に引き戻す。それが多くのアラブ人たちの現実である。

英仏が犯したふたつの誤り

フランスやイギリスなどのヨーロッパ諸国は、歴史的にみるとイスラム地域に対してふたつの大きな誤りを犯している。ひとつは植民地の分割、もうひとつは戦後の移民政策である。

もともと明確な国境をもたずに、イスラム教で結ばれていた地域を植民地として分割し、後に都合のいい王朝を擁立したこともある。それがいまの国境になっているのだが、アラブ諸国では植民地化された時代の精算がまだ終わっていない。だからこの問題を解決しようという提案が、イスラム世界では「正義」として通用する。

もうひとつの誤りは戦後の移民政策である。労働力不足への対策として呼び寄せ、都合のいい底辺労働力として利用しつづけようとした。

さらにフランスをみれば、フランス的普遍主義が問題を悪化させた。フランスの近代の理念にこそ普遍的な価値があり、それに同化する人たちのみがフランスで暮らすことができるという発想は、現実には、同化しても仕事もみつからない人たちを生みだし、イスラムにアイデンティティを求める人びとをつくりだすことになったのである。

アラブ人にとってのこの不条理と植民地による分割が精算されていないという不条理は、容易にひとつのものとして結びつく。なぜならどちらもがヨーロッパ的横暴でしかないからである。
あたかも自分たちが世界を支配してよいのだとでもいうような横暴が、このふたつの現実をも生みだした、少なくともイスラム教徒の側からはそのように思えてくる。

そしてそれはイスラエル問題でも同じなのである。ナチスドイツがユダヤ人を虐殺し、その精算をイスラエルの建国によって実現しようとした。しかしそれはイスラムの側からみれば、パレスチナの地に突然イスラエルが建国され、パレスチナ人は自分たちの地を奪われたにすぎない。
欧米的都合の前では、イスラム世界は欧米諸国が処分してもかまわない場所として扱われてきたのである。

欧米社会は「普遍的価値」を問い直せるか

もちろん今回のようなテロがいいわけではない。だがテロを非難するだけでは何も解決しないのである。

テロリストを生みだしていく温床をつくりだしたのは欧米であり、そのことを解決しようという姿勢がないかぎり、欧米社会とその同調国に対する攻撃はさまざまなかたちで繰り返されることになるだろう。

だがいまの欧米社会にこの問題を解決する能力があるとは思えない。欧米的価値観に普遍的価値があると思っているかぎり、そこからくり出されてくる政策はイスラム社会の人びとにとっては傲慢なものでしかないにもかかわらず、「普遍的価値」の問い直しはこの価値によってつくられている欧米社会を崩壊させるからである。にもかかわらずそこに踏み込む能力は、いまの欧米社会にはないだろう。

世界にはさまざまな文化や文明、価値観があってよい。問題解決の出発点はそのことを率直に認めることにある。

そして、もしもそのことを認めるのなら、世界を自分たちの価値観で分割支配しようとした植民地政策に対する反省も、自分たちの都合で呼び寄せ、自分たちの文化に同化することを迫った移民政策を反省することも必要だろう。自分たちの都合でイスラエルをつくった政策も、である。
その上でどんな世界をつくるのかを提示しないかぎり、テロの温床は再生産されつづけることになるだろう。

フランスの外国人労働者の二世、三世が貧しさから抜け出せない、そればかりか経済環境の悪化のなかでますます追い詰められていくから、その不満がテロリストを生んでいくという解釈では十分なものではない。

追い詰められた現実と、欧米的価値観、未だに精算できない植民地時代の後遺症、イスラエル・パレスチナ問題などがひとつながりのものだという感覚が、それらからの「解放」をめざす英雄主義を生みだしているのである。その英雄主義がテロリストを生産していく。

根強く残る差別

まだベルヴィル地区にたくさんのアラブ人たちが暮らしていた頃、パリで知り合ったフランス人たちは私に「行かないように」と忠告してくれたものだった。危険地帯だということである。アラブ人の多いところは危険地帯だとみなされていたのである。

私の経験からいえば、そんなことは全くなかった。むしろ観光客のよく行くところの方が、泥棒などが集まっていて危険なくらいだ。

ベルヴィル地区で私が困ったことといえば、「日本人」をみつけた子どもたちがうれしそうな顔をして走ってきて「空手を教えて」とせがまれたことくらいだった。

「日本人だからといってみんな空手ができるわけではない」と言っても、「そんなはずはない」と許してくれない。そのうち大人のアラブ人が近づいてきて子どもたちをたしなめてくれる。
おそらくこんな穏やかな景色のなかから、テロリストたちも生みだされていったのである。
現代ビジネスより

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