極秘来日していたアメリカ高官
「残念のひと言です。北朝鮮のことを、あれほど率直に語ってくれる人はいませんでした。それが、こんなことになるなんて……」
沈痛な面持ちで語るのは、かつて金正男(享年45)に7時間インタビューし、計150通もメールをやりとりした「金正男の友人」五味洋治東京新聞編集委員である。
「彼が5年前から暗殺対象になっていたという報道もありましたが、北朝鮮にとって脅威ではなかったはずで、金正恩は自己の政権に相当強い危機感を抱いているからこそ、過激な行動に走ったのでしょう。
しかしこのような暴挙によって、北朝鮮情勢は、ますます不安定になっていくはずです」(五味氏)
2月13日朝、マレーシアのクアラルンプール空港のチケット・カウンターに並んでいた金正男が暗殺された。故・金正日総書記の長男で、金正恩委員長(33歳)の異母兄である。2人の若い女性が、金正男に突然近づき、毒物を浸した布で顔を覆い、毒殺したのだった。金正男は近くの病院に搬送される途中で死亡した。
まさに世界が驚愕した暗殺劇。金正恩委員長は、なぜ血のつながった異母兄を、かくも残忍な手段で葬り去ってしまったのか――。
話はいまから2ヵ月ほど前、トランプ政権誕生を控えた昨年12月17日に遡る。この日、アメリカ国務省でアジア地域を担当するダニエル・ラッセル東アジア太平洋担当国務次官補が、ひっそりと来日した。
現在63歳のラッセル次官補は、アメリカの東アジア外交のキーパーソンである。日本と韓国のアメリカ大使館での勤務が長く、'93年から'94年にかけてアメリカが北朝鮮を空爆する一歩手前まで行った核危機の際には、現場責任者だった。
オバマ政権では国家安全保障会議(NSC)のアジア上級部長を務め、一貫して北朝鮮を担当してきた。
トランプ政権が始動するや、ケリー国務長官以下、国務省の幹部は軒並み去っていったが、ラッセル次官補だけは留任している。
実はラッセル次官補が来日した目的は、翌月のトランプ政権発足を前に、今後のアメリカの対北朝鮮政策について、日本政府に説明するためだった。
ラッセル次官補は、日本政府の高官たちを前に、まずは直近の韓国政界の話題から入った。
「いま起こっている朴槿恵大統領のスキャンダルは、ワシントンとして、もうこれ以上、我慢ならなかった。だから、いろいろと後押しした。
朴槿恵大統領の長年の友人で逮捕された崔順実は、北朝鮮出身者の娘だ。彼女は密かに北朝鮮と通じていた。このままでは、韓国が国家的な危機に陥るところだったのだ……」
日本政府にしてみれば、韓国政界の混乱に北朝鮮が「関与」していたというのは、初めて耳にする話だった。
金正恩の暴発を許さない」
ラッセル次官補は、本題の北朝鮮問題に入るや、さらに語気を強めた。
「トランプ政権になっても、オバマ政権時代の対北朝鮮政策は引き継がれる。いや、さらに一歩踏み込んだ政策を取ると、日本には覚悟してもらいたい。
周知のように、ワシントンがいくらプレッシャーをかけても、金正恩政権は、核及びミサイル開発をストップしない。それどころか、今年は核実験を2回、ミサイル実験を23回も強行した。その結果、北
朝鮮の軍事能力は、もはやワシントンが看過できないレベルまで達してしまった。
それに対して、北朝鮮の抑止力になるべき韓国は、経済力でははるかに北朝鮮を上回っているのに、まるで抑止力になっていない。それどころか政治的混乱が当分の間、続くだろう」
日本側は、ラッセル次官補の言葉を、じっと聞き入っていた。
そんな中、ラッセル次官補は、核心の問題に言及した。
「ワシントンとしては、近未来の北朝鮮を、アメリカ、中国、ロシアの3ヵ国による信託統治にしようと考えている。
このままでは近い将来、必ずや金正恩が暴発するだろう。そのため金正恩が暴発する前に、こちらから行動に出なければならないのだ」
中露を説得できるのか?
