2010年12月26日日曜日

今年1年を振り返り

2010年も後、6日(26日現在)で終わりを迎えようとしている。この1年を振り返る事にした。昨年8月末で京都のSワークを退職し、9月よりH先生のご配慮で今の職場に勤務している。あれから1年3ヶ月が経過した。2010年のスケジュール表を横に置きこの一年を振り返えりたいと思う。
2009年10月13日よりK物センターの方に変わり、1年3ヶ月が経過した。1ヶ月程はDの里で施設の仕事をさせていただき、支援員として仕事をさせていただきました。その後は「K物センターに移り、障害者の人たちと一緒に仕事をさせていただいています。最初の数ヶ月間は、足腰が痛くて続けられるのかと、ふと不安がよぎったりしましたが、慣れない仕事と言うこともあるあるけれど、以前は座ってする仕事がほとんどだったので、足腰が慣れるまでは時間がかかる始末でした。
朝が以前より早く起きることになったのも、最初は辛く感じました。京都の時は、始業時間が9時からなので、7時半には家を出れば十分間に合いましたが、今の職場は8時15からなので、午前6時には起床して、出勤しなければならない。また土曜日は送迎もあるので、6時前には起床して、Tの郷まで行くことになる。慣れるまでは時間がかかりました。今は普通に起床することが出来るようになりました。
1月は行きつけの居酒屋のお母さんが腰の手術をするというので、何度か見舞いに行きました。それからは、その店が閉店状態になり、行きつけの店が一つ減ってしまいました。7月には退院されましたが、まだ足腰が痛いと言うことで、店の方はまだ閉店状態である。また、土曜日の送迎についても友人のTさんに月2回の送迎をお願いをし、H先生の了解もいただき今も続けてもらっています。
2月は、誕生日月、26日で53歳になり、2月は逃げるという月ですので、あっという間に過ぎ去ってしまいました。久しぶりに日帰りでスキーに出かけたのも、この月です。
3月は長男の卒業式、就職先も決まらないまま卒業することになり、親として不安を覚えましたが、今のご時世、卒業生でも就職先が見つからないまま卒業する人が多いと聞き、諦め半分、次の仕事を親として見つけなければならいと思いました。捻挫もしたのもこの月です。妻の足を踏み、4日程仕事を休む羽目になりました。ベトナムからはS氏が日本に帰国するというので、歓迎会を鶴橋で開催しました。多くのメンバーが集まり、わいわいと話に花が咲きました。この月より有給が発生する。10日間の有給。
4月は和歌山で備長炭を焼いている、知り合いのところへ出かける。その人は、以前Z法人で施設長までやっていた人ですが、退職し和歌山で炭焼き職人として長年修業をし、今年になってようやく釜を持つことが出来るようになり、夫婦で出かけました。夏は蛍が一杯飛び交い、自然豊かなところです。家も新築を建て快適な生活をしていました。釜は家から歩いてすぐ近くにあり、その時は釜は閉じた状態で、備長炭を焼いている最中でした。夕食は鹿の肉や農協から買ってきた食材で夕食をいただきました。個人的にはそのような生活にあこがれがあります。帰りは龍神温泉に入り夕方には自宅に帰宅することが出来ました。K物センターのパートのY氏の息子さんの履歴書をH氏の自宅に届ける、今はグループホームの支援員として勤務している。
長男が知り合いの作業所の非常勤として勤務を始める。
職場のN氏が入院することになり、Y氏とO氏とで見舞いに出かけたのも、この月でした。本人の口から「リンパ癌」であると言われ、数ヶ月間は、治療に専念するという話であった。帰りは3人で近くの居酒屋で一杯やりました。
5月は連休に妻の里である、島根に久しぶりに帰りました。何もなく時間の流れが遅く感じました。
6月は民主党の鳩山首相が辞任し、新しく菅直人首相が誕生する。H先生がDの里の理事長を降り、知り合いの人がDの里の理事長になる。◎藤さんはDの里の評議員であるそうで、本人は評議員を下りたいそうで、私と交替をして欲しいと言われるが、「はい」そうですかという分けにはいかないので、ごまかしながら返事をしてしまいました。参議院選挙も公示されたのもこの月です。
Z法人の事務局長が14日にひき逃げ容疑で逮捕される。そのまま、拘留される。突然の逮捕で本人も驚いたと言うことを友人から聞きました。その後はZ法人を退職される。
7月、参議院選挙の投票日、結果は民主党の敗北でねじれ国会が生じてしまう。また、Mつき施設より7月から職会に出席にして欲しいとFAXがはいる。少し緊張気味に職会に望むが、あまり話の内容が以前勤めていた施設と違うので、少しがっかりしてしまいました。
次男が学校の実習でTの郷へ実習へ出かける。担当した職員から来年の就職のために履歴書を出すように言われたと私に話してくれる。市盲協へ勤務していた人(うつ病の為)休職をしていたが、休職の期限が切れ退職し今は失業中とのこと。友人のI氏と相談しZ法人の非常勤として採用してくれるように話をする。結果的には非常勤として採用される。
月末には夏の一時金が支給される。
8月は、次男が肩の手術をする。以前も手術をしたが、うまくくっついていなく再手術することになる。来年2月には右肩の手術をする予定である。9月にベトナムに行くための打ち合わせと手付け金を支払う。Z法人のN氏が8/2日付で退職される。
9月、9/20~24日まで3名でベトナムに行く。これで6回目の訪越である。ベトナムの友人と親交を深め、初日はS氏の招待で夕食をいただく。2日目はクチへ出かける。3日はメコン河ツァーへ、3日には市内観光、戦争跡博物館、大統領府などを見学をする。
R・レーブの総会が行われるが、詳細は聞いていない。ただ、◎尾長男、◎江さんは退任するとのことである。H氏が社長に就任したと思われる。◎藤さんがK物センターの責任者になる。
福井県にいる友人が大阪に来る。4名で昔話に花が咲く。友人も頭髪が薄くなり、お互いに年を感じてしまう。
10月、妻が一人で田舎へ帰る。おばあちゃんの健康状態が心配で出かける。悪ければ大阪に連れて帰ってくると言って出かける。が、やはり田舎生活がいいようである。
処季会をK物センターのY氏とO氏の3名で大同門で開催する。
次男がUの子施設の面接を受ける。結果は内定が確定する。4月からは施設の寮生活を2年程して仕事をすることになる。児童養護施設なので、色々な子どもが施設に来るので、しっかり勉強もし子どもに寄り添いながら仕事をして欲しいと願う。親の気持ちとしては仕事が内定してホッとしているのが本音である。K福祉会とN福祉会合同の理事会の交流会が開催される。詳細は聞いていないが、将来の合併に向けて話し合いのようである。
ベトナムのS氏が帰国する。神戸の友人宅で泊まると言うことなので、仕事が終わり神戸へ出かける。近くの居酒屋で交流し、翌朝は日本橋に出かけ日本製の中古のパソコンを購入される。ベトナムでもパソコンは高級品で日本円で15万円から20万円するので庶民には、手が出る金額ではない。ベトナムの公務員はの平均給与は2万円~3万円程度なので、パソコン1台が半年分の給与に相当する。日本製のパソコンは人気があるそうで、中国製などは質が悪く人気がないとのことである。S氏はベトナムの友人にパソコンをおみあげとして買って帰ると言っていた。S氏は日本橋のどの店に行けばいいのか分らないので私と友人が同行する。ソフマップで中古品のパソコンが見つかりそれを購入される。
ジャパネットたかたで液晶テレビを2台購入する。支払いは冬のボーナス一括払いになる。私の一時金の半分が代金として消えることになる。
11月福保労60周年に参加する。H氏も参加されていて色々と話をする事が出来た。
中旬にはインフルエンザにかかる、仕事が終わりバスの中で悪寒が走る。電車の中でも寒くて仕方がない。家に帰り体温を測ると39.4℃もあり、そのまま布団に潜り込むが、悪寒が止まらないので、毛布をもう一枚かぶり、寝る。寝る前に頓服を服用して寝る。翌朝は37.4℃まで下がるが、それでも夕方には、39℃まで熱が上がる。2日間高熱でうなされてしまった。
次男の20歳の誕生会を12月にすることになる。2人とも20歳になり親としての責任は果たしたと思っている。
12月、インフルエンザの予防接種をする。以前にインフルエンザにかかり高熱はこりごりである。このブログにも書きましたが、インフルエンザが流行の兆しを見せているようである。接種のまだの人は早い目にすることをお勧めします。
K物センターの職員3名で忘年会。テッサの鍋で開催する。少し飲み過ぎたのか、足がふらつき、だいぶ酔ったようである。仕事の疲れもあるかも知れない。また、3名で新年会でも計画することになるかも知れない。
長年愛用していた眼鏡が一部破損する修理を出し、以前使っていた眼鏡を代用として使用する。
長男の就職の件で、知り合いの施設長に連絡を入れる。来年は2名の募集をするとのこと、来年1/7日には施設見学兼履歴書を持参し、次回には面接を受けることになる。出来れば正職として採用されるように願うばかりである。12月中旬に冬の一時金が支給される。妻の一時金も同じ日に出ているが、金額は聞いていない。聞く気もしない。
久しぶりに映画の鑑賞に行く「武士の家計簿」で、お客さんは年配の方ばかりで、私は一人で映画を見ている。
今年最後の墓参りにも出かけた、長男、妻の三名での墓参りである。今年の御礼と来年も健康で生活できるように手を合わせ帰宅する。
介護者の会に参加する。介護のをしている人の会であるが、介護の話はそこそこに、飲み会が本来の目的か、それとも日頃の介護の疲れを取るために集まっているのか、どういう分けか私も呼ばれる、友人がいるので声がかかるので参加することになる。
年末年始は、妙高高原へスキーへ出かける。3年ぶりである。クリスマス寒波で積雪も十分のようである。
という、1年であった。来年はどんな年になるのか分らないが、健康で仕事やお酒が飲めれば言うことなし。友人も4月には退職をししばらくは失業保険で生計を立てるとのこと、その後は年金で暮らすと言うが、何かの仕事の着くとは思うが、働くなら私の下で働きたいと言っている。ベトナムにも行きたいと考えている。まぁ、来年もぼちぼち、やろかという気持ちでやるしかないかと思っている。

