いまだ勘違いをしている日本人が多いので、あらかじめ書いておくと、「『独島』が韓国の領土である」ということは、韓国人にとっては常識以前の問題で、そう思わない輩は「売国奴」「親日派」である。ここでいう「親日派」というのは、「日本に融和的な姿勢を取る者」程度の意味ではなく、「売国奴」と同義である。「竹島は日本の領土である」などと主張しないまでも、「竹島に関する日本側の主張にも一理がある」などと公式の場で主張しただけで、集中的な非難を浴び、社会的に抹殺される。ネット空間でも、閉鎖されたコミュニティーで発言するならともかく、不特定多数が閲覧できる空間でこうした意見を開陳(かいちん)したら最後、大炎上は必至だ。実名を突き止められるような手掛かりがあれば、たちまちプライバシーを暴かれ、あらゆる不利益をこうむり、結局は謝罪に追い込まれることになる。だから、「独島」に関する主張に異論があったとしても、口をつぐんでいるにこしたことはないのである。
ところが、こうした韓国の事情をいくら説明しても、いまだ多くの日本人にはピンとこないようで、「そんな韓国人は一部だ」とか、「韓国に行ったけれども、反日感情など感じなかった」とか、「それは政治の世界の話で、市民レベルでは友好的だ」とか、「社会的に不遇な一部の韓国人が社会に対する不満を吐露する手段として反日を利用しているのだ」などと、脳天気で見当違いも甚だしい反応が返ってくる。さらに、そうした反応を示す人に、よく聞きただしてみると、韓国語もわからず、当然、韓国のマスコミ報道など全く理解できず、そのくせ日本語で読める韓国のネットメディアすらも参考にせず(朝鮮日報や中央日報の日本語版すらも読まない)、韓国には観光旅行でしか行ったことがない、という手合いが大部分なのである。そのくせ、知ったかぶりできれいごとを並べるのだから始末に負えない。
そんな甘ったるい想念にしがみつきたい人にお勧めしたいのが、韓国人から頻繁に発せられる「『独島』はどこの領土ですか」という質問に答えてみることだ。
韓国人がこの質問をするのは、決して竹島がどこの領土だかわからないからではない。また、単純に日本人が竹島についてどう思っているのか知りたいためでもない。「この日本人は『正常な』日本人かどうか」ということを試すためである。もちろん、「正解」は一つであり、「竹島は日本のもの」などと答えようものなら、その瞬間から「極右日本人」「異常な日本人」のレッテルが張られるだろう。「よくわかりません」「関心がありません」などという答えもダメで、「正しい歴史教育を受けていない無知な日本人」「歪曲された歴史教科書で歴史を学んだ日本人」という白い目で見られることになる。まれにそう考えない韓国人もいることもいるが、そんなことを口外すれば、やはり「売国奴」「親日派」扱いされるので、口外することなどできない。
韓国人がこの質問をするのは、決して竹島がどこの領土だかわからないからではない。また、単純に日本人が竹島についてどう思っているのか知りたいためでもない。「この日本人は『正常な』日本人かどうか」ということを試すためである。もちろん、「正解」は一つであり、「竹島は日本のもの」などと答えようものなら、その瞬間から「極右日本人」「異常な日本人」のレッテルが張られるだろう。「よくわかりません」「関心がありません」などという答えもダメで、「正しい歴史教育を受けていない無知な日本人」「歪曲された歴史教科書で歴史を学んだ日本人」という白い目で見られることになる。まれにそう考えない韓国人もいることもいるが、そんなことを口外すれば、やはり「売国奴」「親日派」扱いされるので、口外することなどできない。
こうした事情を端的に示す実例として、「保坂祐二」という日本人の言動を挙げることができる。保坂氏はソウルにある私立大学、世宗大学校の教授で、専攻は東アジアの近現代史。日本ではよほどの韓国通、あるいは、韓国嫌いでなければ保坂氏を知らない。しかし、韓国では「最も有名な日本人」である。保坂氏は2003年に韓国に帰化しているので、正確に言えば、「韓国で最も有名な元日本人」ということになる。保坂氏の主張を端的に要約すれば、歴史教科書、領土(竹島)、従軍慰安婦、靖国参拝などの諸問題においてはすべて日本に非があり、韓国はあくまでも正しいという主張である。韓国にとってはまことに都合のいい人物であり、すでにさまざまな褒賞を受けている。
2013年には韓国政府が「独島」の研究と広報に対する功労を認定し、紅條勤政勲章を授与している。このため、日本のネット空間では蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われ、ありとあらゆる悪罵(あくば)が投げつけられている。また、あまりに韓国ベッタリの言動に疑問を呈する向きも多い。しかし、冷静に考えてみると、保坂氏の行動は「韓国人」として当然のものなのである。「『独島』は韓国の領土」という主張は韓国人にとって永遠不滅の絶対真理である。保坂氏が「韓国人」になった以上、絶対に守らなければならない戒律のようなものである。そうでなければ、保坂氏は韓国人として韓国で生きていけないのである。
2013年には韓国政府が「独島」の研究と広報に対する功労を認定し、紅條勤政勲章を授与している。このため、日本のネット空間では蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われ、ありとあらゆる悪罵(あくば)が投げつけられている。また、あまりに韓国ベッタリの言動に疑問を呈する向きも多い。しかし、冷静に考えてみると、保坂氏の行動は「韓国人」として当然のものなのである。「『独島』は韓国の領土」という主張は韓国人にとって永遠不滅の絶対真理である。保坂氏が「韓国人」になった以上、絶対に守らなければならない戒律のようなものである。そうでなければ、保坂氏は韓国人として韓国で生きていけないのである。
去る2月18日、保坂氏が次期大統領候補とされる文在寅(ムン・ジェイン)民主党元代表の大統領選挙陣営に参加したと報じられた。文在寅氏側は保坂氏が東アジアの外交関係と日韓関係に対する政策諮問を担当するとしており、保坂氏も文氏の主張に合わせてか、一昨年の日韓慰安婦合意はいくらでも再交渉が可能、などと主張している。保坂氏の権門への接近ぶりについては、韓国内でも反文在寅派の韓国人から批判されたり、「政治的に利用されて、用済みになればポイ捨てされる」などという陰口が叩かれたりしている。
しかし、文在寅氏が大統領になろうがなるまいが、保坂氏が従来通りの身の処し方を貫けば、韓国で一生食うに困ることはないだろう。もし、保坂氏がお笑い芸人なら、ネタが枯渇すれば飽きられるし、食っていけなくなる。しかし、韓国では「『独島』は韓国の領土」と言い続ける限り、韓国人はいくらでも喜んでくれる。未来永劫、飽きられることのない一発芸のようなものなのである。しかも「元日本人ですら『独島』は韓国の領土だと認めている」という広告塔としての役割も十分果たせる。一度の大統領選挙で使い捨てにするにはあまりにも惜しい存在なのである。
しかし、文在寅氏が大統領になろうがなるまいが、保坂氏が従来通りの身の処し方を貫けば、韓国で一生食うに困ることはないだろう。もし、保坂氏がお笑い芸人なら、ネタが枯渇すれば飽きられるし、食っていけなくなる。しかし、韓国では「『独島』は韓国の領土」と言い続ける限り、韓国人はいくらでも喜んでくれる。未来永劫、飽きられることのない一発芸のようなものなのである。しかも「元日本人ですら『独島』は韓国の領土だと認めている」という広告塔としての役割も十分果たせる。一度の大統領選挙で使い捨てにするにはあまりにも惜しい存在なのである。
韓国人がここまで「独島」に関する異論や妥協を許さず、ひたすら「独島」の守護に執念を燃やすのは、幼稚園から執拗に行われる「『独島』は韓国の領土!」という愛国教育の影響でもあるのだが、それ以外にも理由はある。「独島」は誰にも非難できない不可侵領域なので、「国民統合の象徴」としてお手軽に利用できる。それにつべこべと異論を差し挟む輩には「売国奴」「親日派」と一言いうだけで論破が可能。反対に「独島」に対する忠誠心を誇示するだけで、手っ取り早く「愛国者」となることができて名を挙げることができるし、政治活動(選挙運動)、経済活動(金儲け)にも有用である。もちろん、植民地時代のように捕えられて処刑されることもなく、100%安全である。
