天皇、皇后両陛下は28日午前、ベトナム、タイを訪問するため、羽田空港から政府専用機で出発する。ベトナム訪問は皇太子時代を含めて初めて。両陛下はハノイで、1945年の終戦後も日本に帰らずベトナムの独立運動に関わった「残留日本兵」のベトナム人妻らと対面する。日本兵は54年以降に帰国したが、家族帯同が当初認められず、離れ離れとなった。60年以上、夫の祖国日本を思い続けてきた妻たち。両陛下との対面を、心待ちにしている。
「シミズサン、ハルコサン」。幼い子どもを抱いた日本人男性と若い日の自分が写る白黒写真を指さし、ハノイ在住のグエン・ティ・スアンさん(93)はいとおしそうに言った。撮影されたのは1954年。「シミズサン」は夫で、写真を撮った翌日、何も告げずに日本に帰ってしまった。
自分をハルコと呼ぶのは、「スアン」がベトナム語で「春」の意味だから。夫とは、太平洋戦争末期の44年、ベトナム北部の港町ハイフォンで出会った。終戦後も帰国せず、ベトナム再統治を企てるフランスに抵抗する民族統一戦線「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に参加した残留日本兵だった。二人は家族となり、4人の子を持った。
ベトナムには大戦の終結時、進駐していた8万人余の日本軍がいた。大半は戦後まもなく帰国したが、約600人(推計)はとどまった。当時、仏からの独立を進めていたベトナムが、日本兵の経験と知識に頼って引き留めたためだ。残留兵は各地の軍事学校の教官となり、指導にあたった。
だが、54年に仏との戦いが終わると、ベトナムは中国と旧ソ連が支持する「北」と、米仏支持の「南」に分断。東西冷戦を背景に、北政府は同年11月、「西側支持」の日本の残留兵を帰国させる。妻子帯同は認めなかった。 朝日新聞より
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2017年3月1日水曜日
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