2010年9月26日日曜日

韓国平和ツァー-4

(2)西大門刑務所歴史館


「西大門刑務所歴史館」は漢民族が、日本帝国主義による強制占領という痛みを抱えてきました。この時期は民族のプライドが傷つけられ、民族自らの発展が中断されるなど、苦難の歴史であった。それにもかかわらず、我々は歴史的な現実に屈したり、妥協したりせず、民族の独立に向ける闘争の歴史があり、そのおかげで今の私たちが存在し得ているのです。西大門刑務所歴史館はこのような歴史を引き継ぐ為の教育の場として開館しました。明日を担う若者たちはもちろん全国民が、国の為に命を捧げた烈士たちの志を偲び、屈辱的な過去の歴史を克服するために、国を愛し民族を愛する志を学ぶ場とななるように整備中でした。

↓女性専用の刑務所
 また、発掘途中でその発掘が終われば、西大門刑務所の全容が明らかになると思います。

西大門刑務所の沿革

1908年10月21日 京城監獄として新築

1912年9月3日  西大門監獄として名称変更

1923年5月5日  西大門刑務所と名称変更

1945年12月21日 ソウル刑務所として名称変更

1961年12月23日 ソウル教導所と名称変更

1967年7月7日 ソウル拘置所として名称変更

1987年11月15日 西大門拘置所が京畿道義旺市に移転

1998年11月5日  西大門刑務所歴史館開館

 

終戦後も西大門刑務所は韓国政府により刑務所としての機能を有していました。当時は、軍事独裁の時代でもあり、北朝鮮との軍事的対立などもあり、軍事体制に反対する国民を投獄するための刑務所になっていたようでした。

ベトナム珍道中-3


ベトナム3日目、今日も朝、6時過ぎに起床、ホテルの朝食を頂きに2階食堂へ、色々な国から来ている人たちと一緒に、昼食をいただく。メインはフランスパンを主食におかずは適当に皿にのせ、いただきました。朝食後は、シンカフェまで徒歩で行き、ワンデーのメコンツァーの予約をする。料金は一人20万ドン、日本円で1090円です。バス代、昼食代、ガイド代でその値段です。8時30分発ですが、実際には、9時10分に出発になりました。大体が大雑把なお国柄みたいで、日本のように時間どうりには来ないと思った方がいいと言われました。バスで3時間余り、写真の港に着きここから、舟に乗りメコン川を遊覧する事になります。大きな大河なので、本流なのか支流なのか素人には分りません。中州の中に在る食堂で、昼食をいただいたり、売店などもあり、メコン川のツァーを楽しみました。つづく

MIXIに掲載していた日記を掲載

MIXIに掲載していた過去の日記を再度、「ぼちぼち やろか」に掲載しています。年月日が違うのでそこは、ご勘弁の程宜しくお願いします。MIXIでは写真が掲載できないエラーが出てしまい、せっかく取った写真を掲載したいので、こちらのホームページに乗り換え?しました。MIXIにも掲載はしていきますが、Bloggerにも掲載していきます。「ぼちぼち やろか」が主になるかも知れません。
今日は、一日パソコンの前に座り、ブログを書いています。
いつも相談に乗っている青年から電話がありました。今日、ようやくホームヘルパー2級を取得したという電話でした。まだ、仕事が見つかっていなく10月に入れば、就活を再開するとの事。いい仕事が見つかればいいのですが、今は厳しい就職状況です。その父親も自己退職をされ、今は失業中との事、私も失業の経験があり、自己嫌悪になったりしたときもありましたが、京都でホームレス関係の仕事をしたり、今は障がい者の雇用の仕事に就いていますが、施設で仕事をしていた時に比べると身体の方がついて来ない時がありますが、歯を食いしばり仕事をしている状態です。色々考えても結果は分りません。なるようになる「ぼちぼち やろか」という気持ちで毎日の生活をやるしかないと考えています。

ホームレスの仕事

前の職場を退職してから、2009年10月から京都の方で仕事をしています。一応、法人の格の職場ですが、100年に一度の恐慌の嵐の中、派遣切り、契約切り、ホームレスの人たちを救済する仕事です。生活保護を受給してホームにこられます。ここを足場に仕事探しや体の治療などをしながら社会復帰していくのですが、来る人は海千山千の人ばかりで、一筋縄ではいかない人ばかりです。一番最悪なケースは、生活保護費を受給したその日に、いなくなってしまう人や、利用料を滞納している人など、運営は火の車です。そんな人ばかりでもなく真面目に仕事を探し居宅を確保して、退所される人もいます。今は精神疾患の人が多くなってきています。知的障害者、統合失調症、人格障害者等々、社会福祉の谷間に挟まり行くところがないという人がとりあえず、来ているという感じです。京都府や京都市からの財政的な援助は一円も出ていません。入所者の生活保護費から運営費をいただいているという、施設です。本来ならば行政責任なのに民間に丸投げといった感じは否めません。行政からの財政的な援助がなければとうていやっていけるところではないと思います。よく赤旗などでそのような悪徳業者の記事などが出たすると、なんかやるせないような、気持ちになります。いつまで続けられるか分かりませんが、続けられるまでは続けたいと思いますが、次の仕事が見つかれば退職することも念頭に置いています。