このため、韓国人は「独島」が国内で話題になるたびに、先を争って独島への忠誠心を示そうと躍起になってきた。その度が過ぎて、単なる奇行になってしまった事例も多い。ここでは、日本にも伝えられた二つの事例を見ることにしたい。
2012年8月15日、韓国の歌手、金章勲(キム・ジャンフン)や徐敬徳(ソ・ギョンドク)誠信女子大客員教授、俳優の宋一国(ソン・イルグク)、大学生33人が韓国の東海岸から「独島」までのリレー水泳を計画。8月15日は言うまでもなく、韓国の解放記念日。33人という人数は1919年3月に起こった独立運動で「独立宣言文」に署名した志士の人数。金章勲や徐敬徳は本業より反日活動が有名ということで、韓国では知らぬ者のいない反日闘士。宋一国は独立運動家の子孫を自称している俳優で、それを売りにしている以上、当然反日であらざるを得ず、さまざまな愛国的イベントにも積極的に参加している。
さて、このリレー水泳、全員が49時間をかけて泳ぎ切ったまではよかったが、アンカーの金章勲が「独島」到着後に疲労とパニック障害で病院に搬送されるという事故が発生。また、安全確保のためにいけすの中で泳いでいたことも話題となり、日本のネット空間では韓国人の反日奇行の一つとして嘲笑の対象になった。しかし、韓国人によっては、こうした奇行も絶賛の対象であり、嘲笑することなど許されない。
この翌年、韓国の彫刻家、キム・テッキ氏が「独島」に韓国のロボットアニメ「テコンV」のオブジェを設置しようと募金活動を開始するという事態が起こった。8月15日、「独島」に13メートルにも及ぶテコンVがトロンボーンを吹いている像を設置し、「独島」が韓国の領土だということを世界に発信しようという企画だった。「独島」に勝手にそんなものを設置することが許されるとは思われないので、「独島」を通して彫刻家としての名をあげることが目的だったと思われる。ところが、意外なことにこれがネットユーザーの猛反発で中止に追い込まれた。実は「テコンV」は日本の「マジンガーZ」と外見がそっくりで、パクリであることは国内外から指摘されていた。ただし、韓国人はパクリであるということを認めようとせず、つべこべと屁理屈をこねて、韓国オリジナルのキャラクターであると主張していたのである。
ところが、いざそれが「独島」に設置される段になると、「日本のマジンガーZのパクリであるテコンVを設置することは許せない」という論調が大勢を占めたのだから、わけがわからない。無節操なダブルスタンダードなのだが、ほとんどの韓国人はそうした矛盾を気にしていなかった。「独島」の前ではあらゆる議論が無駄で無意味である、という好例ではあると言えるだろう。キム・テッキ氏は「テコンV」などを持ち出して失敗したが、保坂氏の著書などで事前学習をしておけば、十分に名をあげることができたはずだ。このほかにも「独島」に関する韓国人の奇行(彼らにとっては愛国美談)は枚挙にいとまがないが、馬鹿馬鹿しいので省略する。
以上のような韓国内の事情を通して、読者諸兄も韓国人にとって「独島」がいかなるものか理解されたと思う。「独島」に関する限り、韓国人にとっては妥協も譲歩も不可能。神聖にして冒すべからざる絶対不可侵の領域であって、一切の異論を許さない。まさに「独島教」原理主義のようなもので、それに異を唱える者は、異端者として社会的に抹殺される。こうした原理主義者と付き合うには、関係悪化を恐れず徹底的に反論するか、不利益を覚悟で適当に妥協するか、お互いに無視するかのどれかである。いずれにしても、ほのぼのとした友好関係などありえない。これについては、韓国人も同様に考えているはずである。しかし、いまだ大多数の日本人にはその覚悟ができているようには見えない。だから、現実を直視できず、冒頭に書いたような甘ったるい想念に必死にしがみ付くのであろう。
ところが、いざそれが「独島」に設置される段になると、「日本のマジンガーZのパクリであるテコンVを設置することは許せない」という論調が大勢を占めたのだから、わけがわからない。無節操なダブルスタンダードなのだが、ほとんどの韓国人はそうした矛盾を気にしていなかった。「独島」の前ではあらゆる議論が無駄で無意味である、という好例ではあると言えるだろう。キム・テッキ氏は「テコンV」などを持ち出して失敗したが、保坂氏の著書などで事前学習をしておけば、十分に名をあげることができたはずだ。このほかにも「独島」に関する韓国人の奇行(彼らにとっては愛国美談)は枚挙にいとまがないが、馬鹿馬鹿しいので省略する。
以上のような韓国内の事情を通して、読者諸兄も韓国人にとって「独島」がいかなるものか理解されたと思う。「独島」に関する限り、韓国人にとっては妥協も譲歩も不可能。神聖にして冒すべからざる絶対不可侵の領域であって、一切の異論を許さない。まさに「独島教」原理主義のようなもので、それに異を唱える者は、異端者として社会的に抹殺される。こうした原理主義者と付き合うには、関係悪化を恐れず徹底的に反論するか、不利益を覚悟で適当に妥協するか、お互いに無視するかのどれかである。いずれにしても、ほのぼのとした友好関係などありえない。これについては、韓国人も同様に考えているはずである。しかし、いまだ大多数の日本人にはその覚悟ができているようには見えない。だから、現実を直視できず、冒頭に書いたような甘ったるい想念に必死にしがみ付くのであろう。
現在、韓国では朴槿恵政権が崩壊し、さらに強力な反日政権が誕生しようとしている。そして、領土問題に関する限り、これからも韓国人はこれからも絶対に姿勢を変えることはないだろう。日本人が領土問題、ひいては日韓関係に対する認識を根本から改めるべき時期が今まさに到来しているのである。
韓国に奪われた竹島を取り戻すために日本がやるべきこと
1952年1月18日、韓国の李承晩大統領(当時)が一方的に引いた軍事境界線「李承晩ライン」を宣言して以来、竹島は日韓の係争の地となった。それから半世紀以上が過ぎた今日、解決のめどは立っていない。
それどころか、韓国の慶尚北道では今年の2月22日、「竹島の日」に対抗して、ソウル市内では初めて大規模な抗議集会が開催された。その場所は、大統領だった朴槿恵氏の弾劾を求め、「ろうそく集会」が開かれた広場である。抗議集会に集まった人の数は数千人だったという。
この韓国に対して、日本はどのように対処したらよいのだろうか。竹島問題が今日のように顕在化したのは2005年3月、島根県議会が「竹島の日」条例を制定して、竹島問題に対する啓発事業を始めてからである。当時、島根県と姉妹提携していた慶尚北道はその関係を断ち、以後、島根県に対抗する形で竹島問題に取り組んできた。
この時、日韓両国政府の対応は対照的だった。韓国政府は竹島問題に対して、持続的に対処するための研究機関を設置し、竹島死守の姿勢を鮮明にした。その国策機関は06年に「東北アジア歴史財団」となって、竹島問題に慰安婦問題、歴史教科書問題、日本海呼称問題、靖国問題などを絡め、対日攻勢をかける韓国政府の司令塔となった。
中学校の公民の授業では、国家の三要素「領土・国民・主権」が教えられている。その中の一つ、「領土」が侵奪され、国家主権が侵されているというのに、当時の自民党政権は関心がなかったのだろう。
その間隙を突いて動いたのが中国である。中国では、韓国が日本から竹島を侵奪した方法に倣って尖閣諸島に触手を伸ばし、挑発行為を始めた。これに対して当時の民主党政権は、尖閣諸島の国有化によって対抗したが、逆に中国国内での反日暴動を誘発し、中国政府に対日攻勢を強めるきっかけを与えてしまった。さらに中国政府は、民主党政権の脆弱(ぜいじゃく)ぶりを見透かし、南シナ海にも進出することになるのである。