インフルエンザ流行入り(予防接種を早く)

ある新聞記事からの抜粋。
医療機関1箇所あたりのインフルエンザ患者数が、流行入りの目安とされる1人を上待ったことが、24日、国立感染症研究所の定点調査で分りました。
厚労省は新型インフルエンザ一色だった昨年とは異なり、高齢者で重症化しやすい季節性も同時に流行する可能性があるとして、注意を呼びかけています。同省等によると、19日までの1週間に、全国約5000カ所の医療機関をインフルエンザで受診した患者数は、1カ所あたり1,41人でした。
都道府県別では、佐賀県が最も多く8.26人で、長崎7.36人、北海道5.87人、大分2.55人などの順となっています。
国立感染症研究所が9月6日~12月12日までに報告されたインフルエンザウイルスを調べたところ、新型243例に対して、季節性のA香港型が446例と大幅に上回っています。
摂取が始まっているワクチンは新型に加え季節性にも対応しており、ワクチンの接種を呼びかけています。
ついでに、ノロウイルスについても、新聞記事からの抜粋で申し訳ありませんが、記載させてもらいます。
施設等で集団感染で死者まででたノロウイルスは、急性胃腸炎を起こす小型のウイルスで、感染力が強く、厚労省によると、食中毒の第一の原因がこのウイルスです。冬に大流行するするので用心が必要です。1~2日間の潜伏期間の後、嘔吐や下痢(水様便)・腹痛などの症状が出て、発熱やだるくなることもあります。子どもや高齢者は脱水症状になり重症化したり、吐いたものが気道に詰まり死亡することもあるそうです。ノロウイルスはアメリカの小学校で集団感染が発生し、ウイルスの存在が確認されました。
感染経路は、食べ物と、感染者の便や嘔吐物、その人にふれたものなどにもウイルスがいるので、二次感染が発生します。貝類は内臓にこのウイルスを蓄積する性質があり、生食は要注意です。感染を予防するためには、インフルエンザのような予防ワクチンはないので、食品を十分に加熱する必要があります。食品の内部温度が85℃異常になるノロウイルスは死滅するので、十分な加熱と手洗い包丁、まな板の殺菌が必要になります。症状が出たら早い目に医療機関に行き、脱水症状を起こすこともあるので、水分の補給は欠かせません症状が治まった後でも数日間は、ウイルスは便などから排出されるので、感染予防には注意が必要です。

私も季節性のインフルエンザにかかり高熱が出た経験があるだけに、この記事に目がとまりました。私はインフルエンザの接種はすませています。これから、流行期からピークまで2ヶ月程かかると言うことなので、来年の1月末から2月には流行期を迎えることになります。
私はノロウイルスにはかかったことはありませんが、前に勤務していた施設では、予防のために塩素を薄めた水をタオルで、拭き掃除などをして予防していました。これも感染力が強いので、かかると症状が治まるまでは、出勤することは出来なくなります。

K物センターでも、今年はインフルエンザが流行り、人手不足に陥ったことがあるので予防接種は、各施設で積極的に行って欲しいと思います。ノロウイルスも同様に注意が必要です。

介護者の会と「狸ばやし」への予約

昨夜は、送迎が終了後京橋へ直行。介護者の会へ参加しました。メンバーはいつものメンバーと+A氏さんも初参加。特に介護の話はなく、平八亭でただの飲み会の名目のような会です。その後はいつものコースでカラオケに行きました。介護の苦労はI氏の母親を見ているので、よく分るつもりですが、実際に介護している人は苦労が絶えないのではないかと思います。
来年の1月13日に行う、送別会の予約を電話で行いました。参加者は5名程度になります。一応、鍋を囲んでの送別会になりますが、どんな話になるか分りませんが、Tさんは勤続年数35年間同じ職場で頑張ってきた人で、とてもすてきな女性です。Tさんの子どもも大きくなり、経済的にも旦那さんの収入で生活が出来るので、退職をするのかと思います。また、職場の精神的な疲れもあることも事実で、職場の中核的な存在であっただけに退職となると、Tさんに変わる人が職場をまとめられるかどうか分りませんが、個人的には残念でしかたありません。
仕事も残すところ3日間、昨日は定時に終わり、利用者は定時に帰ることが出来ました。1ラインだけは少し残業になったようですが、職員とパートさんで回るので利用者は帰ることが出来ました。
スキーの用意もしなければなりません。板と靴は出したので、後は洋服は押し入れから出さなければなりません。クリスマス寒波で雪が降っている事だと思います。先日インターネットで降雪量を調べたら30㎝程度で、この積雪ではブッシュが至る所に出ているので滑りにくい状態ですが、今回の寒波で積雪が90㌢の状態です。

2010年12月24日金曜日

連休で身体も一休み

木、金と連休であった。飛び石の休みより身体の疲れが取れやすい。今日は、特にすることもなく、しょうこにもなくパソコンに前に座りブログを書いている。昨日購入した椅子に座り、パソコンの前に座るのは以前よりは、楽になった。打ちやすくなったと言う方が正しいのかも知れない。腕が疲れない。本を読んだり、パソコンを打ったりと私と犬しかいないので、静かで過ごしやすい。時々犬がじゃれに来るが、おやつが欲しい時に来るので、その時は少しだけ上げると、それぞれのテリトリーの場所に帰って寝ている。
明日は土曜日で送迎である。いつもよりは少しだけ早起きをしなければならないが、今では苦にはならなくなってきた。慣れるというのは恐ろしいような、怖いような、早起きは三文の徳という諺があるように、違った町の風景を目にすることが出来るのも徳の一つかも知れない。仕事の時は早く寝るようになってきた、遅くても午後10時30分頃には布団に入っている。休みの日は、11時過ぎまで起きているのだが、仕事の時は早起きしなければならないので、早く寝るようになってきた。子どもたちは土曜日が休みなので朝早くは寝ているし、次男もアルバイトが昼前からなので寝ていることが多い。自動車教習所は第一段階がもう少しで終了とのこと、冬休みには終了予定なのか?。学生最後の冬休み、アルバイトや自動車教習所で忙しいようである。
今はクリスマスの宅配が忙しいようである。各家庭でピザを購入しクリスマスを祝うのであろうか、いつからクリスチャンになったのかと思わずにはいられない。各百貨店や商店などもクリスマス商戦の真っ直中である。日本人の宗教観が大らかというか、訳が分らなくなる時がある。正月はお寺、神社にお参りをし、結婚式は神式か仏式でやる。何でもOKの宗教観は世界の中でも日本だけではないかと思ったりしてしまう。
平和な日本の象徴か。一神教はテロにつながるから怖い、その神だけが唯一絶対の宗教になると、その宗教が否定されると戦争になることもある。その点、日本は宗教観が広くて大らかなので、いいのかも知れないと思ってしまう。

