2017年5月27日土曜日

死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い

生きたまま火葬される恐怖

「小学校2年生のとき、『自分が死ぬこと』ばかりを思って、毎晩のように泣いていました。たとえ死んでも、人の意識はしばらく肉体に留まっていると考えていたからです。その状態で火葬されれば、棺が炎に包まれて、棺の中にいる私に刻々と迫ってくる。あるいは、土葬で埋められた私の体中に蛆が湧きはじめる。それを思うと恐ろしくてどうしようもなかったんです」

そう語るのは芥川賞作家で臨済宗妙心寺派福聚寺の玄侑宗久住職だ。

人は必ず死ぬ。たとえ、どんなに老いに抗い、健康を維持しようと努めても、死は万人が受け入れざるを得ない宿命だ。

では、死ぬ瞬間とは一体、どんなものなのか。暗闇に入るものなのか、痛いのか、何も感じないのか。

日本では年間約100万人が亡くなっている。しかし、その瞬間を正確に伝えてくれる人はもちろんいない。だからこそ、誰にとっても未知の領域に属する「死」は怖いと言える。そんな死について少しでも実感するため、次に紹介するALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者のケースを知っておくことは貴重だろう。

ALSの罹病率は10万人に一人。ある日突然、身体に異変が起こり始める。原因不明、治療法はなく、全身の筋肉が不随になり、最後は呼吸筋も働かなくなってしまう。

言ってみれば、ALS患者にとっての日常は、常に昨日までできたことができなくなってしまうことを自覚する日々でもある。意識と思考は鮮明なのに言葉を話すこともできなければ、食事も排泄の処理もできない。嚥下機能が失われているため、周囲は24時間、痰や唾液の吸引に追われる。中には「死にたいと思っても自殺することすらできない」という患者もいるのだ。

相愛大学人文学部教授で浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗氏がALSを患った知人男性について語る。

「以前はわずかに動く右手を使い、一日1行だけ日記を書いていましたが、今はそれもできない。彼は天涯孤独の身で多くの人たちの助けを借りながら、生命を維持し、毎日、ただ瞑想をしています。瞑想がうまくいくと『明日も生きよう』という気持ちになる。そうやって、彼は毎日を懸命に生きているのです」

光に包まれた世界が見える

このように死の一歩手前で踏みとどまり続ける人々がいれば、医師から死亡宣告された状態から生き延びた人もいる。

バイクで走行中、信号無視の車に突っ込まれて転倒し、対抗車にも轢かれた40代男性のAさんは脳挫傷と大腿部の複雑骨折を負った。

「最初に搬送された病院では手に負えず次の病院に向かう際、ふと意識が戻り、医者が家族に『もうあきらめてください』と言っている声が聞こえ、怯えました。手術室の照明は今でも覚えています。この灯りが見えなくなったらオレは死ぬと言い聞かせて目を見開き、術中は『麻酔をしてくれ』と叫び続けたつもりなのですが、実際には声は出ておらず目も閉じていたそうです。再び意識が戻ったのは事故から3日後、集中治療室でのことでした」

生と死の行き交う医療現場で働く医師たちは、しばしばこういった患者たちの「臨死体験」に遭遇する。

ホームオン・クリニックつくば院長で『看取りの医者』の著者である平野国美氏はこう語る。

「死の淵から生還されたあと、〝三途の川を渡りかけた〟〝キラキラ光る世界が見えた〟とおっしゃる患者さんは何人もいます。ここで死ぬんだと思っていると、突然、ほっぺたを叩かれたような感じで、こちらの世界に引き戻されるらしい」

にわかには信じられないが、実は臨死体験をしたと語る人の体験談を聞くと、その内容には多くの共通する部分があるのも事実だ。

アメリカの心理学者であるケネス・リング氏は自著『Life at death』で臨死体験のある102人の男女にインタビューをしている。それによれば、彼らは「光に向かう」「死を自覚している」「暗闇やトンネルに入る」「自身が身体から離脱する感覚がある」「(死んだ知人などの)人物、影を見る」「痛みの消失」など幾つかの核となる共通の体験をしているという。

例えば、前述した「光」について、呼吸困難から生還したアメリカ人女性はこう語っている。

〈私は原っぱにいました。広い何にもない原っぱです。丈の高い、金色の草が生えていて、それがとっても柔らかくて、輝いていました。(中略)気持ちの休まる光でした。草は揺れていました〉