それは、日本政府高官たちにとって、にわかには信じられないプランだった。
そこで日本側は、二つの質問を浴びせた。一つ目は、「中国とロシアへの説得はどうなっているのか?」というものだった。
ラッセル次官補が答えた。
「それは、(トランプ)新政権が発足してからの作業になる。
もちろん中国とロシアが、ワシントンの提案に簡単には乗ってこないだろうことは覚悟している。だが、このままではもう北朝鮮問題は袋小路なのだ。国連安保理で何度、制裁決議しても、無意味ではないか。
だから新政権では、オバマ時代と違って、より積極的なプランを進めていくつもりだ。そしてこのプランに、中国とロシアを巻き込んでいく」
その言葉は、自信に満ちていた。
日本側の二つ目の質問は、「日本にはどのような役割を期待しているのか?」だった。
この問いに対しては、ラッセル次官補は、やや表情を和らげて答えた。
「日本は小泉(純一郎)政権時代に(2002年9月)、北朝鮮と『日朝平壌宣言』を交わし、国交正常化を実現しようとした。その際、国交正常化したら、35年の植民地支配の賠償に代わる措置として、北朝鮮に多額の経済協力を実施することになっていた。
その経済協力をお願いしたいのだ。米中ロ3ヵ国による北朝鮮の信託統治には、多額の費用がかかるからだ」
小泉首相が訪朝し、金正日総書記と「日朝平壌宣言」にサインした時、私も同行取材で平壌に行っていたので、よく記憶している。当時、「1兆円の経済協力」という言葉が飛び交っていた。
1965年に日韓が国交正常化を果たした際、日本は韓国に、3億ドルの無償援助と2億ドルの有償援助を行った。この計5億ドルを'02年の物価に換算すれば、約1兆円になるというのだ。
そのため日本政府は、金正恩政権とであれ、信託統治下の政権とであれ、日本が北朝鮮と国交正常化を果たした暁には、北朝鮮に対して1兆円規模の経済協力を行う覚悟ができている。
さらに日本側は、二つの重要な質問を発した。
一つは、北朝鮮を信託統治するためには、現在の金正恩政権を転覆しなければならないが、それはどうやって遂行するのかということ。もう一つが、金正恩政権が崩壊したと仮定して、米中ロの信託統治の体制で、いったい誰が北朝鮮のトップに就くのかということだ。
残念ながら、この二つの質問に対するアメリカ側の回答は、はっきりしていない。だから推測するしかないが、いまにして思えば、トランプ政権のプランには、金正男を「ポスト金正恩」として擁立するというオプションが、俎上に上っていた可能性が高い。
金正恩委員長はその情報を得たからこそ、躍起になって金正男暗殺を厳命したのではないか。
その時、習近平は
トランプ政権が考える「金正恩政権転覆」と「次のトップ擁立」は、大変重要な問題なので、それぞれ分けて考えてみたい。
まず、トランプ政権が金正恩政権の転覆を検討した場合、最も重要な作業は、長年にわたる「北朝鮮の後見人」中国を、いかに説得するかということだ。
実は一度、アメリカから中国に、金正恩政権の転覆を持ちかけたことがある。'13年12月4日、北京の人民大会堂で習近平主席と5時間半も会談したバイデン副大統領が、こう提案したのだ。
「あの北朝鮮の若い指導者(金正恩)は、もうもたないのではないか? そろそろ米中両国で、北朝鮮の現体制崩壊後の統治の仕方について話し合おうではないか」
この時、習近平主席は、バイデン副大統領の突飛な提案を聞いて、驚いてしまった。それまで中国内部で、金正恩政権崩壊後のシナリオについて話し合ったことなど、一度もなかったからだ。
そこで「引き続き様子を見よう」と言って、お茶を濁したのだった。
この時、アメリカは、まもなく金正恩が、北朝鮮ナンバー2の張成沢・朝鮮労働党行政部長を処刑するという、政権最大の賭けに出ることを見通していた。実際にそれからわずか8日後に、張成沢は処刑された。だが習近平主席には、そこまで詳細な情報は報告されていなかった。