韓国と中国の動きは、日本と比べると持続的で戦略的である。それに大きく違うのが、国民の意識である。韓国や中国では、何かと集団行動に訴える傾向がある。竹島や尖閣、歴史問題ではそれが顕著で、その行動は海外に住む韓国人や中国人にも伝播していく。
すると日本でも国民の意識が重要だとされて、国民世論の喚起に意識が行く。そのために制定されたのが「北方領土の日」である。毎年2月7日になると、全国から元島民らが集まり、領土返還を要求する。合わせて北方領土返還のための署名運動に、協力が求められる。会場では、1965年ごろから始まった署名運動は、昨年までで8835万人を集めたと報告された。この集められた署名は、どこに提出されるのだろうか。国会であろう。
それどころか、韓国の慶尚北道では今年の2月22日、「竹島の日」に対抗して、ソウル市内では初めて大規模な抗議集会が開催された。その場所は、大統領だった朴槿恵氏の弾劾を求め、「ろうそく集会」が開かれた広場である。抗議集会に集まった人の数は数千人だったという。
この韓国に対して、日本はどのように対処したらよいのだろうか。竹島問題が今日のように顕在化したのは2005年3月、島根県議会が「竹島の日」条例を制定して、竹島問題に対する啓発事業を始めてからである。当時、島根県と姉妹提携していた慶尚北道はその関係を断ち、以後、島根県に対抗する形で竹島問題に取り組んできた。
この時、日韓両国政府の対応は対照的だった。韓国政府は竹島問題に対して、持続的に対処するための研究機関を設置し、竹島死守の姿勢を鮮明にした。その国策機関は06年に「東北アジア歴史財団」となって、竹島問題に慰安婦問題、歴史教科書問題、日本海呼称問題、靖国問題などを絡め、対日攻勢をかける韓国政府の司令塔となった。
一方の日本政府は、島根県議会が「竹島の日」条例を制定しようとすると、成立を阻むべく圧力をかけてきた。島根県ではかつて県土の一部であった竹島に対し、その「領土権の確立」を求めていたのである。
中学校の公民の授業では、国家の三要素「領土・国民・主権」が教えられている。その中の一つ、「領土」が侵奪され、国家主権が侵されているというのに、当時の自民党政権は関心がなかったのだろう。
その間隙を突いて動いたのが中国である。中国では、韓国が日本から竹島を侵奪した方法に倣って尖閣諸島に触手を伸ばし、挑発行為を始めた。これに対して当時の民主党政権は、尖閣諸島の国有化によって対抗したが、逆に中国国内での反日暴動を誘発し、中国政府に対日攻勢を強めるきっかけを与えてしまった。さらに中国政府は、民主党政権の脆弱(ぜいじゃく)ぶりを見透かし、南シナ海にも進出することになるのである。
韓国と中国の動きは、日本と比べると持続的で戦略的である。それに大きく違うのが、国民の意識である。韓国や中国では、何かと集団行動に訴える傾向がある。竹島や尖閣、歴史問題ではそれが顕著で、その行動は海外に住む韓国人や中国人にも伝播していく。
すると日本でも国民の意識が重要だとされて、国民世論の喚起に意識が行く。そのために制定されたのが「北方領土の日」である。毎年2月7日になると、全国から元島民らが集まり、領土返還を要求する。合わせて北方領土返還のための署名運動に、協力が求められる。会場では、1965年ごろから始まった署名運動は、昨年までで8835万人を集めたと報告された。この集められた署名は、どこに提出されるのだろうか。国会であろう。
その国会では、つい最近まで、安倍首相の昭恵夫人は私人か公人かの定義に忙しく、南スーダンでは「戦闘」が行われたのかどうかが、与野党の関心事となっていた。署名が一億人を超えても、北方領土問題は解決することはないであろう。
そもそも日本は、隣国の韓国や中国とは社会の成り立ちが違っている。長く中央集権的な社会体制を続けてきた韓国や中国では、民族はあっても国家や社会(地方自治)を経験する機会に乏しかった。
そのため、民族感情を刺激する事案に対しては、集団的に行動することになり、いったん動き始めると収束が難しくなる。朴槿恵氏が弾劾された事件では、ろうそく集会が大きく影響した。それは集団の力を利用し、自らの要求を貫徹させることに目的があったからだ。
そもそも日本は、隣国の韓国や中国とは社会の成り立ちが違っている。長く中央集権的な社会体制を続けてきた韓国や中国では、民族はあっても国家や社会(地方自治)を経験する機会に乏しかった。
そのため、民族感情を刺激する事案に対しては、集団的に行動することになり、いったん動き始めると収束が難しくなる。朴槿恵氏が弾劾された事件では、ろうそく集会が大きく影響した。それは集団の力を利用し、自らの要求を貫徹させることに目的があったからだ。
だが、それは民主主義とは似て非なるものである。事の是非ではなく、自らの感情を行動に現したものだからである。朴槿恵氏を弾劾したからといって、韓国の政治が改善されるわけでもなく、サムスングループのトップを贈賄の疑いで逮捕し、財閥解体に結び付けようとしても、韓国経済の回復は難しい。歴史的に見て、韓国の集団行動は、壊すことはできても、創ることに結び付いていないからである。これは中国も同じである。
領土問題を解決するには、武力が必要だとする異見がある。尖閣諸島を守るには、憲法改正が不可欠だという。
尖閣問題では、「日米安全保障条約」の第五条が沖縄県の尖閣諸島にも適用されるかどうかが、日本側の関心事となっている。一方で沖縄の米軍基地の縮小が問題となり、自衛隊の先島諸島駐屯が論議される。竹島は、その範疇(はんちゅう)にも入っていない。
外国の軍事力を頼れば、日本は常にその国に従属することを余儀なくされる。自衛隊員も、尖閣諸島が日本の領土だと確信しているわけではない。米国は尖閣諸島の施政権は認めているが、領有権を認めているわけではないからだ。
それに日本が相手にしているのは、日本とは異なる歴史と文化を持った国々である。竹島は島根県の問題、北方領土は根室市の問題、尖閣諸島は石垣市の問題となる日本である。武力や憲法改正で、解決できる問題ではない。現実を無視し、憲法改正反対を唱えるのも、言語道断である。問題の本質は、別にあるからだ。
彼我の違いを明らかにし、竹島問題と尖閣問題では韓中に文化攻勢を仕掛け、その過程で韓中の妄動を鎮めていくことが、迂遠(うえん)のようだが、歴史問題を解決する近道である。竹島問題や尖閣諸島問題に進展がないのは、韓中が歴史的に抱えている民族的な課題に対し、日本も無知だからである。
国家主権に関する問題を解決するためには、韓中にはあって日本にはない、領土と国家主権に関する歴史研究機関の設置が不可欠である。
領土問題を解決するには、武力が必要だとする異見がある。尖閣諸島を守るには、憲法改正が不可欠だという。
尖閣問題では、「日米安全保障条約」の第五条が沖縄県の尖閣諸島にも適用されるかどうかが、日本側の関心事となっている。一方で沖縄の米軍基地の縮小が問題となり、自衛隊の先島諸島駐屯が論議される。竹島は、その範疇(はんちゅう)にも入っていない。
外国の軍事力を頼れば、日本は常にその国に従属することを余儀なくされる。自衛隊員も、尖閣諸島が日本の領土だと確信しているわけではない。米国は尖閣諸島の施政権は認めているが、領有権を認めているわけではないからだ。
それに日本が相手にしているのは、日本とは異なる歴史と文化を持った国々である。竹島は島根県の問題、北方領土は根室市の問題、尖閣諸島は石垣市の問題となる日本である。武力や憲法改正で、解決できる問題ではない。現実を無視し、憲法改正反対を唱えるのも、言語道断である。問題の本質は、別にあるからだ。
彼我の違いを明らかにし、竹島問題と尖閣問題では韓中に文化攻勢を仕掛け、その過程で韓中の妄動を鎮めていくことが、迂遠(うえん)のようだが、歴史問題を解決する近道である。竹島問題や尖閣諸島問題に進展がないのは、韓中が歴史的に抱えている民族的な課題に対し、日本も無知だからである。
国家主権に関する問題を解決するためには、韓中にはあって日本にはない、領土と国家主権に関する歴史研究機関の設置が不可欠である。
韓国の実効支配はどこまで進んだか、私が撮影した「竹島の近影」
日本は竹島問題から大きな教訓を学ばなければならない。領土の問題を放置する期間が長ければ長いほど、取り返しがつかないという現実があるからだ。