2010年12月23日木曜日

12月25日は介護者の会

私の友人のI氏は94歳の母親の介護をしながら、労働組合運動を行っています。ディーサービスなどを利用しながら、介護をしているようです。少し認知も入り、大変だと言っていました。私の親は介護をする前にあの世に旅たったので、介護の苦労はありません。
その介護の苦労を語る会を、25日の日にすると言うので、私も来て欲しいと言われています。介護の苦労話をしながら、一杯やるみたで要するに介護を理由に飲み会をする予定です。
私は介護は関係ないからと一度は断ったのですが、どうしても参加して欲しいというものだから参加することになりました。
来年の1月13日には妻の職場の総主任のTさんの送別会と新年会を兼ねて、狸ばやしでする事になりました。本当は1月6日の(木)にする予定だったのですが、日程の調整が出来ず、13日なら参加できると言うことなので、13日にやることにしました。Tさんの地元なので、ゆっくり飲んでもらうことも出来ます。私も仕事の帰りに寄ることが出来るので都合はいいので、光善寺でやることになります。他の人は光善寺まで来てもらうことになるんですが、電車でくれば準急で20分程度で着くのでそんなに時間はかからないと思います。私の妻も参加して欲しいと、総主任さんからの要請でTさんから声をかけてもらうことにしています。6名程度になるかも知れません。鍋を囲みながらの送別会になる予定です。I氏が言い出しっぺなのに、段取りは私の方に回ってきます。本当に段取りをするのが私の仕事だと思っているのかと思いたくなります。I氏の頼みなら嫌とも言えませんから、段取りはちゃんと、やるようにします。

今年も残りわずかになりました。

12月23日、天皇誕生日で祝日。仕事は12月29日までなので仕事は4日間行けばいいことになりました。正月休みは12月30日~1月4日間で初出は5日になります。本当は4日が初出だったんですが、責任者の方が、4日も休んで下さいというので、その言葉に甘えさせていただき休むことにしました。29日から妙高高原へスキーに行くので、帰阪は1月2日の早朝に帰阪となります。3、4日はゆっくりと休養することにします。K物センターも正月はラインが4ラインから3ラインに減るので、休みやすいと言えば休みやすい条件なので、そうなったのかと思います。
年末の成果、注文が多く平日などは24時まで仕事をしているようである。今度の25日は2ラインから3ラインに1ライン増えたという報告が昨日有り、2ラインではさばき、きれない状況のようである。
年末に暇では、K物センターも先行きは暗いなぁと思いましたが、そこそこ注文が入りよかったのではないかと思います。世の中は不景気(円高、デフレ)でなかなか先が見えない状況ですが、K物センターもこの不景気の影響を受けているはずです。ので、今後も厳しい運営を余儀なくされるのではないかと思います。

墓参りへ出かける

家族全員という分けにはいきませんでしたが、長男と妻と3名で今年最後の墓参りに出かけました。
←写真はお寺にある、六地蔵さんの写真です。
今年の感謝と来年度の家族の健康を見守ってくれるように、手を合わせました。
次男はアルバイトに忙しいようです。クリスマス用の衣装を着ながら、バイクでピザの宅配をしています。
昼食は帰りのハンバーグ店でいただき、ついでにカインズホームに行き、金魚の餌と座席と蛍光灯を購入してきました。蛍光灯の本体が行かれてしまい、少しへ部屋が暗いので、新しいのに取り替えました。座椅子は私がパソコンを打つのにと思い購入してしまいました。少し高めの座椅子なので腕が疲れずにすみます。
来年の話をすると鬼が笑うという諺がありますが、来年はどんな一年になるか、次男は就職が決まっているので、寮生活をすることになり、長男もうまくいけば(社福)の作業所へ就職が決まるかも知れません。そうなれば一番いいのですが。決まれば、しばらくは自宅からの通勤となるとは思います。
妻は仕事で忙しいそうなので、仕事に精を出して欲しいと思います。私はどうなるのか?分りません。K物センターに残るのか、違う職場に行くのか分りませんが。どちらにしても、仕事はしていかなければなりません。まぁ、ぼちぼち、やろかという気分で来年も生きていきたいと思います。

2010年12月19日日曜日

車の洗車

久しぶりに車の洗車をした。以前は近くに洗車場があり汚れれば洗車していたが、今はその洗車場もなくなり、車はほったらかしのため汚れが目立つ。仕方なしに車で洗車場へ行く。洗車すればきれいになるのは当たり前、の話。たまには洗車するのも悪くはないが、行った時間が遅かったので、寒い中の洗車はこたえる。洗車が終わればガソリンを入れにセルフのスタンドへ満タンにして、車のタイヤの空気も入れる。ガソリンの値段がじわじわ上がってきている。円高なのにどうしてかと思う。ファンドが先物買いで値を上げているのかも知れない。週に1回程度しか乗らないのでもったい事ではあるが、なければ、なければで不便なので、所持をしている。
墓参りは生駒の山の上なので、車がなければ行くにいけない。子どもが小さい時は、オートキャンプやキャンプ場によく出かけた。今は成人になり行くことはなくなったが、夏などになれば行きたくなる。キャンプをやろうと思ったのは、阪神淡路大震災の被災者の映像がテレビに映り、もしもの時は、キャンプ生活もしなければならないと思ったからである。それ以来キャンプを続けてきたが、今は道具も箱に眠っている。
年賀状を印刷して、ポストに投函してきた。これで年内にしなければならない、私用は終わったと思う。この年になると喪中のはがきを頂くことが多くなった。50も過ぎればそうなるのは当たり前の事である。
それ以外は家の中で過ごす。寒いと出るのもおっくうになる。犬の散歩は息子が行ってくれた。たまには行ってくれやと頼む。

T氏と忘年会

T氏はK物センターの送迎を無理を言って月に2回送迎をお願いしています。慰労も兼ねて昨夜、忘年会を行いました。息子も非常勤で働いているので、その御礼も兼ねて行いました。店は週末と言うこともあり満員状態でした。S・M作業所の将来展望のことや、今後どの様な事業展開をしていくのかを聞きましたが、今のところ目先のことで将来を見通しての事業展開は考えていないと言うことでした。S作業所に利用者を取られ放しで、やってられないはと言っていました。S・M作業所として魅力ある作業所にしていかないと、ますます衰退していくのは目に見えています。NPO法人から社会福祉法人への移行も視野に入れて、作業所を運営していかないと、色々な事業は出来ないというアドバイスもしましたが、今の所長がそこまで考えていないと言っていました。
(社福)に移行しようとすれば、土地や建物など新たに取得しなければなりませんし、資金も必要になりますが、他の作業所などは、借金をしてでも社会福祉法人へ移行しているので、腹をくくってやる必要があると私は思うのですが、なかなかそこまで決意できないようです。
一般法人になれば、職員も増え、色々な事業の展開も可能になります。グループホームの運営やヘルパーステーションの運営など本体と一体になった事業が可能になります。NPO法人でも可能ですが、やはり(社福)とNPO法人では、格が違いますし、利用者の親の信頼も違ってきます。
今年も残り2週間、年賀状を印刷しなければなりません。完成しているのですが、印刷がまだで今日にも印刷をしようと考えています。