韓国平和ツァー-3

第3館では、「国を守る」日本帝国主義から国を取り戻すため、韓国の愛国烈士が行った義兵運動や愛国啓蒙運動、国債補償運動など多方面で行われた解放運動が体系的に展示されています。 第4館は、「同胞の叫び」1919年3月1日、韓国民族が日本帝国主義からの独立を勝ち取ろうとする野望と力量を全世界に「韓国三・一独立運動」が展示されています。 第5館は、「国を取り戻す」日本帝国主義との武装独立運動における、韓国独立運動家による民主独立軍の中国での活躍ぶりと、大韓民国臨時政府が1940年9月に創設した韓国光復軍、日本帝国主義植民地時代の義烈活動などが展示されています。 第6館は、「新しい国づくり」海外で樹立された大韓民国臨時政府の活動や国内外の知識人が中心になって行った民族文化守護運動、光州学生独立運動、農民、労働者などのような民衆の独立運動関連資料、模型が展示されています。   第7館は、1919年3月1日、日本帝国主義の植民地統治を否定し、韓国の絶対独立を主張した3・1独立運動の結果として樹立された大韓民国臨時政府の活動をメインに展示されています。 時間の関係ですべての展示館を見ることは出来ませんでしたが、日本が韓国を植民地化したときに、行った非人間的な行為が見学することが出来ました。戦争の愚かさとともに、そのような状況に追い込まれたときには、人間の理性的な感覚がなくなるのだと思いました。

韓国平和ツァー-2

韓国の釜山空港に着き、その日は市内観光をしました。釜山タワーに上り、釜山の街がきれいに見えました。夕方には安い露店の店で安い韓国料理を堪能しました。翌日は、釜山駅からKTX(高速鉄道))の乗車しました。日本の新幹線より一回り小さな車両ですが、乗車料金は日本円で約3000円程度でした。その金額が高いのか安いのか分かりませんが、発車時間前には、席はほとんどうまっていまいた。 KTXで約1時間40分ほど乗車し、最初の見学先である「独立記念館」へ向かいました。駅からはタクシー40分程度で着くことが出来ました。 広大な敷地に「独立記念館」はあり、家族連れやアベックがいたり、学校の社会見学で小学生が来たりしていました。 「独立記念館」は7館の建物からなっていて、第1館は「民族の伝統館」で韓国の歴史5000年の歴史がパノラマのごとく展示されていました。 第2館は「同胞の試練」というタイトルで、1860年、現物的文物を受け入れ、近代的な国家として変化を遂げつつあった韓国を武力で制圧し、弾圧、強奪など日本帝国主義による侵略行為や韓国の苦難な歴史が展示されていました。展示室には、韓国人を拷問している展示物があり、日本人の保安係が2名が一組になり、こん棒やムチで拷問したり、先の尖った鉄の棒を爪に差し込んだり、狭い箱に鋭く尖った釘を打ち付け、その中に韓国人を入れ揺すっていたり、女性には性的拷問を行ったり、さらには張り付けて銃殺刑にさらされる同胞もいました。拷問の結果それが原因で死んでしまった人は数え切れないほどいたと言います。 次号に続く

自己退職

3年前に障がい者の作業所を退職しました。退職した理由は、職場である男性が同僚の女性と肉体関係を持ち、その女性が結婚を前提にお付き合いしていた男性から私に電話連絡がありました。調べてみると他にも、7名ぐらいの女性と肉体関係を持っていた事が判明、職場の管理職ににその旨を伝えるとプライベートのことなので関係ないという返事でした。私は納得がいかず退職を決意しました。、皆さんのご意見はどんなご意見でしょうか?職場関係(7~8名)の女性と肉体関係を結び、その女性は退職をしました。退職理由は、一身上の都合になっていますが、関係が他の職員の耳にはいるのが嫌で退職をしたのではないかと思われます。その男性は今でものうのうと残って、チーフという役職についているみたいです。彼には妻も子ども2人もいる人で、社会福祉の仕事をするに値しないのではないかと私は思っています。ただ、男性が独身であれば何も言うことはありません。それを管理する人たちの責任はないのでしょうか。プライベートの一言で事が済んでしまう、何か違うやろ!?普通の会社でそれなりの注意はすると思うのですが、私の考えが甘いのでしょうか。皆さんのご意見をお待ちしています。韓国旅行記は引き続き書いていきます。

