2015年8月30日日曜日

バーチャルリアリティーで演奏可能に

ピアノやサックスを演奏した経験がない人も、腕に巻き付けるだけで指が勝手に動き出してメロディーを奏でられる――。こんなウエアラブル機器を世に送り出した日本企業が、今度はゲーム内のキャラクターと指の動きを一体化できるコントローラーを開発した。同社を創業した女性科学者がこだわるのは「触覚」。仮想現実(バーチャルリアリティー=VR)技術では視覚や聴覚に訴える機器が多いが、次の本命は触覚だとみている。最先端のテクノロジーの現場に迫った。

ベンチャー企業のH2L(東京・千代田)が開発した「ポゼストハンド」を体験した。記者が全く触れたことがないサックスや琴を、吹いたり弾いたりできるかを試すのが目的だ。ポゼストハンドは血圧計より細めのベルトと、基板などが内蔵された箱状の本体からなる。片腕に2本のベルトをぐるりと巻く。ベルト裏面には14の電極パッドがあり、各電極から1本ずつコードが本体につながる。肘と手首の間にはめ、隙間がないようぴったりと肌に密着させる。

「少しずつ電気を流していきますので、痛かったら教えてください」と、同社創業者でチーフリサーチャーの玉城絵美さん(31)。少し緊張する。玉城さんがパソコンのキーボードをたたきながらプログラムを微調整するたびに、電極と接する肌の様々な地点にビリリッと電気を感じる。力を抜いているはずなのに人さし指の第2関節が曲がったり、5本の指が伸びたり。不思議な感覚だ。電気が体を流れる感触は、肩こり解消などに使う低周波治療器に似ている。

事前の調整作業は5分ほどで終わった。ユーザーによって体格が違うため、この過程を通じてどの筋肉が動くとどの指が動くかなどを確認し、電気の出力パターンを自動学習するという。サックスのマウスピースの吹き方と指使いを教わり、それなりに音が出せる状態になったところで、いざ「演奏」へ。指を各キーに添え、後は身を任せた。手指が知らず知らずのうちにキーを押したり離したりし、楽器は4小節ほどのメロディーを奏でた。

玉城さんは「自分の脳から信号が来たと勘違いして、筋肉が動いているんです」と説明する。人が指や手首を動かす際には脳から筋肉に指令が送られ、微弱な電気信号が流れることで特定の筋肉を動かす。これを疑似的に再現しているという。ポゼストハンドは1台80万円。2013年2月から合計で、研究機関などに数十台を販売した。

H2Lはこのほど、第2世代の「アンリミテッドハンド」を開発。今度は一般消費者向けで、ゲームコントローラーとして量産し、早ければ9月にも予約販売を始める。ポゼストハンドを大幅に小型化し、パソコンと無線通信できるようにしたため、コードはいっさいない。シリコンゴム製のバンドを腕にはめて指を3次元で動かすと、画面の中のキャラクターも指1本1本が同じように動く。「格闘技のゲームで敵からパチンとたたかれたような感覚や、ゲーム内に登場するものに本当に触れているような感じが味わえる」(玉城さん)。

玉城さんは早稲田大学人間科学部で助教を務め、アカデミアと実業界で二足のわらじを履く。東京大学の博士課程に在籍していたころから、ポゼストハンドの技術の研究を進めてきた。原理や動作実験の結果をまとめた論文を10年に学会で発表すると、「装置ごとほしい」と問い合わせが殺到。似たアイデアは昔からあったものの、実現につながる技術が確立されていなかったためだ。同じ研究室だった岩崎健一郎さん(31)と12年に共同で会社組織にした。

玉城さんの原点は、高校から大学時代を病院のベッドで送った経験だ。先天性の心疾患で体調を崩し、約4年にわたり入退院を繰り返した。同室の入院患者らが訴えていたのが「外に出られないのがつらい」という声。家族や友人が観光地で城壁を触ったり、ビーチで海水や砂をすくったりしている感覚をそのまま、室内にいる人も味わえる装置があったら。「世の中にないなら自分でつくってしまおう」と決意した。

手術の成果もあって日常生活を普通に送れるまでに回復。大学に進むと学部ではソフトウエア、修士課程ではロボット、博士課程では人とコンピューターをつなぐ技術を学んだ。人体の筋肉や神経系統も熟知する必要があるため、生理学の知識も吸収した。H2L最高経営責任者(CEO)を務める岩崎さんは「実現したい世界に向かってまっすぐ向かっていく馬力はブルドーザーのよう」と評する。

故郷・沖縄のベッドで着想してから十数年。「遠隔地にいる人に触覚を伝える」夢はただの空想に終わることなく実際の製品として実を結んだが、精度など実用面ではまだ改良の余地がある。

「いまの製品ではまだ冷たいとか温かいということまでは伝えられないので、次はそうした研究をしていかなければ」。玉城さんに立ち止まる様子はない。「においや味覚などといった感覚も10年先20年先には再現できるかもしれない」。目指す高みは、人間に寄り添い、人間の能力をあげるコンピューター。「(スマートフォンで一般化した)マルチタッチパネルでは普及に20年かかったが、うちの製品はもっと早く普及させたい」。そう語る横顔に、事業家としての執念がのぞいた。
日経新聞より

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