現実とは何処までが現実なのだろうかと思うときがある。時間は1秒毎に前に向かって刻んでいる。ある著名な人は手帳が今の現在の現実だと書いてあった。1ヶ月先の講演会が入っていれば、その他の用事は入れる事ができないという解釈である。
私の現実とは死ぬ時までが、現実なのではないかと思う。1ヶ月先の用事がある時、交通事故、災害、不慮の事故で死んでしまえば、私の現実はそこで終わりである。
そう思うようになったのも、年を取った証拠かと思う時もある。60歳といえば2/3は棺桶に入っているみたいなものである。いつお迎えが来てもおかしくない年になってしまったと考えるようになった。
私の友達や友人の何人かは59歳でこの世をおさらばしている。その人たちは年金も掛けていたが、年金ももらわずあの世とやらにいってしまったのである。年金は掛け捨てかと思う。儲かるのは国であり、配偶者がいればその人に遺族年金が支給されるが、共働きはそうは行かない。何か納得出来ないと思うのは私だけではないはずである。
死ぬ日を背中に書いて生きているわけではない。人生は一寸先は闇とはこの事である。人生は何が起こるか分からない。それが人生なのかもしれないが、怪我をしたり、交通事故にあったり、癌という病気になる。
そんなことを考えて、生きている人生とは何であるのか、人間に限らず全ての生命は終わりを迎える。私がその時になった時に、何を思いながら死んでいくのであろうかと、今考えているが無駄な考えかもしれない。その時、自己の脳の意識は無くなり自分でコントロール出来なくなることに決まっている。
死後の世界は存在するのであろうか、世界の科学者の多くは死後の世界は存在すると考えているらしい。脳を解剖して何で意識が発生するのか分からないと書いた科学者もいた。宗教とはそれを救うために存在しているのかもしれない。
若い時は死ぬ事について考えたことはあるが、それは怖いもの自分には関係ない事だと思っていたが、この歳になれば「死」について考える年になってしまった。
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2016年11月18日金曜日
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