1942年4月に新たに編成された日本陸軍「飛行第244戦隊」は、東京・調布基地を拠点に帝都防空戦に大活躍した精鋭部隊である。保有機は40機の三式戦闘機「飛燕(ひえん)」だった。
この部隊に44年11月、24歳の小林照彦大尉が戦隊長として着任した。小林氏は後に、B29爆撃機10機を含む、敵機12機を撃墜した「本土防空戦のエース」となる。同隊は翌12月、B29の大編隊を迎え撃ち、6機撃墜・2機撃破の大戦果を上げた。
このとき、四宮徹中尉は、B29への体当たり攻撃で片翼をもぎ取られながらも無事帰還した。中野松美伍長は、B29の真上に張り付く“馬乗り”の姿勢で、B29の胴体をプロペラで切り裂いて撃墜し、生還した。板垣政雄伍長も、最後尾を飛んでいたB29に体当たりして帰還した。
この日の武勲により、空対空特別攻撃隊は「震天制空隊」と命名された。その名の通り、B29の乗員を恐怖に陥れる一方、日本国民の戦意を高揚させた。
B29は11人の搭乗員を乗せている。従って、1人乗りの「飛燕」が体当たりして撃墜すれば、11倍の敵と刺し違うことになる。当時言われていた「一人十殺」は単なる掛け声ではなかった。
先の戦争におけるB29の被害機数はあまり知られていない。本土空襲にきた約3万機のうち、何と、陸海軍の本土防空部隊によって485機が撃墜され、2707機が撃破されていたのだ。
戦争末期の日本は、7000~9000メートルの高高度を大挙して押し寄せるB29に手も足も出せなかった-という話が横行しているが、そうではなかったのだ。帝都上空では、飛行第244戦隊が立ちはだかった。
戦後、前出の小林氏や、専任飛行隊長の竹田五郎大尉、B29を5機撃墜・7機撃破した撃墜王、生野文介大尉など、本土防空戦に活躍した面々は、航空自衛隊でも本土防空を担った。
ちなみに、竹田氏は1976年9月、ソ連のベレンコ中尉が亡命を求めてミグ25で函館空港に飛来したときの北部航空方面隊司令官だった。このとき的確に対処できたのは、かつての本土防空戦の経験からだろう。
竹田氏はその後 第14代航空幕僚長となり、さらに自衛隊制服組のトップとなる第12代統合幕僚会議議長を務めている。
戦後の日本の空も、飛行第244戦隊の精鋭によって守られていたのであった。 夕刊フジより
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