戦時徴用はいわば世界共通のもので、少なくとも日本では法律に基づいて行われ、給与や厚生面などは終戦の混乱期を除き適宜管理されていた。
徴用の法律である国家総動員法の国民徴用令は、内地では昭和14年4月から実施されたものの、朝鮮人への適用は当初免除され、実施は5年半後の19年9月からだった。しかも朝鮮から内地への徴用派遣は、20年3月に関釜などの連絡船が途絶えたため、7カ月間しか行われなかった。
徴用適用以前にも、労務動員として企業による募集や行政による斡旋が行われ、多くの朝鮮人が高待遇な仕事を求め自らの意思で応募した。中には内地での労災事故で死亡した人もおり、遺族に補償した記録もある。
日本の敗戦を知った朝鮮人の多くは態度を一変させ、何から何まで日本が悪いことにして攻撃した。戦時の労務動員も冒頭の如く「強制労働」となった。日本の韓国併合も「朝鮮のすべてを奪った」と非難する。確かに主権を失わせたが、自治に近い統治を行い、悪弊を改め生活や文化を向上させた。
当時の李朝は国家存立の能力を失っており、日本が半島に出て行かなければ、南下の牙を剥くロシアに呑み込まれたはずだ。ロシア支配では暮らしや文化がどうなったか、説明するまでもないが、半島人は自らの実態を直視せず、都合いいの「自分史」を創作し続ける。
「朝鮮人は嘘をつく。まだシナ人の方がましでしたよ」とは、戦前の半島に暮らした老婦人の言葉だ。韓国併合で朝鮮人と接して、その「嘘」に驚いた日本人は少なくなかった。
ところが、彼らに「嘘をついている」という感覚はない。自分のため、生き残るためなら事実と違うことを主張するのは当然という考えが染み付いているのだという。
初代韓国大統領李承晩は、GHQが占領下の日本漁船の操業範囲を区切った「マッカーサーライン」に便乗し、一方的に「李承晩ライン」を宣言。あたかも国境のように主張して、日本漁民を排除し、拿捕の際に射殺したり抑留して虐待したりした。
後の大統領朴正煕になって日韓条約締結交渉が行われた50年前、すでに韓国は李氏朝鮮の王朝正史よろしく、自分の都合のいいように歴史を作り変え、竹島を「韓国固有の領土」と主張した。
締結交渉でも韓国による竹島不法占拠を国際司法裁判所に持ち込もうとする日本に対し「国交正常化後でもこの(竹島)問題は交渉できる」とはぐらかした。さらに「両国間の紛争に竹島は含まない」とする要求を日本が拒絶すると「韓国に帰って紛争に竹島は含まれないことで了解されたと言明しても、すぐに反論しないでほしい。我々の命にかかわる」と日本を牽制しつつ、竹島が紛争事項でないことを既成事実化した。
戦後韓国のこの振る舞いを、藤井賢二氏が別冊正論「総復習『日韓併合』」で克明に検証しているので、お読みいただきたい。
韓国は、日本からの多大な経済協力で高度成長を遂げたが、日本に感謝するどころか、平然と後足で砂をかけた。
あの「河野談話」の前段となる「慰安婦」聞き取り調査では、「元慰安婦として信用できる人物をそろえる」と言ったが、でたらめな人物をそろえた。日本側は徹底調査でも「強制」の「き」の字も確認できなかったが、韓国は「強制的に慰安婦にしたことさえ認めてくれれば事は収まる」とそそのかし、官房長官だった河野洋平がそれに乗った。
韓国は事を収めるどころか、しめたとばかりに河野談話を「証拠」として「性奴隷」とまで喧伝するようになった。そしてこのたびの〝世界遺産事件〟。
700年前の元寇は、時の高麗王がモンゴル皇帝に取り入って生き延びるために日本遠征をそそのかし、自らその手先となって壱岐・対馬で残虐の限りを尽くした。
何も変わっていない。700年前も、50年前も、そして今も。血は争えない。変わらないし、変われない。産経ニュース
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