2010年12月17日金曜日

長男が来月に施設見学をする

長男が私の知り合いの施設見学を来月に行くと、私に言ってくれました。電話で施設長に一度施設を見学をしてから1月か2月には面接を受けることになる。採用してくれるかどうかは分りませんが、今の職場では常勤になる見通しはなく、正職になるためには違う施設で面接を受けるしかありません。うまくいけば正職に成るかも知れませんが、最初は給与は低いかも知れませんが、現状で満足することなく、前に進んで欲しいと思います。
本当にやりたい仕事は、やはり動物関係の仕事だそうです。沖縄でスキューバダイビングの仕事をつきたいと言っていました。お客さんと一緒に潜り、きれいな海と魚の鑑賞をするのが、やりたい仕事だと言っていました。スキューバダイビングの資格を取得し、沖縄に行きそんな仕事をして欲しいと思います。自分の夢はあきらめないで、追求して欲しいと親ながら思います。25歳までには動物関係の仕事が見つかれば、そちらに行きたいと言っていました。それも、いいのではないかと思います。

Tさんの送別会

妻の職場の総主任Tさんが、今年度で勇退されることになりました。本来ならば今年の3月末で退職を希望されていたのですが、色々な方の説得で1年伸びてしまい来年の3月末で退職と言うことになりました。私の友人のI氏からメールが入りTさんの「送別会」をやろうという提案があり、大久保も出席をして欲しいと言われたので、来年の1月6日に(木)に光善寺駅近くで「送別会」を、職場のY氏と行っている。狸ばやしに行こうかと考えています。友人はわざわざ光善寺まで来てもらうことになりますが、その人が言い出したので、無理を言ってきてもらうことになりました。Tさんの家は光善寺の近くなので、参加しやすいと思い狸ばやしを選びました。
また、ひとり優秀な人間が、Z法人から辞めていきます。まだ、55歳の女性で職場にはなくてはならない存在の人です。人をまとめたり職場の雰囲気を丸くしてくれたりして、欠くことは出来ない人なのですが、仕事に限界を感じたのかも知れません。残りの人間は自分の出世しか考えない人が多いので総主任のポストを巡り一悶着ありそうな気がします。私には関係のない話ですが妻がいる職場なので、妻の愚痴も聞かなければならないので、愚痴を聞く程、嫌なことはありません。まぁ、仕方ないですね。職業選択の自由は憲法で保障されていることだし、辞める辞めないは本人が選択できることですから。しかし、退職されることについては残念でしかありません。

今週の動き

火曜日に銭湯に行きました。少し疲れ気味大きなお風呂に入り、疲れを取ろうと思い近所の銭湯に行きました。特に電気風呂は大好きで、痛いところを当てると、とても気持ちがいいので、疲れたなぁと、感じたら銭湯に行って電気風呂に入り身体を癒しています。最近は銭湯が少なくなりました。昔なら、近所に3軒ぐらいはあったのですが、今は駐車場になったり宅地になったりしています。唯一残っているのは私の家の近所にある銭湯やさんだけになってしまいました。内風呂が主流になってきているので、お客が少なくなり採算が合わなくなってきているみたいです。銭湯は残して欲しいと切に願います。私も年に数回程度しか行かないので、無責任な事かも知れませんが、やはり残して欲しい施設です。
K物センター内にある事務所の机の配置が変わりました。責任者の方の思いを色々考えました。①私は時間中は現場に出ているので、事務的な仕事は責任者がするので、変えたのか。②私が移動することを前提に机の配置を換えたのか。③食事の時に机が足りなく成るので、空いている机を活用するためなのか。自分なりに思いを巡らしました。結論は出ませんが、時間がたてば答えが出るのではないかと思います。
木曜日は狸ばやしへ、職場の人と飲みに行きました。入った時には、店は空いていたのですが、時間がたつにつれて、満席になり盛況な状況です。ネタがいいのか味がやはり他の店とは違う、とても美味しい料理を頂きましたY氏も一時金の件で、O藤さんを通じて、同じパートさんとの支給額が違うので、電話を入れたそうである。一応、今月の給与で調整するということで決着が付いたようです。同じ仕事をしているのに、支給額が違うのは問題があります。どこかで調整をしなければいけない課題です。
今日(金曜日)は久しぶりに梅田に出て、映画「武士の家計簿」を見に行きました。お客さんは年配の方が多く、私はまだ若い方です。ちょうど幕末の時代で、その家は代々そろばん侍で、藩の会計を一手に引き受けていた家柄です。その家の借金も増えてきたので、売れる物は全て売り借金を減らしたという物語でした。何時の時代も家の家計は大変だなぁと感じましたし、我が家もいらない物は買わないようにしなければと自分に言い聞かせました。

2010年12月12日日曜日

友人は疲れ気味

友人のI氏が大会が今日終了し疲れ気味とのこと、この間、東京や大会文章の作成のために休みを返上して、作ったのでその疲れが大会終了後に来たようである。酒が飲めないと嘆いていました。書記長から副委員長になり、来年4月には定年を迎えます。失業保険と年金で生活をすると言っていましたが、友達としては少し心配なところもあります。何とかするとは思いますが。
私も今日は一日パソコンの前でブログを書いたりして、過ごしました。少しは疲れが取れた感じです。足がパンパンだったのが、少しは楽になりました。年ですね。
また、1週間が始まります。無理をしなく自分のペースで仕事をこなしていかないと長続きしないと思います。ぼちぼち、やろかという感じで仕事をしていきたいと思います。

N氏の報告

以前私が勤めていた、Z法人のN氏は交通事故を起こし、その責任を取り、自己退職をした。今は仕事もなく失業中である。N氏はZ法人の幹部の一人、将来は理事長になると見られていた人物である。私はいつも彼のホームページを閲覧している。今しかできないことを、今やることにしているとの事。私はN氏の奥さんとも25年間一緒に働いていた。そのN氏とはN学園の時も一緒に仕事をさせていただいた。
このご時世でなかなか仕事が見つからない様子。全国の老人関係の業界の幹部もしていたので、地方から施設長に来て欲しいという連絡はあるらしい、大阪を離れるのに拘っているとの事。私ならそのような声がかかれば喜んで行くことにする。仕事をしてなんぼである、色好みなどしていられない。週末に家に帰るか、月に一度2泊3日ぐらい休みを頂き、大阪に帰ってくればすむことである。奥さんが働いているから、当面生活には不自由はないと思われるが、恐妻家の奥さんのことだから、いつも怖い顔をしているのではないかと想像してしまう。
その人と私を比較すると、N氏はZ法人の幹部にのし上がり、私は平職員のまま仕事をしていた。
別にうらやましいと思ったことはない、人生色々、一番の人がいてビリの人がいるのがこの社会。全員が一番では社会が成り立たない。私の好きな言葉で「一寸先は闇」という言葉が好きである。どこでどうなるか分らないから、楽しい反面、怖さもある。その人を見ていると本当に「一寸先は闇」である。これから、幹部として仕事をバリバリしているはずが、交通事故という、思わぬ事で人生が大きく変わってしまった。一番になり最初にテープを切ったのに、目の前に虎がいて食われてしまった感じである。私も「一寸先は闇」にならないように、気をつけないと何時、どうなるか分らない。ビリでいると後ろから虎が追いかけて食われてしまうかも知れない。でも、そんなことばかり考えて生きていても仕方ない、なるようにしか成らないと割り切るしかないのではないかと思ってしまう。
H先生にもどうにかならないものかと相談したこともあるが、どうも私は人の世話をするお節介なところがある。H先生も私にの相談に困ったのではないかと思う。
友人のI氏に言われた、彼は全国的に名前の知られた方だから、大久保が必要以上に世話をやくことはないと言われる。それもそうである、特に頼まれもしないのに、勝手に動いたとなればN氏も迷惑な話である。それ以来、特に何もしていない。今は、そんな気もなくなったのが本音である。
若い人の相談にはのっている。将来がある若い人が、仕事もなくプータローしていては、日本の国の損失になる。若い人に働いてもらわないと、私の年金がもらえなくなるどころか、減額されかねないので、若い人にバリバリ仕事をしてもらい社会保険を国に納めてもらわないと、私が年を取った時に困るので相談には、のるようにしている。しかし、スーパーマンではないので、全てうまくいくとは限らない。