育った国も、臨死状態に至った原因も異なるのに、なぜ人間は死の間際に同じような風景を見るのか。

前出の平野氏はこの現象についてこう分析する。

「人はある種のショックを受けた時、痛みを感じなくさせるために脳内麻薬を分泌します。昏睡状態に入る際も作用し、それが出た状態で見える世界が日本では三途の川と言われる世界だと思います」

なかなか明快な答えは出ないが、先のリング氏のインタビューに応じた人のうち、実に70%もの人が臨死体験中に恐怖を感じることはなく、むしろ安らぎを覚えたと語っている。この事実は死を怖いと感じる人間にとっては、怖さを和らげる一助にはなるのではないだろうか。

もちろん、死に直面したとき、人は誰しも臨死体験をするわけではない。

前出の玄侑氏は自身の不思議な体験を語る。

「死とは『私』がほどけていく過程なんです。暑いのも、苦しいのも、痛いのも『私』であり、その『私』がどんどん変性しながらほどけていく。

私は中学3年のとき、日本脳炎にかかって意識不明に陥ったんです。ところが、担当の看護士さんによると、昏睡状態のはずの私はベッドの上でちゃんと目を開け、身体を動かしていたという。いわば、私の身体がコンピューターだとすれば、ユーザーだけが急に替わってしまったような不思議なことが自分の身体に起きていた。この体験から人間が死ぬということは私が私だと思っている存在が〝無〟になることだと思いました。

死ぬ数時間前まで『痛い、痛い』と言う人はいるでしょうが、いわゆる死、その瞬間に痛みはないようです。私の知り合いに5000人以上の方を看取ってきた医者がいますが、彼によると泣き叫びながら逝った方は一人もいないそうです」

前出の平野氏も同様の意見である。

「ご臨終を迎える患者さんは何日か前から昏睡状態に入っていくので、自分が死ぬことさえわからないのではないかと思います」

問題は、その瞬間が来るまでの月日をどう過ごすかにある。明晰な意識を保ったまま、死が間近に迫ってくるのを受け入れるのは大変な精神的な苦痛を伴う。

絶対に死にたくない人

たとえば、末期がんの宣告をされた患者がその後、自暴自棄に陥ることは珍しくない。ときに死への恐怖によって精神は崩壊する。大手大学病院の整形外科病棟に勤める看護士は語る。

「悪性骨腫瘍を患った男子高校生は化学療法で進行を抑えて手術をしたが転移も見つかった。明るい子でしたが『死』を考え始めると不安で不眠症になった。精神的にも不安定になり、『死ぬんだからほっといてくれ!』と暴れて同僚を噛む。抗うつ剤を投与し、精神科へ移りましたがまもなく亡くなりました」

若さゆえの事例ではない。都内のホスピス科医師は「30~60代の患者こそ冷静な判断力を失う」と語る。

「やはり未成年の子供を持つ患者さんは死ぬことを受け入れない。印象的なのは50代で末期なのに代替医療に手を出して、1500万円くらい使った患者。効果がないのに嫁、娘も延命治療を止めない。身体中にスパゲッティのように管を巻きつけたまま死にました。

40代の女性患者で自分が死んだ後、旦那が再婚することを恐れてパニックになる人もいましたね」

人々がこういった困難に直面するとき、釈氏は「仏教では生きることは苦しみとも説く」と指摘する。
「『死』について苦悩するのは、人間にしかできない特権です。確たる信念を持っても人の生死は人間の手でコントロールできない。生死に関する考え方は情況によって変化するものです」

なるべく恐怖を抱かずに死の瞬間を迎えるための策として、一つ参考にしたい考え方がある。

「インドの聖地バーラーナシーには人を看取るための『死を待つ人の家』があり、人々は死が訪れるのをじっと待っている。彼らは宗教上、『輪廻』という概念を強く信じている。だから死や別れを恐れないのです。

一方、今の日本人はどうでしょうか。昔の人は年を取り、自然にものが食べられなくなると、だいたい2週間ほどで枯れ木のようにやせ細り、亡くなっていった。しかし、現代人は様々な治療を講じて、むしろ、別の苦しみを増やしてしまっている。生きたいという我欲が死への恐怖を生んでいるのでは、という視点が欠けています」(釈氏)

人間は死ぬために生きている。刻々と死に向かっていくことを理解して、老いや病を引き受ける。それが我々が目指すべき、恐怖を感じず死を迎える理想的な方法かもしれない。
週刊現代より

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