2017年5月31日水曜日

チベット仏教の重鎮が説く「良く死ぬための方法」7 .

チベット仏教ニンマ派僧侶、ソギャル・リンポチェ師(70)。欧米を中心に仏教の普及に尽力された、現代チベット仏教界の超重要人物の1人である。また、チベット仏教における最奥義の1つ「ゾクチェン(大究境)」をマスターしたラマであり、卓越した智者としても知られている。
 
今回、オルタナティブニュース「EWAO」が、そんなソギャル師が語る“死”についての貴重な7つの教えを、著書『チベットの生と死の書』を参考に紹介している。チベット仏教の死生観と幸福観を知るにはうってつけの内容だ。

チベット仏教界の重鎮が教える良く死ぬための7つの方法! 私という牢獄から解放へ!の画像2
画像は「Thinkstock」より引用

■幸福な死を迎えるために

ソギャル師曰く、死は自然のプロセスの1つに過ぎず、また、死は誰に対しても必ずやって来るため、それを恐れることに意味はないという。ただ、死はいつどのように訪れるか分からないため、無闇に死を恐怖しないためにも、死に備えることは賢明だと語っている。
 
仏教的には暴力、怒り、執着、恐怖に満ちた人間は幸せに死ぬことはできないため、まずはこういった心の悪習を絶つことが不可欠とのこと。良き死を迎えたいならば、なによりも良く生きる方法を学ばなければならない。

1、習慣的な不安から抜け出すこと
 
ソギャル師曰く、心の平穏を手に入れるためには、「習慣的に染み付いた不安を解き放ち、自己の本性へ立ち返る必要がある」という。そこで有効となるのが、イメージトレーニング(瞑想)である。

普段抱いているさまざまな感情、とめどなく流れ続ける思考といったものを氷やバターの塊のようなものととらえ、それが太陽の下でドロドロに溶ける様子をイメージする。

この観想イメージにより、溢れ続けていた思考が1つにまとまり、否定的な感情が解体され、混乱や無理解が胡散霧消してしまうそうだ。その後に残るのは、広大で曇ひとつない青空、つまり心の本性だという。

ニンマ派ではこのようなイメージトレーニングをよく行うそうだ。といっても、単なる想像といったレベルではなく、たとえば、自身の目の前に神仏がリアルに存在すると感じられる程度にまで習熟する必要があるという。

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画像は「Thinkstock」より引用

2、己を知ること

ソギャル師曰く、「我々は生まれてからずっと自己とともにある。しかし、この身近な存在である自己に出遭うことは難しい」という。それというのも、日々の雑事や気晴らしに明け暮れるばかりで、己に向き合うことがほとんどないからだ。一方、瞑想は常に自己との対峙といっても過言ではない。“本当の私”に出遭うためには瞑想が最も確かな方法かもしれない。

3、霊的真理は特別ではない

ソギャル師曰く、「スピリチュアルな真理は、難解でも秘教的でもなく、むしろ、我々の深層にある共通知識(常識)」だという。瞑想を通して心の本性に出遭った時、全ての物事がシンプルに見通せるようになるとも。

瞑想に習熟することで、徐々にブッダにも近づくことができるが、「ブッダになるということは、万能のスピリチュアル超人になるということではなく、本当の人間になるということ」だという。

4、瞑想が精神を解放する
 
ソギャル師曰く、「我々はあらゆる物事を誤解するために精神活動を用いている」という。心はすぐに真理から離れる傾向があり、少しでも気を許せば、あらゆる中毒にはまり、自分を見失った奴隷状態に陥ってしまう。この状態から脱するためには、瞑想で精神の悪習を断つ必要があるとのことだ。

さらに、「瞑想を学ぶとは、自分自身に対する最高のギフト」だとも。心の本性に到達できるのは瞑想を通してだけであり、よく生き、よく死ぬために必要な平穏と自信を見つけ出すことができると語る。「瞑想こそ悟りに至るための道なのです。あなたの心に何が起こっても、それに執着せず、あるがままにしておきなさい」

5、思い通りにはならない

ソギャル師曰く、「未来の計画を立てるということは、干上がった川に釣りに行くようなもの」だという。当たり前のことであるが、全ての物事が思った通りに行くわけではない。計画や野望といったものは執着の原因にもなるので、捨ててしまった方がいいとまで語っている。

6、無常と謙虚さ

ソギャル師曰く、「生まれたものは必ず死にます。集められたものは必ず散ります。蓄積されたものは消費されます。建てられたものは崩れます」とのこと。全ては無常であり、何ひとつとして変化しないものはない。この真理を悟らないことで、執着心が生まれ、恐怖や死への嫌悪なども増幅される。“無常の真理を謙虚に受け入れること”が大切ということだ。

7、分別の視覚的イリュージョン

ソギャル師曰く、「人間は全体の一部、つまり時間と空間に限られた宇宙の一部分に過ぎませんが、我々はそれぞれの視点を持ち、その視点からしか物事を見ることができないため、自分以外のものは自分とは関係がないと思いがち」だという。そして、瞑想の目的、ひいては仏教の課題は、「私という牢獄からの解放」にあるとのことだ。

物事を自分の視点から解釈してしまう精神の働き「分別」を離れること、これが幸せに死ぬために必要である。それは、あたかも慈悲の輪のなかに、一切衆生と森羅万象を包みこむようなものだという。

如何だったろうか? ご覧のようにチベット仏教では、幸福に至る手段として、瞑想がかなり重要な位置を占めているようだ。実践することは難しいかもしれないが、その基本にあるアイデアは普遍的なものだと言えるだろう。興味のある読者はソギャル師の著書を紐解いてみるのも良いかもしれない。 トカナより

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