バイデン副大統領は威勢よく提案したものの、オバマ大統領には、北朝鮮と一戦交える覚悟はなかった。'13年8月に、ようやくシリアを空爆すると決断した時にも、議会の承認を得てからと躊躇したほどだった。
だが、トランプ大統領は違う。外務省関係者が語る。
「トランプ大統領の政治を一言で言えば、『雇用ナショナリズム』だ。アメリカ国内の雇用を増やすためなら何でもやる。
軍需産業の雇用を増やすには、中東のIS(イスラム国)と東アジアの金正恩政権を滅ぼす行動を起こすのが、一番手っ取り早い。それぞれ周辺国に多額の武器輸出もできるからだ。
北朝鮮に関しては、史上最大規模の米韓合同軍事演習を、3月に予定している。いつでも『実戦』に移せる演習だ」
ポスト金正恩の名前
これに対して、金正恩政権も対抗心を露にしている。安倍首相とトランプ大統領がフロリダの大統領の別荘でディナーを共にしていた日本時間2月12日朝、中距離弾道ミサイル北極星2型を発射した。
「金正恩委員長は、今年の国民向け新年の辞で、『ICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験の最終準備に入った』と述べたが、あの言葉は事実だ。
本当にアメリカ大陸に落としたら戦争になるので、アメリカ大陸とハワイとの間の太平洋上に落下させるつもりでいる。発射時期は、3月の米韓合同軍事演習の終了後が有力だ」(北朝鮮の事情通)
今後、米朝の神経戦が本格化すると思われるが、中国はどう考えているのか。中国の外交関係者が語る。
「習近平主席が望んでいるのは、地域の安定であって金正恩政権の安定ではない。金正恩政権の安定を望むなら、この4年間で一度くらい金正恩委員長と首脳会談を行っているはずだからだ。
今後、北朝鮮有事が起こって金正恩一家が中国に亡命を求めてきても、『黄長燁方式』で対処することに決めている。すなわち、'97年に黄長燁・朝鮮労働党書記が北京の韓国領事館に亡命を求めた際、2ヵ月ほどの滞在しか認めなかったように、金正恩一家にも、すぐに第三国へ移ってもらうということだ」
それでは今後、北朝鮮有事になった場合、アメリカは誰を「ポスト金正恩」に据えるのか。
長男の金正男が消されたいま、平壌在住の次男・金正哲(34歳)の名前が真っ先に思い浮かぶが、その選択肢はないだろう。
私は以前、中国で金正哲に、10時間にわたって話を聞いたことがある。だが、彼がまったく政治に関わる意思がないことは明白だった。
金正恩が父・金正日の「強さ」と「非情さ」を継いだとすれば、金正哲は母・高容姫の「女々しさ」と「優しさ」を継いだ。およそ政治家向きのタイプではないのだ。
代わって「本命」になりそうなのは、金平日・駐チェコ大使(62歳)である。
金平日は、建国の父・金日成主席と、後妻の金聖愛との間に、朝鮮戦争休戦直後の1954年に生まれた。金日成総合大学を優秀な成績で卒業し、朝鮮人民軍の護衛司令部や総参謀部の要職を歴任した。
だが'74年に、金日成主席の後継者が異母兄の金正日に決まったことで、'79年にユーゴスラビアの北朝鮮大使館に転出。'88年以降、駐ハンガリー大使、駐ブルガリア大使、駐フィンランド大使、駐ポーランド大使などを歴任し、'15年から駐チェコ大使を務めている。
その間、'94年に北朝鮮核危機が起こった時、金日成主席は金正日を一時、軟禁し、金平日を平壌に呼び戻した。そして、訪朝したカーター元米大統領との会談に同席させ、「金平日後継」を印象づけたのだった。
だが、この米朝会談の翌月に金日成主席が「怪死」し、金正日が復活。金平日は再び国外に放逐された。
その意味で、金正恩政権の転覆を画策するトランプ政権の新たな「意中の人」が、金平日駐チェコ大使と言えるだろう。換言すれば、最も命が危険な人物ということだ。
いずれにしても、今後トランプ政権は、金正恩暗殺もオプションに入れてくるだろう。
北朝鮮有事は、すでに始まっている。 週刊現代より