2017年5月21日日曜日

超怖い未解決事件「箱の中の男の子」が謎すぎる

アメリカには数々の未解決事件があるが、その中でも今回紹介する事件は長年にわたり多くの人が謎の解明を試みたが、今もって未解決の奇怪かつ不気味な事件である。

■ダンボール箱の中に男児の死体

1957年2月25日、フィラデルフィア州のサスケハナ・ロードで、ある男が野生動物に仕掛けた罠の様子を調べに行った時、不思議なダンボール箱を見つけた。はじめ、その箱には人形が入っているように見えたが、近づいてみると箱の中の“それ”は人形ではなく、身長1メートルにも満たないの裸の男の子の死体であった。

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男の子の死体が入っていた箱 「Mysterious Universe」の記事より

実は、その発見者は密猟行為をしていたために迷ったが、数日後に警察に通報した。警察は、この男の子は4~6歳だが年齢の割に小柄で、もともと重度の栄養失調状態であり、身体はひどい打撲傷で覆われていると発表した。
 
また男の子の髪の毛は、死の直前か直後に急いで刈られたようだということもわかり、遺体には切られた髪の毛がたくさん付着していた。そして男の子の爪はきれいに切りそろえてあり、身体をさらに調べると、より興味深い手掛かりが得られた。

遺体は死ぬ直前、または直後に水に浸かっていたことが判明したのだ。さらに男の子は、慢性的な眼の病気に罹っていた可能性があるうえ、足首と鼠径部には手術を受けたことを示す傷痕もあった。

死因は頭部に強い打撃を受けたことによるものと判断されたが、確かではない(1957年当時の検死技術はそれほど高くなかった)。

犯行現場に手掛かりは幾つもあった。男の子の死体の入っていた箱はデパートの「JC Penny's」のもので、揺りかごを入れるために使われていた。箱には製造者番号と、現場から24キロメートル離れた場所にあるJC Penny'sの支店名と住所まではっきり印刷されていた。

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 「Mysterious Universe」の記事より

箱が置かれていた現場からそれほど離れていない場所には、一風変わった皮ひもが付いた帽子も見つかった。男の子の指紋を採取し、彼の写真を多数の場所に配布した当局は、すぐに犯人が見つかると考えていた。しかし後に、彼らの初動は間違っていたことが証明されることになる。

■全米中で捜査が行われる

問題の箱は、記された通り支店で販売された12の揺りかごの箱の1つであることが判明したが、購入者たちは現金で支払っていたため記録が保管されていなかった。購入者のうち8人はニュースを聞いて名乗り出たが、残りの4人は結局、確認にも至らなかった。また、見つかった帽子も犯人の手がかりには結びつかなかった。

同支店はハンナ・ロビンズという女性が個人経営する店舗で、彼女は揺りかごを購入した怪しい男性をはっきりと記憶していたが、彼に関する情報は何も残っていない。当局は少年と帽子の写真を持ち、地域全体の全ての家を訪ねたが、男の子もこの帽子も見た記憶がある住人はいなかった。

この事件でも最大の謎は、男の子の身元だった。採取した指紋は病院の記録や広範囲にわたるデータベースを通じて調べられたが、合致するものは1つとして存在しなかった。また、メディアはこの男の子を「The Boy in the Box(箱の中の男の子)」と呼び、全米中に何十万枚ものチラシを配り、FBIを含め、数え切れないほどの法執行機関が告知したにもかかわらず、男の子が誰であるか知る者は一人として見つからず、家族、友人、医師からの情報もなかった。

全米中の孤児院にも調査は及び、またアメリカ医師会は男の子の手術痕から、手術を行った医者が彼を知っていることを期待し、少年の外科的外傷の詳細まで配ったが、何の情報も得られなかった。

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男の子が生きている時の顔を復元した写真 「Mysterious Universe」の記事より

捜査は全く進展せず、結局1957年7月24日に未解決事件と判断され、この男の子はポターズフィールドに葬られた。その時の費用は、捜査官たちがお金を集めて寄付したという。

事件は完全なコールドケース(未解決)として扱われることになったが、何人かの捜査官や刑事は納得せず、霊能者まで雇ったがそれも徒労に終わった。1998年には、現代の科学捜査技術がこの事件を明らかにすることを期待して、DNA抽出のために男の子の遺体が掘り起こされた。しかし当然ながら保存状態が悪く、何の手掛かりにもつながらなかった。

■有力ないくつかの仮説

ところで、この事件にはいまだにささやかれるいくつかの仮説がある。

1. 孤児院での死

死体が見つかった場所から、わずか2.5キロメートル離れた所に孤児院があった。検死医のレミントン・ブリストーは本事件を追い続け、ついには霊能者まで雇ったが、その霊能者は男の子が孤児院にいたことを指摘したという。

当時この孤児院には、男の子が入っていたJC Penny'sの箱が示すタイプの揺りかごと、死んだ少年が包まれていた毛布によく似たものがあったという。ブリストーは孤児院の主もしくは関係者が、この男の子を故意または事故で死に至らしめたと疑ったが、証拠は皆無であった。

2. 里親の虐待による死

2002年には、オハイオ州シンシナティの「M」と呼ばれる匿名の女性が「この男の子を知っている」と訴えている。Mの母親が1954年、男の子を生みの両親から現金で購入し、肉体的、心理的、性的に虐待のうえ殺したとMは警察に証言した。そして、Mの母親が男の子をバスタブに投げ入れた時、男の子が頭をぶつけて死んでしまったと語ったのだ。

このストーリーは細部が事件の証拠と合致していたため、警察は当初、非常に有望だと考えた。しかしその後、Mという女性には精神病の病歴があることが判明、また当時Mの隣人だった女性が、Mの説を強い意志を持って否定したことから捜査は再び振り出しに戻ってしまった。

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再び埋葬された男の子の墓 「Mysterious Universe」の記事より

1993年に死去するまで数十年にわたり、男の子の死を辛抱強く追ってきた検死医のブリストーは、この事件が単なる冷酷な殺人ではないと強く信じていた。その理由は、男の子の髪と爪がきれいに手入れされていたことと、彼の身体が洗われた後、丁寧に箱に入れられていたという事実があるためである。ブリストーは、男の子を箱に入れた人物は彼を埋葬しようとしていたが、埋葬前に何らかの理由で中断され、そこに置き去りにせざるを得なかったと考えていた。

男の子の身元がまったくわからず、手術痕があるにもかかわらず医療関係者から一件の通報もないことなど、実に不可解な難事件である。この男の子はどこで生まれて、どのような生活をしていたのだろうか。発見当時は虐待死という見方が強かったが、一部の捜査関係者は男の子のアザについて、死後に付いた“死斑”だと考えていたことも明らかになっている。

もしも当時、現代の検死技術があればこのアザが生前の暴力によるものなのか、死斑なのかはすぐ区別がついただけに、何とも残念なことだ。関係者のほとんどは亡くなっていると思われるが、いつの日かこの事件の謎に光が射す日は来るのだろうか。 トカナより

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