ドイツの法学者イェーリングは「隣国にわずか1平方マイルの領土を奪われながら、放置する国は、やがて領土全てを失い、国家として存立することを止めてしまうだろう」と警告をした。
ドイツの法学者イェーリングは「隣国にわずか1平方マイルの領土を奪われながら、放置する国は、やがて領土全てを失い、国家として存立することを止めてしまうだろう」と警告をした。
今、日本は、その領土問題に直面し、竹島のみならず北方領土、尖閣諸島ともども隣国との外交上の火薬庫となっている。さらに日本を取り巻く周辺国の情勢が混とんとして先が予測できない時代に突入した。
中国の強引な海洋進出は東南アジア海域で暴走を極め、北朝鮮は度重なる弾道ミサイル発射や核実験で恫喝(どうかつ)の度合いをエスカレートさせる。地理的に日本と最も近い隣国である韓国は朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾裁判によって失脚し、国民は擁護派(保守)と指弾派(左派)に二分された。まるで南北軍事境界線ならぬ「保左対立境界線」の新たな壁ができたようだ。
謎が解けたのは翌日の国防部の発表だった。毎年恒例の米韓の野外機動訓練「フォール・イーグル」と合同軍事演習「キー・リゾルブ」を早めて開始していたのだ。演習では米韓両軍約30万人の兵士が参加し、4月下旬まで続く。米軍は原子力空母「カール・ビンソン」やF35最新鋭ステルス戦闘機の投入も予定され、なかでも米陸軍の特殊作戦部隊グリーンベレーや米海軍の特殊部隊シールズ、韓国軍特殊部隊による、金正恩抹殺を狙った「斬首作戦」の訓練も実施されるらしい。この状況は、北の動き次第で即応可能となる実質的な臨戦態勢といえるだろう。まさに一触即発の危機が訪れようとしている。
一方、大統領不在の韓国では5月9日投開票の次期大統領選挙戦に突入した。
最も有力な候補は文在寅(ムン・ジェイン)「共に民主党」元代表とされている。彼は2016年7月25日、次期大統領選の準備のため竹島に上陸し、芳名録に「東海のわが領土」などと書き込んだ人物だ。もし彼が当選すれば、竹島問題はおろか日韓関係が一層こじれるリスクを孕(はら)んでいる。文氏の過激な演説を聴きながら、日韓のとげである竹島に上陸したときのことを静かに思い起こした。
中国の強引な海洋進出は東南アジア海域で暴走を極め、北朝鮮は度重なる弾道ミサイル発射や核実験で恫喝(どうかつ)の度合いをエスカレートさせる。地理的に日本と最も近い隣国である韓国は朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾裁判によって失脚し、国民は擁護派(保守)と指弾派(左派)に二分された。まるで南北軍事境界線ならぬ「保左対立境界線」の新たな壁ができたようだ。
折も折、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長の長兄である金正男がマレーシアで暗殺された。混乱を極める朝鮮半島情勢。高高度防衛ミサイル(THAAD)の韓国配備をめぐってトランプ米大統領と習近平・中国国家主席の暗闘が続く中、私は朴大統領の弾劾裁判判決の直前に韓国と北朝鮮の国境地帯「軍事境界線」(DMZ)周辺を1400キロ走破した。現地から「極度の緊張状態にある」との連絡を受けたからだ。不思議なことに国境の町、軍基地周辺に軍人の姿が消えていた。大砲部隊の基地から155ミリK9砲も姿を消していた。北からの不意打ち砲撃を避けて移動したのだろうか。
謎が解けたのは翌日の国防部の発表だった。毎年恒例の米韓の野外機動訓練「フォール・イーグル」と合同軍事演習「キー・リゾルブ」を早めて開始していたのだ。演習では米韓両軍約30万人の兵士が参加し、4月下旬まで続く。米軍は原子力空母「カール・ビンソン」やF35最新鋭ステルス戦闘機の投入も予定され、なかでも米陸軍の特殊作戦部隊グリーンベレーや米海軍の特殊部隊シールズ、韓国軍特殊部隊による、金正恩抹殺を狙った「斬首作戦」の訓練も実施されるらしい。この状況は、北の動き次第で即応可能となる実質的な臨戦態勢といえるだろう。まさに一触即発の危機が訪れようとしている。
一方、大統領不在の韓国では5月9日投開票の次期大統領選挙戦に突入した。
最も有力な候補は文在寅(ムン・ジェイン)「共に民主党」元代表とされている。彼は2016年7月25日、次期大統領選の準備のため竹島に上陸し、芳名録に「東海のわが領土」などと書き込んだ人物だ。もし彼が当選すれば、竹島問題はおろか日韓関係が一層こじれるリスクを孕(はら)んでいる。文氏の過激な演説を聴きながら、日韓のとげである竹島に上陸したときのことを静かに思い起こした。
私は報道写真家として世界を巡り、多くの国境を通過する機会があった。どの国境も武装した国境警備軍が警戒の眼を光らせていた。戦車や機関銃座が据えられ、厳しいチェックを受けた。この経験から「日本の国境」に興味を抱いたのは私にとって当然の帰結であったように思える。
1990年以来、機会あるごとに国境の島に上陸し取材を重ねてきた。北方領土に関しては、北海道・根室の納沙布岬に北方領土館や望郷の家などの施設もあり、それなりに返還運動も行われていたが、政治家、官僚、マスコミ、一般大衆を含め、竹島への関心は薄かった。
「何かおかしいぞ」とことあるごとに感じた。例えば、2005年に島根県が「竹島の日」を制定した直後に韓国が猛反発し、抗議の渦が沸き起こったときに、テレビも新聞も雑誌も、日本のメディアの多くは、ニュース報道などで韓国側に提供された「独島(竹島の韓国名)」の映像や写真を当たり前のように使っていることであった。韓国人によって撮られた写真は「独島」であって竹島ではない。
「日本人の眼で見た日本の竹島を誰かが撮らなければならない。できれば自分が撮りたい」。この気持ちが竹島取材の原動力だったような気がする。
これまで3回の竹島上陸取材を敢行した。初の上陸は2006年5月、海洋警察の監視の眼をかいくぐっての撮影だった。この時、島は「要塞島」であった。山頂には多目的3インチ機関砲が据えられ、武装兵が小銃をかざし、アンテナ群、隊舎などが設置されている。
2回目は2011年8月、日本から鬱陵島(うつりょうとう)にある独島博物館を訪れようとした日本の国会議員3名が「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外退去を強要された3日後のことであった。要塞島は大変貌を遂げていた。ヘリポートは40人乗りの大型ヘリが離着陸可能なように改修され、岸壁も拡張され、500人の乗客を運ぶ大型双胴船ウリ号が接岸していた。
前回の上陸時、鬱陵島から2時間半をかけて到着した三峰号は200人乗りで、日本から購入した中古船だった。韓国政府は安全保障教育のため「安保観光」を奨励している。38度線の南北軍事境界線や侵攻トンネルなどの見学ツアー、北朝鮮のサンオ型潜水艦が東海岸の江陵(カンヌン)に侵入座礁し、銃撃戦が起こった現場などと同様に竹島(独島)にも押し掛ける。以前は海軍OBや愛国団体の観光客が韓国旗をかざして気勢を上げていたが、今ではリゾート感覚で訪れる若者やカップルが多くなった。
どうやら韓国政府は竹島に対する考え方を方向転換したようだ。かつて日本漁船を砲撃し、44人もの死傷者をだした「武力による実効支配」から観光客が気軽に訪れる「ソフトな実効支配」に変わっているのだ。
なぜ、韓国がこれほどまでに竹島に固執し、強硬な態度をとるのだろうか。漁業権や海底資源の確保という理由もあるが、それは大きな問題ではない。秘密の鍵は、50年6月に勃発した朝鮮戦争にあった。北朝鮮が突如38度線を突破して韓国に侵攻、不意を突かれた韓国政府はソウルを放棄し、大田(テジョン)などを経て釜山(プサン)まで追いつめられたのだ。