今日は日曜日

今日は日曜日である。昨日、O氏から日曜日はでかけるんかいなぁ、と聞かれる。久しぶりに映画「武士の家計簿」でも見にいくかもしれないと答えるが、昼前になってもパソコンの画面の前に座っている。仕事の疲れが取れないせいかこたつに置いてあるパソコンの前に座っている。、毎日1万歩以上も歩く上にオリコンを運ばなければならないので、疲れるのは当たり前、身体が休息を求めている。これも年のせいかもしれないと思ってしまう。
仕事の時は電車通勤なので、休みの日まで電車に乗りたくないと身体が拒否をしているのかも知れない。身体は正直である。電車よりも車通勤が出来ればいいのだが、車は前にも書いたとおり好きなので車で出かけるのは苦にはならないが、電車みたいに本が読めないのが弱点である。
頭は元気である。ブログを書く余裕が頭にはある、だからこうしてせっせと書いている。よほどの用事がない限り、最近は休みの日は家で過ごすことが多くなった。前はコーナンやデスカウント店に良く出かけた。上新電気店にも良く足を運んだが、最近は、欲しいと思う機器や商品がないので、行くことも少なくなってきた。世の中不景気な上に、私のような人間が増えれば余計に不景気に輪をかけてしまうことになる。申し訳ないと思うが新商品の開発をして欲しいと個人的には思っている。それにインターネットで商品が買える時代である。わざわざ店に足を運ばなくても買えてしまう。インターネット商売が増えるのは私みたいな、無精な人間が増えたためなのかも知れないと思う。
家には、犬2匹と私のみ、妻は仕事、子どもはどこに行ったか知らないが、不在である。テレビも同じ内容の番組ばかりなので、見る気もしない。もう少し違う内容の番組を制作して欲しいと願うが、こればかりは私の思いは通じはしない。だから見ないことにした方が、ストレスが溜まらない分楽である。
このように、好きなことばかりをブログ書いている。パソコンオタクになりかかっている、先日は、無線式のキーボードを上新で購入した。職員会議が早く終わり時間つぶしに、ちょっと寄り道をした。特に欲しいと思ったわけではないが、パソコンの配線ばかりで、それを解消しようと思えば無線で打てるキーボードがあれば、少しは解消するかと思い、3900円で買ってしまった。
養老孟司さんの本を2冊買ったが、もう読み切ってしまった。また、アマゾンで新刊本を捜し注文することになる。今度は同じ本を2冊買わないように注意が必要である。最近は、電車の中で本がないとどうも居心地が悪い、時間つぶしにはもってこいの読書の時間である。その為、新快速に乗らず、準急で通勤している。職場には遅れることがないので準急で充分間に合う。人も少ないし、座れる確率が高いので、準急に乗車しているが、時には新快速に乗ることもあるが、人が一杯で、枚方あたりでようやく座れる有様である。

利用者の日報を書き始める

11月の職員会議で、実習生さんの日報を書いて欲しいと要望される。日報のフォーマットが送られてこないので、そのままにしていたが、12月の職員会議でその日報のフォーマットを頂いた。
K物センターで実習に来ている利用者さんの日報を、昨日より書き始めました。全員で6名分(新メンバーが増えれば7名になる)になる。実習内容の事を書くのだが、午前と午後の作業内容を箇条書きにして書いている。あまり詳しいことは書けないが、どの様な作業をしたのかを記入している。午前中はラインなら何ラインと書いたり、午後からは減箱ならば減箱と書いたりしている。特に変わったことがあれば特記として書いたりもする。日報のフォーマットは先日の職員会議時に頂いた。それのフォーマットを自分のパソコンに書き、昨日より書くようにしている。
Mさんは昼食をほとんど残している。年齢も52歳なので、歯がないのでかみ切れないのかも知れない。作業動作もゆっくりであるが、自分のペースで作業をしている。減箱も遅れることなくドーリーに積んでいる。Iさんは16:30分になれば帰れると聞いている。作業も少し慣れてきたようであるが、続いて欲しいと思うばかりである。今後、新メンバーが後一人増える予定である。大阪組が主力の実習先、地元のメンバーが主力にならなければいけないと、私は思うのだが、なかなか切り替えが難しい。今後の課題である。
私が職員会議に出るようになり、実習先の状況を報告している。その甲斐あってか実習先の様子が分るようになったと施設長さんが話をしてくれた。問題点も指摘している、12月に行われた行事について、配慮をお願いしたいという内容の報告文章を職員会議に出した。土曜日は最後までやりきりなので、実習生さんが3名も欠席すると、職員やパートの人がラインに入らなければならないので、他の仕事が出来ないので、12月に行事を入れるのを配慮して欲しいと報告した。一応、12月には、行事を入れないようにするとのこと、報告の成果があってよかった。
実習先に自分専用のパソコンも持参しているが、書く時間がないので自宅に持ち帰り書くようにする。忘れぽいので、メモを持参しそのメモに書いてパソコンに移し替えをしている。

2010年12月11日土曜日

K物センターは今日も残業

年末を迎え、注文数が増えているのか、今日も残業になってしまった。月~木は定時(16:30)に終了するが、土曜日だけはやりきりなので、残業になってしまう。先週よりは早く終わるようである。私は18時に上がらしてもらった。責任者が上がって下さいと言ったので、その言葉に甘え仕事を終了する。予定では18:45に終わるようである。
仕事が終われば腹が減る、樟葉のうどん屋で腹ごしらえ、その後は、いつもの△文へビール1本とどて焼きを頂き、すぐに帰る。店はガラガラ、多分忘年会の影響だろうか、大将は機嫌が悪いみたいである。ガラガラなのが気に入らないのかも知れない。年末である、こんな時もあると思えばそれでいいのではないかと私は思ってしまう。
家に帰り、風呂に入りパソコンに向い、年賀状の文面やブログなどを書いている。横には焼酎は欠かせない。少し疲れ気味である。飲み過ぎか、仕事の疲れか両方であろう。
今年も後2週間あまり、子どもの時は正月が楽しみであった。お年玉を頂くことが嬉しかった。、今は正月も連休のように感じてしまっている。年のせいかもしれないが、普段とあまり変わりはしない。コンビニは開いている、昔は店を閉め閑散としたものであるが、今は普段と何ら変わらない。便利になった分、何かを置き忘れてきているように感じてしまう。
信州の夜は寒くて夜は歩けない。宿でこたつに入りテレビか酒を飲むしかない、不自由みたいであるが、外で凍えるよりはそれが一番の過ごし方になる。眠たくなれば布団に入り寝るだけ、誰も文句は言わない。他のなかまは酒盛りで、忙しいので、一人や二人、寝たからと言って誰も文句は言わない。信州にいる時は身体を動かしている分ご飯がうまい、朝から2杯はおかわりをする、普段では考えられない食欲である。特におかずがいいということでもないのだが、ただ、朝ご飯がうまいのは、何でなのかと考えてしまう。空気が違うのか気持ちの問題なのかは分らないが、ご飯がうまいのは事実である。