韓国平和ツァー-1

2008年6月26日~6月29日3泊4日の日程で韓国平和ツァーに出かけました。メンバー6名で前々から行きたかった、「韓国独立記念館」の見学が出来ました。広大な敷地に7館の展示室があり、日本が朝鮮半島を植民地化したときの非人間的なやり方で、韓国人民を武力で押さえつけていたという展示品や写真等々がありました。 日帝主義のやりかたはフランスやイギリス、アメリカ、ドイツなどと一緒で植民地にされた人民は本当に苦しみの中で独立を勝ち取るという、経験をされていたのだと痛感しました。 今、アメリカがイラクやアフガニスタンに軍隊を出して治安を回復しようとしても、必ず反撃を食らうことになるのではないかと思います。 戦争は建設的なことは一つもありません。それどころか、国民を死の淵に追い込むだけです。 次号に続く

ベトナム珍道中-2


ベトナムの2日目。朝、6時過ぎに起床、ホテルの2階で朝食をいただく、食堂には色々な国から来た人たちの会話が聞こえるが、何をしゃべっているのか全く分らない。中国語、韓国語、英語、ラテン語等々、色々な国からベトナムに来ています。メニューはフランスパンが主食、おかゆもあり皿に盛りつけていただきました。私はもっぱらフランスパンを主食におかずは、適当に盛りつけいただきました。ホーチミン市はバイクの数が中途半端ではありません。自動車よりバイクで通勤なり、荷物を運んだりしています。交通ルールはあって無いようなもので、マナーの悪さにうんざりしてしまいました。ベトナムでは移動手段のインフラ整備が無く、手軽なバイクが移動手段になっているみたいです。日本の援助で地下鉄の工事も始まっているという事ですが、完成しても乗る人がいるかどうか未知数だという話でした。今日はシンカフェ(旅行会社)に行き、クチの見学にハーフデーを申し込みました。ホーチミンから車で2時間ほどのところにあり、ベトナム戦争当時、南ベトナム解放戦線の拠点となったところで、一度も陥落することなく抵抗運動を続けていたところです。地下道が240キロを続いているとの事、一部は一般の人も入る事は出来ます。中にはいると、蒸し暑さと腰を半かがみにして歩かなければならないので、少し窮屈なトンネルです。こんなトンネルを掘り抵抗していたのかと、驚きました。後、武器らしい武器はなく、手製の爆弾を作ったり、穴を堀、落ちれば串刺しになるような穴を作っていたりと、色々と考えて、抵抗をしていたのだと感心しました。約半日、クチの見学をし、その後はホーチミン市に帰ってきました。市外は結構、道がすいていて順調に走る事が出来ましたが、市内にはいると、バイクの大群があり、渋滞でシンカフェにたどり着くまで時間がかかりました。ホーチミン在住の友人の紹介で、児童養護施設の見学に行きました。お寺が運営していて、赤ちゃんから18歳までの子どもが、130名程生活をしているとの事、養護施設の専門の職員は12名で、運営は寄付なり、店を開いてそこの利益を運営費に当てているそうです。国からの補助金は一切無いという状況だと説明してくれました。私たちも気持ちだけ寄付をさせていただきました。ホテルに帰り、近くにあるベンタン市場に行きました。観光客が沢山来ていて、市場の中にあるところで軽くフォーをいただきました。若い女性が、扇子を買ってくれとしっこく付きまとわれたりし、仕方なしに2ドルで買ってしまいました。(写真はクチの地下壕に入る穴で現地の人が実演してくれました。大きさは縦、横約30㎝の大きさです)

2010年9月24日金曜日

ベトナム珍道中-1

2010年 9月20日から24日まで、ホーチミン市に行ってきました。
今回で6回目のベトナム旅行なので、余裕を持って行けるかなぁ。と思っていたのですが、珍道中で関空からクアラルンプール経由でホーチミンに行くのですが、クアラルンプールの空港が広く搭乗口が分らないで、探し回りました。ようやく分り、その時に撮った写真がホーチミン行きの飛行機の機影です。
今回は3名での旅行だったので、何とかなると思いながらの旅行でまぁ、何とかなるものです。
ホーチミン市には、午後6時過ぎに到着し、友人の招待で、サイゴン川が流れるそばのレストランに食事の招待を受けました。川がそばに流れているので、涼しく料理もおいしくいただく事が出来ました。

日産ケリー前代表取締役の保釈決定 保釈金7000万円 東京地裁

金融商品取引法違反の罪で起訴された日産自動車のグレッグ・ケリー前代表取締役について、東京地方裁判所は保釈を認める決定をしました。検察はこれを不服として準抗告するとみられますが、裁判所が退ければ、ケリー前代表取締役は早ければ25日にもおよそ1か月ぶりに保釈される見通しです。一方、...