釜山の背後はもう海だ。陸と海から挟撃されれば韓国は消滅してしまう。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が戦慄したことは容易に察しがつく。恐怖に震えた李氏の頭に、北朝鮮軍の海からの攻撃をいち早く察知する監視体制の構築が頭をよぎったに違いない。実は日露戦争の当時、バルチック艦隊の早期発見のため、帝国海軍は竹島の山頂に監視所を築き、海軍兵士が常駐させた。李大統領に早期発見によった連合艦隊の「日本海海戦大勝利」が蘇ったことは、想像に難くない。
戦況は幸いにもマッカーサー元帥による仁川(インチョン)奇襲上陸作戦(1950年9月)の反転攻勢が成功し、国連軍はソウルを奪還、韓国政府は首都に帰還した。
こうしたなか、日本は51年9月、サンフランシスコ講和条約で主権を回復し、竹島の領土も確認した。これに対し、韓国は52年1月8日、自国側水域に竹島を含ませた李承晩ラインを一方的に宣言した。
53年7月に朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた。韓国が武装した「独島守備隊」を竹島に送り込んだのは、その3カ月前である。休戦協定は終戦協定ではない。第2次朝鮮戦争に備えた軍事行動ではなかったのか。現在、頂上に据えられた大砲の位置はくしくも帝国海軍が作った監視所と同じ場所にある。当初、砲口は北朝鮮側を向いていたが、その後、日本側に向けられたのである。
1990年以来、機会あるごとに国境の島に上陸し取材を重ねてきた。北方領土に関しては、北海道・根室の納沙布岬に北方領土館や望郷の家などの施設もあり、それなりに返還運動も行われていたが、政治家、官僚、マスコミ、一般大衆を含め、竹島への関心は薄かった。
「何かおかしいぞ」とことあるごとに感じた。例えば、2005年に島根県が「竹島の日」を制定した直後に韓国が猛反発し、抗議の渦が沸き起こったときに、テレビも新聞も雑誌も、日本のメディアの多くは、ニュース報道などで韓国側に提供された「独島(竹島の韓国名)」の映像や写真を当たり前のように使っていることであった。韓国人によって撮られた写真は「独島」であって竹島ではない。
「日本人の眼で見た日本の竹島を誰かが撮らなければならない。できれば自分が撮りたい」。この気持ちが竹島取材の原動力だったような気がする。
これまで3回の竹島上陸取材を敢行した。初の上陸は2006年5月、海洋警察の監視の眼をかいくぐっての撮影だった。この時、島は「要塞島」であった。山頂には多目的3インチ機関砲が据えられ、武装兵が小銃をかざし、アンテナ群、隊舎などが設置されている。
なにか「日本時代の痕跡」は残っていないだろうか。眼を皿のようにして探したが見つけられなかった。小屋の跡はおろか、食器皿の欠片も転がってはなかった。滞在時間はわずか30分だ。島中を探す余裕はなかった。
2回目は2011年8月、日本から鬱陵島(うつりょうとう)にある独島博物館を訪れようとした日本の国会議員3名が「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外退去を強要された3日後のことであった。要塞島は大変貌を遂げていた。ヘリポートは40人乗りの大型ヘリが離着陸可能なように改修され、岸壁も拡張され、500人の乗客を運ぶ大型双胴船ウリ号が接岸していた。
前回の上陸時、鬱陵島から2時間半をかけて到着した三峰号は200人乗りで、日本から購入した中古船だった。韓国政府は安全保障教育のため「安保観光」を奨励している。38度線の南北軍事境界線や侵攻トンネルなどの見学ツアー、北朝鮮のサンオ型潜水艦が東海岸の江陵(カンヌン)に侵入座礁し、銃撃戦が起こった現場などと同様に竹島(独島)にも押し掛ける。以前は海軍OBや愛国団体の観光客が韓国旗をかざして気勢を上げていたが、今ではリゾート感覚で訪れる若者やカップルが多くなった。
どうやら韓国政府は竹島に対する考え方を方向転換したようだ。かつて日本漁船を砲撃し、44人もの死傷者をだした「武力による実効支配」から観光客が気軽に訪れる「ソフトな実効支配」に変わっているのだ。
これは国際裁判への布石とも考えられる。領土主張の最も有効な根拠は「日常的に経済活動を為す住民の存在」である。4階建ての島民宿舎も完成し、一組の老夫婦も呼び込まれ島民と称する。30人前後の警察官も常駐し「独島警察署」の建物も造築された。岩山の中腹には巨大なソーラー発電パネルも設置されていた。日本が手をこまねいている間に、韓国の不法占拠による実行支配は段階的進行を遂げていたのだ。
それだけでなく、韓国軍特殊部隊の訓練や有名歌手によるコンサートや、囲碁名人による対局が開催された。2013年には日本の漫画ヒーロー「マジンガーZ」をパクった「テコンV」なる巨大像を「独島のシンボル」として設置する計画もあったが、さすがに国民の猛反対で頓挫した。もうブラックジョークとして笑うしかない。最近も、慰安婦像の設置計画が浮上するなど韓国流の「ゴリ押し不法占拠」がエスカレートしている。
なぜ、韓国がこれほどまでに竹島に固執し、強硬な態度をとるのだろうか。漁業権や海底資源の確保という理由もあるが、それは大きな問題ではない。秘密の鍵は、50年6月に勃発した朝鮮戦争にあった。北朝鮮が突如38度線を突破して韓国に侵攻、不意を突かれた韓国政府はソウルを放棄し、大田(テジョン)などを経て釜山(プサン)まで追いつめられたのだ。
釜山の背後はもう海だ。陸と海から挟撃されれば韓国は消滅してしまう。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が戦慄したことは容易に察しがつく。恐怖に震えた李氏の頭に、北朝鮮軍の海からの攻撃をいち早く察知する監視体制の構築が頭をよぎったに違いない。実は日露戦争の当時、バルチック艦隊の早期発見のため、帝国海軍は竹島の山頂に監視所を築き、海軍兵士が常駐させた。李大統領に早期発見によった連合艦隊の「日本海海戦大勝利」が蘇ったことは、想像に難くない。
戦況は幸いにもマッカーサー元帥による仁川(インチョン)奇襲上陸作戦(1950年9月)の反転攻勢が成功し、国連軍はソウルを奪還、韓国政府は首都に帰還した。
こうしたなか、日本は51年9月、サンフランシスコ講和条約で主権を回復し、竹島の領土も確認した。これに対し、韓国は52年1月8日、自国側水域に竹島を含ませた李承晩ラインを一方的に宣言した。
53年7月に朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた。韓国が武装した「独島守備隊」を竹島に送り込んだのは、その3カ月前である。休戦協定は終戦協定ではない。第2次朝鮮戦争に備えた軍事行動ではなかったのか。現在、頂上に据えられた大砲の位置はくしくも帝国海軍が作った監視所と同じ場所にある。当初、砲口は北朝鮮側を向いていたが、その後、日本側に向けられたのである。
歴史的にみて、韓国(朝鮮)は常に大国に取り囲まれた被抑圧民族であった。そんな中で唯一、不法占拠にもかかわらず「自力で獲得した領土」と思い込んでいるのが竹島なのだ。つまり「恨5千年」と称される朝鮮民族の長い「恨み」と「プライド」の象徴が竹島と密接に結びつき、民族の悲願は「独立」だった。
だからこそ、竹島の韓国名である独島の「独」は独立の独なのだ。
国境紛争は世界中に数知れず存在するが、どれもこれも解決は難しい。例えばイギリスとアルゼンチンが150年もの間、領有を争っている事例に、英領フォークランド諸島がある。82年にも両国間で領土紛争が起こった。戦闘による両軍あわせて死傷者は3000人以上。現在も領土問題の棚上げ状態が継続し、解決の見通しはついていない。このように武力での奪還というのは非現実的だ。
早急に国際司法裁判所で白黒はっきりつけた方がいい。とはいえ100%日本の勝ちとはならない。あえて推測すれば、今裁判を行えば、7対3で日本の勝ち、だが10年後には4対6と逆転されているかもしれない。領土問題における実効支配というのは、それほどの説得力を持っている。
もしかしたら共同開発という裁定が出るかもしれない。とすれば、日本側に残された手段はそう多くはない。個人的には、地図上の支配も大事だが、韓国側と交渉し、竹島を相互乗り入れの島として、海洋研究所や魚の養殖場、気象研究所などを造り、武力は置かず、他の国も受け入れるというような施策をとるのもいいのではないか。ただし、その管理権と費用および主権は日本が持つ。