2010年12月10日金曜日

長男と夕食

今日は妻が夜勤のため、近くの居酒屋へ夕食兼飲みに行きました。夕食の用意はして出かけているんですが、食べなかったので妻の怒りの顔が目に浮かびます。
話は仕事のこと、趣味の話、長男のやりたいことなど話をしてくれました。25歳までには、自分のやりたい仕事を見つけて欲しいと言いましたが。やはり動物の仕事かスキューバダイブングの仕事をやりたいし、その為の資格も取りたいと言っていました。自然を相手の仕事がしたい見たいです。それはそれで、結構なことだし必要な資格を取ってやって欲しいと思います。
年末にはスキーに一緒に出かけます。ボードをするそうです。お父さんもボードをしたらいいのではないかと言われましたが、この年になりスキーは板で滑るのが一番、なまじっか違う事をすれば怪我の元なので、スキーに1本にします。お父さんの趣味は何かと言われました。取りあえずパソコン、読書、等々と言いましたが、長男はスポーツ(サッカー)が趣味とのこと、サッカーをやると嫌なことは何もかも忘れるので、一番にいいと言っていました。親子の会話は、必要なことだし年齢も21歳で一緒に酒も飲めるようになり、楽しみが一つ増えました。次男は自動車教習所への通いと、アルバイトで忙しいようです。次男も20歳になり一度、一緒に飲みに行くことにします。

インフルエンザの予防接種を受ける

先日、インフルエンザの予防接種を受ける。前に季節性のインフルエンザにかかり高熱が出た。もうこりごりである。予約もなしに行ったので、受けられるかどうか分らなかったが、アンプルがあったので受けることが出来た。注射の跡が今でも痛い、やはりきつい薬だと思う。代金は3000円かかったが、高熱でうなされることを考えると安いものだと思う。
一時金が出る予定である、2ヶ月分が支給される。ありがたいものである、長男も一時金が出たそうである。総額18万円、手取り15万円である。息子が煙草2カートンと焼酎をプレゼントしてくれた。感謝、感謝である。
一時金が出ない会社もある、P協の下請けのM会社はパートやアルバイトの人には一時金が出ないと言っていた。正職の社員には一時金が出るとのこと、やる気も出ませんわ、と嘆いていた。それに比べればありがたいとつくづく思う。P協のパートさんには1ヶ月半の一時金が出るそうである。M会社の会社もパートやアルバイトさんに寸志でも出せないものかと思うが、M会社もギリギリの採算で寸志どころではないかも知れない。よその会社のことを心配するのは余計なことだと思うが、モチベーションを高めるためにも、必要だと思う。ちなみにR会社はパートの職員さんにも寸志程度は出る。
T福祉法人も一時金が出たとのこと、私が紹介したY氏の息子さんにも寸志程度(10万円)の一時金が出たとのこと、Y氏から御礼のメールが入る。早く正職になれればいいのだが、その時はきっと来ると思う、それまでは、「辛抱、努力、根性」で頑張って欲しいと思う。

長男の就職について

岡山の作業所へ行くのはお断りをした。送られてきたメールを見て労働条件の悪さにびっくり、賃金が13万円+職能給5000円、社会保険は国民健康保険である、今行っている作業所は、職場の健康保険に入っているし、年金も厚生年金である。賃金も手取り13万円はある。非常勤のままではいけないと思い、知り合いの施設長にメールを送り、来年度の職員募集について聞いてみた。来年度は、2名の募集を計画しているとの事、来年になれば、一度面接に行くように長男に話をすることにする。大阪市内であるが、堺に近いので、通勤に時間はかかるが正職として採用してくれるのなら、言うことはない。
施設長に電話を入れる。私の息子だから面接するのではないとの返事、ありがたいことである。

忘年会を開催

職場の有志で忘年会を開催しました。今年一年の慰労を兼ねての忘年会。3名の少人数ですが、気のあったメンバーが揃いわいわいと話をしながらの2時間でした。話はやはり仕事の事がメインになりますが、年末を迎え注文量が増えている。今週がピークとのこと、今週の土曜日は残業になると思う。
職場のPCにこのような事が書いてあった。見ようと思ってみたのではない。一日の集計をPCに書こうと思って開いたら以下のような内容の文章が書いてあった。Rの収入は増え入るが、赤字になっているとのこと、正規職員が2名もいるのでその分の人件費が赤字の原因となっているそうである。対策として、①正職の職員をどちらか1名が出向先の施設に戻るか賃金の安い人と入れ替える。②送迎も昔は1名であったが、今は2名(土曜日だけ)本来送迎してくれる人が、月~木までしかやらないので、私の友人に無理を言って月に2回送迎をお願いしている。それ以外の土曜日は、職員が送迎をしているが、これには何ら超勤は付かない。労基法違反の状態である。③責任者が◯藤さんでなくてもいいのではないかと書いてあった。責任者がやる気がないのかとふと思ってしまう。家の事情もあるとは思うが、責任者としての任を果たして欲しいと思う。この内容を誰に報告するのか分らないが、D施設の施設長に報告するのか、それともオーナーに報告するのか分らないが、正職が2名もいらないとなると、私がどこかに行くことになると思う。オーナーからは、K物センターには、1年か2年程度は行って欲しいと言われているので、変わるとなると私になるのではないかと思う。
M施設の職員会議で、出向先の現状報告を行った。12月に行事をするのを他の月にして欲しいと要望した。施設側もOKとの返事であった。

2010年12月5日日曜日

岡山の作業所の労働条件

今回紹介するのは私の妻が18年にわたって指導員をつとめてきた作業所です。

労働条件は大阪に比べて大変見劣りがします。ワーキングプアと言ってもいいです。
市町村合併で労働条件も運営も大変苦しくなっています。
でも若い後継者を探しています。ほかの場所は紹介できません。悪いけど自分であたってください。

※作業所名:小規模作業所 Sつき園(NPO法人)

岡山市   

○給料:13万円+職務給(5,000円) 今のところ
 ボーナス:なし
 国民健康保険
 通勤手当 10km以上3,000円
○試用期間 3か月
○有給休暇 6か月 10日 以後1年ごとに1日 最高20日
○勤務時間 8:15~17:00
        (利用者送迎の場合は8:15~17:30 超勤扱い)
○特別休暇 結婚、忌引きなど
○夏休み 8/10~18日 冬休み12/27~1/5
○普通自動車運転免許必須
○現在 利用者9名 職員1名 パート1名 送迎パート1名
○所長 K美彩子

賃金は低いですが次の事業展開と後継者確保に向けて若い力を期待しています。
住居など細かいことは今後相談です。すぐそばには田んぼが広がる田園地帯です。

このメールを息子に見せたところ、ボーナスが出ないのは苦しいと言っていました。今回は申し訳ないがお断りするメールを送りました。
他の仕事を見つける事にするようにしたいと思います。

自立支援法「延命」を強行

新聞報道から抜粋
12月3日障害者自立支援法を「延命」する法案が3日参議院本会議で民主党と自民党、公明党、みんなの党などの賛成多数で可決成立しました。社民党、共産党などは反対しました。これに先立つ参院厚生労働委員会の反対討論の中で、自立支援法訴訟の原告らと政府が結んだ基本合意で、民主党政権が人間としての尊厳を深く傷つけたと自立支援法に反省を表明したにもかかわらず、「延命」法を強行することに厳しく批判。「つなぎ法案」としながらも自立支援法の廃止は明記されず、自立支援法の最大の問題である「応益負担」の現状を変えるものではないと批判。「つなぎ」と言いながら障害児施設の「一元化」など抜本的改訂も盛り込まれていると指摘。新しい法律の制定を目指して検討が行われている。障害者制度改革推進会議の議論を拘束しかねないと述べました。法案を国会最終日に提出し、当事者からの意見も聞くこともなく、僅かばかりの審議で強行することは、「私たちの事を私たち抜きで決めないで」という障害者の願いを踏みにじるもので断じて許されないと強調しました。
自立支援法が「延命」法案が成立しました。審議時間も僅かで法案が成立したことに強い怒りを覚えます。

アマゾンで本を注文する

先日、大好きな著者について書きました。その方の本をアマゾンで新刊本を2冊買いました。それは、それでいいのですが、どういう分けか同じ本を2冊も注文していることが、後で分かりキャンセルしようにもすでに手遅れ、早便で配達を頼んだので、キャンセルが効かない。その一冊を友人に格安で買ってもらうことにする。1155円を500円で販売する。友人もOKの返事でヤレヤレ、インターネットで注文する場合は、注意が必要であることを改めて知らされた。

