2016年7月31日日曜日

中国の顔色うかがう「属国」にはなりたくない

1979年12月12日。韓国では全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領による「12・12事態」(粛軍クーデター)で知られる日付だが、この日は世界史的にも記念日だ。米ソ冷戦終結のきっかけとなった日だからだ。

この日、ベルギーのブリュッセルで米国、英国、フランス、西ドイツの外相、国防相らが会合を開いた。出席者は10カ月にわたり協議が難航した対ソ連戦略に関する合意文に署名した。署名を行う間、彼らは核戦争の幽霊が目の前を往来するような気分を味わったはずだ。

79年に入り、ソ連は中距離核ミサイル「SS20」をポーランド、チェコに配備し始めた。西欧全域が射程圏に入った。戦術核のバランスがソ連側に傾いたことを物語っていた。致命的な安全保障上の危機に直面した西側陣営が第2次大戦当時の悪夢を思い出し、対応に苦慮したのは当然だった。

西側はソ連の核ミサイルに対抗し、「パーシング2」など米国の核ミサイルを西ドイツに配備するなど強硬な戦略で合意した。それに並行し、ソ連側と核ミサイルを同時に撤収しようという交渉も進めた。これが現代史の分水嶺となった「デュアルトラック政策」だ。万一交渉が決裂すれば、核ミサイルの配備数は増えたり、核戦争が起きたりするリスクがあった。

米国の核ミサイルを自国領土に配備しなければならない西ドイツの悩みは深かった。左派社会民主党を率いるシュミット首相はソ連から圧力を受けていた。シュミット首相は「実力の対決ではないデタント(和解)を通じた平和の実現」を信奉していた。ソ連のブレジネフ書記長と個人的に親しく、東ドイツとの対話もうまくいっていた。

シュミット首相は米ソの力の対立で「バランス役」を担うことを願った。2回もモスクワを訪問し、ブレジネフと会った。その間、米国による核ミサイルの西ドイツ配備は全く進まなかった。西側陣営からは「合意があるのに従わない西ドイツを信用できない」とする声も上がった。米情報当局はシュミット首相が裏切ったと判断した。西側陣営から不信を買ったシュミット首相は社民党内の支持も失った。シュミット首相は議会でデュアルトラック政策から手を引くことを示唆するような発言まで行った。

シュミット首相があいまいな態度を示した背景には西ドイツ国内のムードもあった。「非核平和運動」の旗の下に数十万人のデモ隊が集まった。彼あらはソ連の核ミサイルの脅威に対抗する西側陣営のデュアルトラック戦略を「戦争挑発者の政策」と断じ、連日非難した。米国とそのパートナーの国々を戦争の挑発者と見なした。しかし、デモ隊は全ての事態を招いたソ連の核ミサイル配備には言及しなかった。

シュミット政権はデュアルトラック政策をめぐる社会的混乱と同時に高い失業率、経済低迷などでコーナーに追い込まれ、最終的には議会の不信任決議で退陣した。それまで政局運営では高評価を受けていたシュミット氏がなぜ落馬したのか。それは国際情勢の変化に乗り遅れたからだ。当時はデタントのムードが薄れ、米ソの対決が高まっていたが、シュミット氏は米ソ双方とのバランス外交への未練を捨てられなかった。両大国の間で自分が主導的な役割を果たせると信じていた。自分の限界を知らなかったと言える。後にシュミット氏は「米ソの通訳という仕事に忠実だった」と評された。急流が押し寄せた決定的瞬間にどちらの陣営に立つべきかを表明できなかったからだ。

西ドイツでは次にコール首相による右派連立政権が発足した。コール首相は就任1年後に米国の核ミサイル配備を受け入れた。コール首相は「核ミサイル配備をはじめなければ、米国との関係が打撃を受けたであろうし、西側陣営の連帯は瓦解していたかもしれない」と振り返った。西ドイツの核ミサイル配備はソ連に圧力となり、1987年に中距離核戦力全廃条約の締結にこぎ着けた。それは冷戦終結に向けた信号弾であり、ドイツ統一と共産帝国ソ連の崩壊へとつながった。

コール首相は当時こう総括した。「徐々に多くの人が歴史の長い呼吸を失いつつある。長い歴史的な視点ではなく、現実にばかり縛られる世界観に満足した。そのため、自由や人権といった民主主義的な共通の価値観という問題で混乱を来し、米ソを同一視する見方が生じた。それは経済的、外交的な危機だけでなく、精神的、道徳的な危機でもあった」

南シナ海で米中の覇権争いにより新たな冷戦の構図が形成されている。終末高高度防衛ミサイル(THAAD)配備をめぐる対立はその一部分かもしれない。普段は外交的、経済的な損得を判断すべきだが、決定的な瞬間にどちらの価値観、陣営に属するかは国の運命を決定づける。最近の中国は「強い者には従え」的な態度を示しているが、果たして大国の器かどうか疑問だ。韓米同盟がなければ、韓国がこれまで中国に対し持ちこたえられただろうか。韓国は「属国」のように扱われ、中国の顔色をうかがいながら過ごすことを望まない。朝鮮日報より

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