本件に関してはっきりしている事実は次の3つです。第1に、仏像は観音寺の所有である。第2に、観音寺は仏像を500年以上の長きにわたって所有してきた。第3に、それが韓国の窃盗団に盗まれたということです。真実はこれら3つしかありません。浮石寺側はもともと倭寇が盗んだというが、ただの推測というより妄想にすぎず、何の証拠もありません。盗人猛々しいというか、常人ではとても思い付かない発想です。
田中 はい、ありました。私が観音寺の住職になったのはいまから30数年前ですが、ちょうどそのころ、韓国から僧たちがやって来て、「観音寺の仏像は浮石寺でつくられたものだから、返してほしい」といってきた。私は「仏像は500年以上もこの寺で守ってきたものだ」といって追い返したのですが、12年の秋に盗難に遭ったとき、そのことを即座に思い出したんです。そして、あの一味が窃盗に関わっていたにちがいないと確信しました。韓国で窃盗団が捕まったのは翌13年の1月末でしたが、やはりそうだったのか、と。とても奇妙に感じたのは、発見された現場に浮石寺が近かったからです。そして、仏像が韓国で発見されてすぐに浮石寺が、「同像は14世紀に同寺でつくられた」などと主張し、保管する韓国政府に移転禁止を求める仮処分申請を韓国の大田地裁に行なっていたのです(地裁はこの申請を認める)。あまりに手際が良すぎる、というほかありません。どこか裏のつながりを感じてしまいます。
田中 じつは観音寺の総代や村の人は、仏像が盗まれる前から「セキュリティに力を入れてほしい」と長崎県にお願いをしていたんです。そもそも仏像を文化財に指定したのは長崎県です。それなのに、県は対馬の文化財の保護にはあまり熱心ではなかった。しかし、対馬で盗難事件が相次ぐと、今度は掌を返したように警備に力を入れるようになりました。それでも盗人が観光客に成り済まして来ると、対馬の人は親切ですし、べつに怪しまれない。近ごろは村の住人も減り、近くにあった交番も移転してしまいました。その状況で事件が起きたのです。
仏像が盗まれたと知ったときの対馬の人の反応はどうだったのでしょうか。
田中 村の大切な仏様を盗むとは何事かという、素朴ですが強い怒りに満ちていました。ヨソからきた窃盗団がズカズカとお寺のお堂に入って、何百年も祖先が守ってきた仏像を強奪していったわけですから。韓国に対して返還を求める署名もたくさん集まりました。対馬の人びとだけでなく、ネット上の支援組織を通じて全国から署名が集まりました。ほんとうに感謝しています。
韓国に押収された仏像2体のうち、所有者が名乗り出なかった海神神社の仏像は、2015年7月に日本に返還されました。以来、日本政府はもう1体の観音寺への返還を求め続けてきましたが、いまだに実現していません。
田中 先に述べたように、私たちも署名を集めて韓国政府に送るという働きかけをしてきました。やがて、大田地裁が13年冬に日本への返還を当分差し止める仮処分決定を下してから3年が経ちました。私は韓国政府の対応に期待していましたが、友人の1人から「韓国は何が起こるかわからない国だから、あらためて観音寺の立場を明確にしておいたほうがよい」とのアドバイスを受けました。
私にも思うところがあり、16年3月、韓国政府の外交部長官と司法を司る法務部長官、文化財を司る文化財庁の庁長に、早期返還を求める要望書を送ったんです。すると韓国検察から「3年前に同国の裁判所が返還を差し止めた仮処分がいまも有効であり、現段階での返還は困難」とする通知書が返ってきました(同年5月)。こんなおかしい話がありますか。
3年間、韓国の司法は何をしていたのでしょう。
田中 当初は、仮処分が切れる3年間のうちに本裁判を起こすといっていたのですが、それをしませんでした。そうしているあいだに、浮石寺が仏像を〝元の所有者〟である自分たちに引き渡すことを要求する訴訟を大田地裁で起こしたんです。そもそも、韓国政府が保管している仏像は、韓国の窃盗団が日本の寺から盗んできたものですよ。その所有権を韓国の国内法で裁くというんです。
田中 今年1月の大田地裁の判決後、浮石寺の円牛住職は「日本に略奪されたり、不法流出した文化財は7万点以上に達する。今回の判決は不法に流出した文化財を取り返す出発点になる」と語りました。あたかも韓国人窃盗団の悪事を容認するかのような発言です。自分は泥棒に手を染めず、それを利用しているのではないか、と疑わざるをえません。
30数年前の因縁もあるわけですしね。
田中 ですから、以前から私は近しい人に犯行の経緯について、私なりの〝犯行説〟を語ってきたわけです。今回、それが図らずも証明されたという感じをもっています。
仏像は14世紀に浮石寺でつくられたもの、という相手の主張についてはどうお考えですか。
田中 仏像内にあった書類にそう書いてありますから、その点については誰も否定していません。
文書には「高麗国瑞州浮石寺」「天暦三年(1330年)」などの記述があったそうですね。
田中 そうです。しかし、どうやって日本に渡ってきたのか、その経緯についてはわかる資料は結局、見つかっていない。歴史的な根拠はあります。朝鮮半島では14世紀末に李氏朝鮮が成立し、儒教を国教として仏教を排斥し始めます。仏像も焼かれたり、捨てられたりしました。
だからこそ、竹島の韓国名である独島の「独」は独立の独なのだ。
では日本の固有の領土である竹島はどうすれば奪還できるのか。ちなみに歴史的にも国際法的にも、竹島が紛れもなく日本の領土である事実は、すでに数多くの資料や証拠もそろっており揺るぎない。
ひとつだけ例をあげれば、韓国が自国領土と主張する最大の根拠は「韓国の独島は古地図に表記されている于山島である」ということだ。だが、この「于山島」は鬱陵島の沖合2キロに位置する竹嶼(チュクショ)という島のことであって、形も于山島と同じで、韓国側の古文書や資料からも明白に断定されているにも関わらず、この竹嶼(韓国の英語表示でもBamboo Island)を90キロ日本寄りに平行移動させて、日本の竹島を于山島と強弁し続けているのだ。慰安婦問題や靖国批判と同じでご都合主義としか言いようがない。
国境紛争は世界中に数知れず存在するが、どれもこれも解決は難しい。例えばイギリスとアルゼンチンが150年もの間、領有を争っている事例に、英領フォークランド諸島がある。82年にも両国間で領土紛争が起こった。戦闘による両軍あわせて死傷者は3000人以上。現在も領土問題の棚上げ状態が継続し、解決の見通しはついていない。このように武力での奪還というのは非現実的だ。
早急に国際司法裁判所で白黒はっきりつけた方がいい。とはいえ100%日本の勝ちとはならない。あえて推測すれば、今裁判を行えば、7対3で日本の勝ち、だが10年後には4対6と逆転されているかもしれない。領土問題における実効支配というのは、それほどの説得力を持っている。
もしかしたら共同開発という裁定が出るかもしれない。とすれば、日本側に残された手段はそう多くはない。個人的には、地図上の支配も大事だが、韓国側と交渉し、竹島を相互乗り入れの島として、海洋研究所や魚の養殖場、気象研究所などを造り、武力は置かず、他の国も受け入れるというような施策をとるのもいいのではないか。ただし、その管理権と費用および主権は日本が持つ。
それは軍艦を派遣し、武力で奪還してトーチカを造るよりもよほど安上がりで、東アジアにある種の「未来への実験島」を造ることになるだろう。だが前述したように、現在の韓国は混乱の極み、真っ最中である。日本が敗戦の傷痕であえいでいるときに、韓国によって不法占拠された竹島であるが、果たして日本が今、隣国の弱みに付け込むような交渉ができるかどうか。悩ましいかぎりである。
韓国よ、仏像を返しなさい! 国境に生きる対馬人の嘆き