プリンターのインクが切れたため、ヤマダ電機は買いに出かける。ついでに、インターネットの配線も買うことにする。いつものパソコンを使っているところが、物でいっぱいな状態でテーブルに移動してパソコンを使用するとなると、配線が短くインターネットが使えなくなるので10㍍の配線を買ってきた。無線LANを使用しているが、どういう分けか無線LANが繋がらない。もう一台はちゃんと繋がっているのに、何度やっても繋がらないから有線でインターネットに繋いでいる。
日曜なのに店の中はそんなに人がいない。エコポイントが半減になったので、買い物をする人がいない。反動からか買い物客が少なくなっているように感じた。

眼鏡も修理に出した、3日ぐらいかかるそうである。それまでは、以前使用していた眼鏡を使うことになる。その眼鏡を買って8年が経過しているので、眼鏡の部品が劣化してきているみたいである。その眼鏡は自分の顔に合わせて作っているので、ずれることはなくいつも同じところで見ることができる。汗をかいてもずれることもないので、いい眼鏡である。

友人I氏は、昨日から今日にかけて東京に出張中、組合の春闘討論集会に参加とのこと、今帰りの新幹線であるとメールが入る。今月の大会で書記長から副委員長になるとのこと、来年4月には定年を迎え、しばらくは、失業保険で飯を食うそうである。失業保険が切れれば、年金生活に入る。仕事は何かするとは思うが、とりあえず失業保険とその後は年金で生計を立てる。
友人が死んだ時は、焼酎を棺に入れてくれと言われている。お通夜は、酒盛りをしてみんなで酒を飲み見送ってほしいと言われている。その前に私があの世に行くのが早いのではないかと思っている。一寸先は闇、見えない、見えないから生きることができる。自分の命日を分かっている人などいるはずがない。分かっていると生きる気持ちが失せてしまうだろうし、死ぬ前にやりたいことをやるか、猛烈に仕事をするか、猛烈に治療に専念するかもしれない。私も2/3の人生が終わり、残された時間は限られている。今は、読みたい本をできる限り読み、仕事はぼちぼち・やろかと言う心境である。仕事をさぼろうという気はないが、仕事馬鹿の人間にはなりたくない。P協の職員やR通の職員みたいに仕事ばかりしていると、仕事しか価値観を見いだせない人間になるのではないかと思ってしまう。遊びや趣味、酒を飲みながら仕事をする人間になりたいと思っている。一生懸命に仕事をしている人には、失礼なことと思いつつ書いてしまいました。

眼鏡が一部破損、K物センターの人員配置

昨日、仕事中にオリコンがすり落ち眼鏡に当たってしまい、アームのところを破損してしまう。何年も愛用しているので、少し劣化していたのかもしれない。今日、眼鏡屋に行き修理を依頼する。

昨日は土曜日なのでK物センターの仕事はやりきりなので、PM7時15分に終了。残業である。年末を迎え、注文が多くなっているのか、別にS協で購入しなくても一般のスーパーで買った方が安いと思うのだが、冷凍部門も同じような時間帯で終了したようである。何時間もオリコンを作っていると背中の筋肉が張ったように痛くなる。慣れれば少しはましになると思うが、年を感じてしまう。
実習生が3名も休んでしまったので、昼間の仕事も職員がラインに入らなければならなくなった。職員がラインにはいると、ドーリーやオリコンの整理や支所からの帰ってくるオリコンの取り出しもできなくなる。リサイクルの整理なども時間を見て整理しているが、ついつい後回しになってしまう。
今度「Mつき」の職員会議で、土曜日に行事を入れる事について、配慮をお願いすることにする。そうでなくても、土曜日に休む人が多くなっているので、人手不足なる。最低でも20名はいなくては、回らない状況を理解してもらう必要がある。ラインは最低でも2名の配置、ラインは4ラインなので8名は必要、減箱で4名、洗浄やZP作りで3名、リサイクル部門で5名(人員が足らないとリサイクル部門で人の調子をする事になる)、合計20名は最低限必要である。補助として職員やパートさんが休憩時間や食事時間にラインにはいるので、なんとかまわる。やはり、作業所の職員はK物センターの仕事の内容を理解していないと思われる。一度、交代でもいいから一日、K物センターに来て、仕事の内容を理解してもらうことはできないかと思ってしまう。実習生が休んだりすることには別にかまわない、職員やパートさんも休んだりしているので同じである。

2010年12月3日金曜日

犬の散歩

風が強く、散歩には不向きな状況でしたが、犬が散歩をおねだりするので行くことにした。仕方なしにT緑地へ散歩へ行く。案の定、公園には人が少なく快適ではあった、犬は水を得た魚のように公園内を走り回っていました。いつものコースを歩くと風も強くなり、いつもよりは早い目に家に帰ることにしました。犬の方はまだ居たい様子でした。
18時のニュースでペットにも税金をかけるとの案が出ているみたいです。こんな事を考えている民主党は次回の総選挙で、政権の座から落ちることは間違いありません。殺処分の費用をその税金からまかなうとのこと、何を考えているのや真面目に飼っている人が何故、負担をしなければならないのか理解に苦しむ。他に無駄があるだろう、民主党さんよそんなアホな税金を考えるよりも、高額所得者から、ちゃんと税金を取りなさい。
風の影響で落ち葉が広がり、寒々とした公園内を歩くのは余計に寒く感じさせます。欧州は大寒波で交通がストップしたり、生活に影響が出ているとのこと日本でも大寒波が来れば、雪の影響で交通網はストップしてしまうことになります。地球の環境が狂いだしたのか?

今日も少し早起き

目覚まし時計を、仕事の時の設定のままで午前6時に時計が鳴る。思わず今日は仕事かと思ってしまい目が覚めてしまいました。よく考えれば、今日は仕事が休みと分ると、ホットしてまた、一眠りしてしまい、今度は9時過ぎに目が覚めてしまいました。起きると私と犬が2匹、「ふく」が顔をなめてくるので、寝ていられなく、起きてブログを書くことにする。休みの日ではないとブログの更新が出来ないので、休みの日にはまとめて書いている。
休みの日にブログを書くことが、習慣になってきた。1週間の出来事や家族のこと、仕事のこと、自立支援法の動向など思いつくままに書いているので、むちゃくちゃなブログである。
R・レーブのO氏はパソコン教室に通い出したとのこと、プリンターもいかれてしまい、今日、ヨドバシ・カメラで新品を買うと昨日言っていた。パソコン教室に通うとは、熱の入れようが私たちとは違うみたいで、向上心に溢れていて感心してしまう。私は、自己流でPCを覚えたので、教室には一度も行ったことがない。色々な資格が取得できると言っていたので、興味はあるが、何せ軍資金がない。分らないことは本を読んで理解を深める方なので、いつもそうしている。本を読んでいても分らないことが多いので、もう少しわかりやすい本を出版して欲しいと願う。
Y氏は今日はゴルフとのこと、私は生まれてこの方一度もやったことがない。やったことがないので、何も言えない。広いところで一つのボールをホールに入れる位は分る程度である。
ついでに自分の趣味は何か、パソコン、キャンプ、読書(乱読)、スキー、車も好きである。スキーは若いときは年に何回か行ったりしていたが、今は年末・年始のスキー程度になっている。車も1週間に一度乗る程度で、ほとんど車庫に止まっている。読書は、今は経済の本を集中して読んでいる。樟葉の書店や京橋の紀伊国屋に顔を出し、めぼしい本を探している。一番好きな著者は養老孟司さん本で、自慢ではないが9割以上は読んでいる。「バカの壁」以来の養老さんの本が大好きになってしまい、新刊本が出れば必ず買って読んでいるが、最近は新刊本が出ていないので寂しい気がする。インターネットのアマゾンで新刊本の検索などもしている。新刊本が出ていれば注文してして送ってもらう事にしている。、昔買った本を再度読み返したりもしている。玄侑さんの本も好きである。坊主の方で、生き方とか考え方に共感してしまうところがあるので、友達のI氏にその話をすると出家して坊主になれと言われる始末である。
本の整理もしなければ、部屋が本だらけで、私の部屋を子どもが占拠してるので、整理が出来ていない。岡山に就職が決まれば、掃除と本の整理をしなければならないと考えている。
パソコンは私にとってみれば必要なアイテムである。インターネットやメール、文書作成などほとんどPCでやっている、昔に勤めていたところでは、必要な書類(日報、支援計画、その他)はほとんどPCで書かなければならない、手書きなどは通用しなくなってきている時代である。京都の時には、自分の専用のPCを毎日持参して仕事をしていたので小さくて軽いPCでなければ、通勤が大変であったので、新しく小さなPCを購入したりもした。京都の職場にもPCは置いてあったが、それは仕事専用に使用していたので、休みの時間は自分のPCで個人的な用事を行っていました。その為、家には4台ものノートパソコンがある。子どもも使ったりしているので、自分専用のPCはパスワードを設定している。
11月の給与を引き出していなく、まだ妻に生活費を渡していない。妻は何も言わないが、心の中では早く出しなさいよと思っているに違いない。今日、引き出しに行くつもりである。
昨夜は、宗右衛門町の店からメールが入る。店の来て下さいという内容のメールである。貧乏サラリーマンが何回も行けるようなところではない。I氏と年内には一度は行く事になると思うが、一人では、行くのはためらってしまう。
公休日はこのようにして、家にいることが多くなってしまう。2台のPCに向い一台はブログを書いたり、もう一台は、メールの確認などに使用している。何とまぁ、単調な生活である。
次男が学校から帰宅した。今からピアノの練習に行くとのこと、それが終われば自動車教習所へ行くのだろうと思う。

