調査した奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)は、戦いを意識した強力な要塞機能を最大限備えた城と裏付けられたと説明。「豊臣氏との決戦に備えて万全を期した家康の意志が伝わってくる」としている。
江戸始図は縦27・6センチ、横40センチ。東京都立中央図書館が所蔵する最古の絵図「慶長江戸絵図」と同じ、1607~09年ごろの江戸城を描いたとされる。
千田教授によると、江戸始図は城の輪郭が黒い線で明確に示され、石垣や堀、出入り口などの構造が描写されている。本丸の内部は、大天守と複数の小天守を、石垣上に建てられた長屋「多聞櫓」でつなぎ、四方を囲む厳重なつくり。本丸南側には、城壁を互い違いにする「連続外枡形」という複雑な形態の出入り口を備えていたことが初めて判明した。
◇ 戦いに適した機能
中井均滋賀県立大教授(日本城郭史)の話 「江戸始図」は、東京都立中央図書館の「慶長江戸絵図」と位置関係などの特徴が酷似しており、同時期のものと考えて間違いないだろう。2枚の絵図からは、徳川家康が将軍としての権威を示し、戦いに適した機能を江戸城に備えたことがうかがえる。現在の江戸城跡(皇居)は家康が築いた頃とは大きく姿を変えており、記録も少ない。絵図が実際に描かれた時期については今後検証が必要だが、当時の構造を知る重要な手掛かりになるのではないか。 産経フォトより
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