2012年に長崎県対馬市豊玉町の観音寺から韓国人窃盗団に盗まれ、韓国に持ち込まれた県指定有形文化財「観世音菩薩坐像(以下、仏像)」について、今年1月26日、大田地方裁判所は同国の浮石寺へ引き渡すように韓国政府に命じる判決を下した(判決後、韓国の検察は控訴)。日本から盗んだ仏像を返す必要はない、という耳を疑うような判決である。田中節孝氏は1985年4月から2004年5月まで、観音寺の住職を務めた。これまでの経緯を含めて、先の判決をどのような思いで受け止めたのか、対馬の観音寺で話を聞いた。
怪しい動き〟は以前からあった
まず、先の判決の感想からお聞かせください。
田中 韓国政府側は最初、「14世紀に倭寇が略奪した」という韓国・浮石寺の請求に対して「確たる証拠はないので日本へ返還する」という姿勢を見せていました。ところが地裁の判決が出る前ごろから、仏像の所有権は浮石寺にあるとする人びとを中心に「日本側こそ仏像が日本に渡ってきた経緯を証明せよ」と騒ぎ始めた。こうした経緯から、大田地裁の判決についてもある程度予想はしていました。とはいえ、やはり理性と品格を欠くような判決で、日本とは異次元の世界であると感じました。
本件に関してはっきりしている事実は次の3つです。第1に、仏像は観音寺の所有である。第2に、観音寺は仏像を500年以上の長きにわたって所有してきた。第3に、それが韓国の窃盗団に盗まれたということです。真実はこれら3つしかありません。浮石寺側はもともと倭寇が盗んだというが、ただの推測というより妄想にすぎず、何の証拠もありません。盗人猛々しいというか、常人ではとても思い付かない発想です。
ご無念はよくわかります。韓国の窃盗団が観音寺の仏像だけではなく、同じ対馬市の海神神社の「銅造如来立像」や多久頭魂神社の仏教教典「大蔵経」を盗み出し、博多港から韓国南部・釜山港に持ち込んだのは2012年10月です。それ以前に〝怪しい動き〟はなかったのですか。
田中 はい、ありました。私が観音寺の住職になったのはいまから30数年前ですが、ちょうどそのころ、韓国から僧たちがやって来て、「観音寺の仏像は浮石寺でつくられたものだから、返してほしい」といってきた。私は「仏像は500年以上もこの寺で守ってきたものだ」といって追い返したのですが、12年の秋に盗難に遭ったとき、そのことを即座に思い出したんです。そして、あの一味が窃盗に関わっていたにちがいないと確信しました。韓国で窃盗団が捕まったのは翌13年の1月末でしたが、やはりそうだったのか、と。とても奇妙に感じたのは、発見された現場に浮石寺が近かったからです。そして、仏像が韓国で発見されてすぐに浮石寺が、「同像は14世紀に同寺でつくられた」などと主張し、保管する韓国政府に移転禁止を求める仮処分申請を韓国の大田地裁に行なっていたのです(地裁はこの申請を認める)。あまりに手際が良すぎる、というほかありません。どこか裏のつながりを感じてしまいます。
ちょっと酷な質問かもしれませんが、警備の問題についてもお聞きしたい。もちろん、盗んだ側に非があるとはいえ、セキュリティ(安全対策)に不備はなかったのですか。
田中 じつは観音寺の総代や村の人は、仏像が盗まれる前から「セキュリティに力を入れてほしい」と長崎県にお願いをしていたんです。そもそも仏像を文化財に指定したのは長崎県です。それなのに、県は対馬の文化財の保護にはあまり熱心ではなかった。しかし、対馬で盗難事件が相次ぐと、今度は掌を返したように警備に力を入れるようになりました。それでも盗人が観光客に成り済まして来ると、対馬の人は親切ですし、べつに怪しまれない。近ごろは村の住人も減り、近くにあった交番も移転してしまいました。その状況で事件が起きたのです。
仏像が盗まれたと知ったときの対馬の人の反応はどうだったのでしょうか。
田中 村の大切な仏様を盗むとは何事かという、素朴ですが強い怒りに満ちていました。ヨソからきた窃盗団がズカズカとお寺のお堂に入って、何百年も祖先が守ってきた仏像を強奪していったわけですから。韓国に対して返還を求める署名もたくさん集まりました。対馬の人びとだけでなく、ネット上の支援組織を通じて全国から署名が集まりました。ほんとうに感謝しています。
窃盗団の悪事を容認するような発言
韓国に押収された仏像2体のうち、所有者が名乗り出なかった海神神社の仏像は、2015年7月に日本に返還されました。以来、日本政府はもう1体の観音寺への返還を求め続けてきましたが、いまだに実現していません。
田中 先に述べたように、私たちも署名を集めて韓国政府に送るという働きかけをしてきました。やがて、大田地裁が13年冬に日本への返還を当分差し止める仮処分決定を下してから3年が経ちました。私は韓国政府の対応に期待していましたが、友人の1人から「韓国は何が起こるかわからない国だから、あらためて観音寺の立場を明確にしておいたほうがよい」とのアドバイスを受けました。
私にも思うところがあり、16年3月、韓国政府の外交部長官と司法を司る法務部長官、文化財を司る文化財庁の庁長に、早期返還を求める要望書を送ったんです。すると韓国検察から「3年前に同国の裁判所が返還を差し止めた仮処分がいまも有効であり、現段階での返還は困難」とする通知書が返ってきました(同年5月)。こんなおかしい話がありますか。
3年間、韓国の司法は何をしていたのでしょう。
田中 当初は、仮処分が切れる3年間のうちに本裁判を起こすといっていたのですが、それをしませんでした。そうしているあいだに、浮石寺が仏像を〝元の所有者〟である自分たちに引き渡すことを要求する訴訟を大田地裁で起こしたんです。そもそも、韓国政府が保管している仏像は、韓国の窃盗団が日本の寺から盗んできたものですよ。その所有権を韓国の国内法で裁くというんです。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の文化財不法輸出入等禁止条約では、盗難文化財が見つかった場合、加盟国は持ち主に返還しなければならないことになっています。これはユネスコの条文を持ち出すまでもなく、「国際信義」の問題だと思いますが。
田中 今年1月の大田地裁の判決後、浮石寺の円牛住職は「日本に略奪されたり、不法流出した文化財は7万点以上に達する。今回の判決は不法に流出した文化財を取り返す出発点になる」と語りました。あたかも韓国人窃盗団の悪事を容認するかのような発言です。自分は泥棒に手を染めず、それを利用しているのではないか、と疑わざるをえません。
30数年前の因縁もあるわけですしね。
田中 ですから、以前から私は近しい人に犯行の経緯について、私なりの〝犯行説〟を語ってきたわけです。今回、それが図らずも証明されたという感じをもっています。
仏像は14世紀に浮石寺でつくられたもの、という相手の主張についてはどうお考えですか。
田中 仏像内にあった書類にそう書いてありますから、その点については誰も否定していません。
文書には「高麗国瑞州浮石寺」「天暦三年(1330年)」などの記述があったそうですね。
田中 そうです。しかし、どうやって日本に渡ってきたのか、その経緯についてはわかる資料は結局、見つかっていない。歴史的な根拠はあります。朝鮮半島では14世紀末に李氏朝鮮が成立し、儒教を国教として仏教を排斥し始めます。仏像も焼かれたり、捨てられたりしました。
観音寺のほか、対馬の寺院や神社には朝鮮半島から持ち込まれた仏像が多数あるそうですが、大半が欠損しているそうですね。
田中 観音寺の仏像にも傷があります。ではそうした仏像が日本になぜ流れてきたかというと、まさに日本にもたらされた縁があったからでしょう。日本は昔からあった民俗信仰と伝来仏教を融合して、日本人の宗教観を形づくりました。神様、仏様を共にみんなでありがたく拝んできた国です。
神仏習合ですね。
田中 そうです。村のなかにお寺や神社が争うことなく共存してきました。だからこそ、朝鮮で必要とされなくなった仏像や経典が日本に渡り、さらに贈り物としてもたらされました。そして日本にはいまでもお寺が数多く残っています。
たしかに現在では博物館に収められているような朝鮮伝来の磁器や陶器を、もとは韓国でつくったものだから返せという主張が国際的に通用するはずもありません。ちなみに、仏像は倭寇が盗んでいったものという浮石寺の主張についてはいかがですか?