障害者自立支援法の延命の法案

新聞報道から抜粋
今国会は12月3日で終了します。今、参議院では、障害者自立支援法の延命法案が、厚生労働委員会で採決が予定され、本会議で可決の動きがあり、障害者団体などが連日国会要請を行い、廃案に追い込もうと呼びかけています。自公政権時代に作られた障害者自立支援法は、「応益負担」を導入、批判を浴びました。民主党は、廃止を公約に掲げ政権の座に就き「障害者制度改革推進会議」で新しい法律を作る審議が行われています。今回の、法案は明記しておらず、自立支援法を「延命」するものとなっています。障害者団体からは「応益負担」の仕組みは変わっていないと指摘されています。
充分な審議も行われないまま、厚生労働委員会や本会議で可決されれば、民主党が言っていた自立支援法の廃止の公約は、嘘になります。新しい法律を作る作業をしながら「延命」につながる法律を作ることになれば、「応益負担」は残されたままになります。一度、自立支援法を一部改正し、今、推進会議で論議されている内容を新しい自立支援法のつなぎになるような法案なら納得はいきますが、「応益負担」、施設への日割り計算等々は残されたままの法案は矛盾も生じます。それらのことは何も手をつけずに可決されようとしています。

早くも師走

今年も、残り1ヶ月、1年は早いものです。私がK物センターに来たのは、昨年の10月13日で1年2ヶ月になります。仕事の流れも分かり、ちょっとは余裕がでてきたところです。1年があっという間に過ぎていく感じです。ブログにも書きましたが、子どもたちも独り立ちしていく中、夫婦2人の生活が来年から始まります。妻も変則勤務なので、休みが合う日は、あまりありませんが、まぁ、身体に気をつけながら夫婦仲良く生活を続ければと思っています。
来年はどんな年になるのか、予想はできませんが、来年も1年はあっという間に過ぎ去っていくでしょう。
仕事の関係で、来年はどこに行くのかは分かりませんが、いろいろな事業を展開すると言っていたので、ひょっとすると4月からは新しいところで仕事をすることになるかもしれません。まだ、分かりませんが?それとも、引き続きK物センターで仕事を続けるかも分かりません。万・万・万が一、新しいところにいってもR・レーブの人との交流は続けたいと考えています。Y氏やO氏との処季会や定例の飲み会など続けていきたいと思います。先日も、定例の飲み会、「くらわんか」で飲み会を行いました。仕事の話や雑多な話など時間を忘れ話をしました。今度は、忘年会を9日に行います。3名での忘年会ですが、予約も済み平八亭から確認の電話も入りました。16日は狸ばやしで飲み会を予定しています。師走になり、平月より飲む機会が増えるので、体調には気をつけながら楽しみたいと考えています。
年末、年始は、妙高高原へのスキーへ行きます。長男も一時金が出るとのことなので、一緒に行くことになります。3歳からスキーに連れて行き、今は、一人前(半人前)になり、年をとったなぁと実感します。子どもたちもこれから、結婚という時期を迎える時が、とうからず来ると思います。孫の顔を見ることもそう遠くではないと思います。

M会社の話

K物センターの休憩時間の時に、M会社の人と話をする機会がありました。失礼な質問ですいませんと、断りを入れて聞いてみました。冬のボーナスはあるのですかと聞きましたところ、そんなものあるわけないやろ、との返事。あるのは正職の人だけで、寸志も何もないと言っていました。此ではやるきもでませんわ、と実感を込めて言っていました。R・レーブは少ないながらも寸志程度のボーナスは出ますよと返事を返しました。寸志程度でもあるだけましやんか、何もないよりましやで、と言っていました。K物センターも赤字みたいで、1年や2年で赤字解消というとには、ならないみたいで、何十年間で原価償却をしていかないと黒字にはならないようなことも言っていました。M会社も厳しいみたいで、ひょっとするとM会社が撤退するかもしれないと言っていました。
ちなみに正職の人は、帽子のツバのところが黒の色の人が正職の人だと言うことも教えていただきました。それ以外は、パート、アルバイトの人だそうです。

次男の誕生会と就職祝いを開催する

昨夜は家族4人が揃い、レストランで誕生会と就職祝いを開きました。家族4名が顔を揃えるのは、以前に、光善寺のレストラン以来、久しぶりの出来事、アルバイト、仕事、等々でなかなか顔を揃えることがありませんでしたが、ワインを注文し、コースを決めるなど夕食を頂きました。
次男は、まだ就職をするという実感がわかないわ、と言ったりしていました。2年間程度は寮生活をする予定で、1週間に1回は家に帰ってくると言っていました。短大のクラス(30名)で内定をもらっているのは、9名程度とのこと、お父さん厳しいでと次男が言っていました。男では次男が一番最初に内定をもらったとのこと、他の人も懸命に就職先を見つける努力をしていると言っていましたが、厳しいようです。今は自動車教習所へ通い、車の免許の取得中、就職すれば車に乗る機会もあるので、取得中です。冗談で、親父の車をくれと言ったりしいますが、自分で働いて買えと言っています。
長男は、岡山の作業所へ行く気になっているみたいで、早速、その場から岡山の知人に連絡を入れる。今年度は、今の作業所との契約があるので、辞めることはできないみたいで、来年4月から、うまく行けば岡山の作業所で就職ができるかもしれません。一度、一緒に岡山に出向き、話をするようにしたいと思います。岡山と言っても車で2時間程度の距離、働いて自分で車を持つようになればいつでも、大阪に帰ってくることはできる距離なので、休みの日には帰ってくればいいと思っています。男はいつかは家から出て自立しないといけないと思うので、本人は不安もあると思うが、頑張って作業所の後継者として奮闘してほしいと願うばかりです。妻も岡山行きは賛成のようです。親戚もいるので、休みが連休の時には、長男を訪ねたり親戚の家に行ったりするかもしれません。
此で、我が家は福祉の仕事に就く人ばかりになりました。いいのか悪いのか分かりませんが、人間相手の仕事は、苦労もあるがやりがいもある仕事だと思います。

日産ケリー前代表取締役の保釈決定 保釈金7000万円 東京地裁

金融商品取引法違反の罪で起訴された日産自動車のグレッグ・ケリー前代表取締役について、東京地方裁判所は保釈を認める決定をしました。検察はこれを不服として準抗告するとみられますが、裁判所が退ければ、ケリー前代表取締役は早ければ25日にもおよそ1か月ぶりに保釈される見通しです。一方、...