田中 そうした根拠のまるでない妄想について、同じ土俵に乗って戦うつもりはありません。そんな資料があるわけではないですし、ばかばかしいの一言です。あえていえば、倭寇が渡海の危険を冒して盗んでいくような価値のあるものだったら、こんな島のお寺に置いていきますか。きっと江戸や大坂の豪商に売りに行くでしょう。そしていまごろは、それこそ博物館のなかで展示されているかもしれない。つまり、当時この仏像は、倭寇が盗んでいくほどの価値がなかったということです。おそらく朝鮮からもらってきたか、何かと交換してきたのでしょう。しかし、対馬の集落の者にとっては何百年も守ってきた大切な仏様。だから早く返しなさい、といっているんです。
対馬は、李氏朝鮮との交易の最前線だったという歴史もあります。
田中 もともと観音寺は、朝鮮との交易のために宗氏によって建てられた西山寺(対馬市厳原町)の末寺です。交易の最前線に立っていたのですから、朝鮮の文物が村内で流通していたのは当たり前のことです。仏像もごく自然に伝わってきたのだと思います。にもかかわらず、「倭寇が盗んだ」の一本槍ですからね。
結局、韓国の人は、自国が外国とどのような交流をしてきたのか、歴史をきちんと学んでこなかったのではないでしょうか。とくに日本については「敵」としか教えてこなかったのは残念です。これは両国の友好にとって、ほんとうに不幸なことだと思います。
現在(2017年2月6日時点)、朴槿惠大統領は職権停止に追い込まれていますが、韓国の政治をどうご覧になっていますか。
田中 いつものこの国のパターンでしょう。国論が分かれて、つねに分裂と抗争を繰り返してきた歴史がありますから。普通の話し合いができない国なんです。日本に対してはとくに「日本が悪い」の一点張り。盗んだ仏像を返さない、悪いのは日本人だ、という姿勢はその象徴ではないでしょうか。
田中 返ってくるでしょう。日本国民も政府もほんとうに怒っているし、韓国政府もさすがに仏像1体で日本といつまでも喧嘩はできないでしょう。そもそも仏像を返さないことで、損をするのは韓国側です。たとえば、日本から韓国を訪れる観光客は年々減っている。一方で、韓国から日本に来る観光客は減るどころか、逆に増えています。対馬にも昨年は26万人もの韓国人観光客が訪れているんです。
田中 ちょうど仏像を盗まれる前、李明博大統領時代(2008~13年)あたりからだと思います。日本にいろいろとちょっかいを出してくるようになりましたからね。
2012年8月には、李大統領が竹島に上陸する事件などがありました。とはいえ、韓国と対馬は地理的に近く、感情的な問題はあっても、今後も付き合っていかなければならない存在である、ともいえます。
田中 おそらく対馬の人は有史以前から、朝鮮半島と交易してきた人びとです。そうして富を築いてきた。現在も多くの観光客が朝鮮半島から来ています。韓国の人が来れば、ニコニコしておもてなしをする。それが対馬人です。
いろいろ思うところはあるけれど、日本人らしく、寛容の精神でグッとこらえて、というわけですか。
仏像の盗難が起こる前から、韓国との付き合い方は心得ている。
田中 もう遺伝子レベルに組み込まれていますよ。トランプ大統領のように「壁」をつくって日本に来るな、という野暮なことはいわない。そういう品性のないことはしません(笑)。毅然と、粛々とこの問題に対処していく。それが国境に生きる対馬人の生き方なのです。 iRONNAより
田中 観音寺の仏像にも傷があります。ではそうした仏像が日本になぜ流れてきたかというと、まさに日本にもたらされた縁があったからでしょう。日本は昔からあった民俗信仰と伝来仏教を融合して、日本人の宗教観を形づくりました。神様、仏様を共にみんなでありがたく拝んできた国です。
神仏習合ですね。
田中 そうです。村のなかにお寺や神社が争うことなく共存してきました。だからこそ、朝鮮で必要とされなくなった仏像や経典が日本に渡り、さらに贈り物としてもたらされました。そして日本にはいまでもお寺が数多く残っています。
他方、韓国に行けばわかりますが、街で目立つのはキリスト教の十字架ばかりです。同じようなことが磁器や陶器にもいえます。日本には朝鮮伝来の茶碗がたくさん残っています。しかし韓国では今日、ステンレスの茶碗や箸が主流で、焼き物の食器はあまり見られません。
たしかに現在では博物館に収められているような朝鮮伝来の磁器や陶器を、もとは韓国でつくったものだから返せという主張が国際的に通用するはずもありません。ちなみに、仏像は倭寇が盗んでいったものという浮石寺の主張についてはいかがですか?
田中 そうした根拠のまるでない妄想について、同じ土俵に乗って戦うつもりはありません。そんな資料があるわけではないですし、ばかばかしいの一言です。あえていえば、倭寇が渡海の危険を冒して盗んでいくような価値のあるものだったら、こんな島のお寺に置いていきますか。きっと江戸や大坂の豪商に売りに行くでしょう。そしていまごろは、それこそ博物館のなかで展示されているかもしれない。つまり、当時この仏像は、倭寇が盗んでいくほどの価値がなかったということです。おそらく朝鮮からもらってきたか、何かと交換してきたのでしょう。しかし、対馬の集落の者にとっては何百年も守ってきた大切な仏様。だから早く返しなさい、といっているんです。
対馬は、李氏朝鮮との交易の最前線だったという歴史もあります。
田中 もともと観音寺は、朝鮮との交易のために宗氏によって建てられた西山寺(対馬市厳原町)の末寺です。交易の最前線に立っていたのですから、朝鮮の文物が村内で流通していたのは当たり前のことです。仏像もごく自然に伝わってきたのだと思います。にもかかわらず、「倭寇が盗んだ」の一本槍ですからね。
結局、韓国の人は、自国が外国とどのような交流をしてきたのか、歴史をきちんと学んでこなかったのではないでしょうか。とくに日本については「敵」としか教えてこなかったのは残念です。これは両国の友好にとって、ほんとうに不幸なことだと思います。
損をするのは韓国側
現在(2017年2月6日時点)、朴槿惠大統領は職権停止に追い込まれていますが、韓国の政治をどうご覧になっていますか。
田中 いつものこの国のパターンでしょう。国論が分かれて、つねに分裂と抗争を繰り返してきた歴史がありますから。普通の話し合いができない国なんです。日本に対してはとくに「日本が悪い」の一点張り。盗んだ仏像を返さない、悪いのは日本人だ、という姿勢はその象徴ではないでしょうか。
このまま韓国で政治の混乱が続くと、仏像の問題は脇に置かれたままになってしまうかもしれません。最終的に仏像は観音寺に返ってくるのでしょうか。
田中 返ってくるでしょう。日本国民も政府もほんとうに怒っているし、韓国政府もさすがに仏像1体で日本といつまでも喧嘩はできないでしょう。そもそも仏像を返さないことで、損をするのは韓国側です。たとえば、日本から韓国を訪れる観光客は年々減っている。一方で、韓国から日本に来る観光客は減るどころか、逆に増えています。対馬にも昨年は26万人もの韓国人観光客が訪れているんです。
韓流ブームもいまや日本人の記憶から遠のいています。明らかに日本人の対韓国感情は悪化している。対馬の人びとが韓国に対してあまりよい印象をもたなくなったのは、いつからだとお考えですか。
田中 ちょうど仏像を盗まれる前、李明博大統領時代(2008~13年)あたりからだと思います。日本にいろいろとちょっかいを出してくるようになりましたからね。
2012年8月には、李大統領が竹島に上陸する事件などがありました。とはいえ、韓国と対馬は地理的に近く、感情的な問題はあっても、今後も付き合っていかなければならない存在である、ともいえます。
田中 おそらく対馬の人は有史以前から、朝鮮半島と交易してきた人びとです。そうして富を築いてきた。現在も多くの観光客が朝鮮半島から来ています。韓国の人が来れば、ニコニコしておもてなしをする。それが対馬人です。
いろいろ思うところはあるけれど、日本人らしく、寛容の精神でグッとこらえて、というわけですか。
田中 それが対馬人の生きる道ですからね。来る者は拒まず、韓国人が好きとか嫌いとか、公には口にしません。対馬の人は、昔から韓国人の性格は知り尽くしています。だから、今度の判決も「やっぱりそうか」と冷静に受け止めている人は少なくない。
仏像の盗難が起こる前から、韓国との付き合い方は心得ている。
田中 もう遺伝子レベルに組み込まれていますよ。トランプ大統領のように「壁」をつくって日本に来るな、という野暮なことはいわない。そういう品性のないことはしません(笑)。毅然と、粛々とこの問題に対処していく。それが国境に生きる対馬人の生き方なのです。 iRONNAより
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