2017年5月21日日曜日

ンゲマは38年君臨!「暴君」大陸アフリカはなぜ生まれ変わったのか

サブサハラ・アフリカ(以下単にアフリカと記述)には現在49の国が存在し、その多くは1960年代に独立した。その後の半世紀を超える歴史を振り返ると、多くの国家が一人の政治指導者による長期政権を経験している。2017年1月末現在、最も長く政権の座にあるのは、1979年に就任したアンゴラのジョゼ・ドス・サントス大統領と、赤道ギニアのオビアン・ンゲマ大統領だ。両氏の在任期間はともに今年で38年目となった。
2006年10月、日本・赤道ギニア首脳会談の前に安倍晋三首相(右)と握手するンゲマ・赤道ギニア共和国大統領
2006年10月、日本・赤道ギニア首脳会談の前に安倍晋三首相(右)と握手するンゲマ・赤道ギニア共和国大統領
 
49か国のうち、30年以上政権の座にある指導者は6人いる。この2人に加え、ジンバブエのムガベ大統領(在1980年~)、カメルーンのビヤ大統領(在1982年~)、ウガンダのムセベニ大統領(在1986年~)、スワジランドの国王ムスワティ三世(在1986年~)がこれに当たる。さらに、この6人を含む計9人が20年以上権力の座にある。
 
1994年から西アフリカの小国ガンビアの大統領の座にあったヤヤ・ジャメ氏は、5選を目指した2016年12月の大統領選挙で野党統一候補に敗北した。しかし、ジャメ氏は「選挙結果に不正があった」と強弁して結果の受け入れを拒否し、政権の座にとどまろうとした。西アフリカ15カ国で構成する「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」はジャメ氏に退陣を求め、ナイジェリア、セネガル両軍をガンビアに派遣。さらに米英仏などの支持を取り付け、ECOWASの取り組みを支持する国連安保理決議を成立させた。結局、ジャメ氏は圧力に屈し、1月21日に赤道ギニアへ亡命した。ジャメ氏もまた、22年にわたって権力の座に君臨し、反体制派への弾圧で知られた独裁者であった。
 
かつて短命に終わった指導者の中にも無数の独裁者がいたことを思えば、アフリカが独裁者出現率の高い地域であることは間違いない。独裁者が数多く誕生してきた理由の一つは、アフリカの国々では社会に「遠心力」が働きやすいからだと考えられる。

アフリカは19世紀以降、大陸のほぼ全体が英仏を中心とする欧州の宗主国によって植民地化され、宗主国は人々の生活圏や民族分布を無視して好き放題に境界線を引いた。その後、アフリカの国々は植民地期の領土境界線を引き継ぐ形で独立したので、一つの国の中に数多くの民族が暮らし、宗教も多様であることが一般的になった。例えば2016年8月に日本政府主導の「第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)」が開催されたケニアには、少なく見積もっても42の民族が居住しており、アフリカ最多の1億8000万人超の人口を擁するナイジェリアには、キリスト教徒とイスラーム教徒がちょうど半分ずつ住んでいる。
 
多民族国家であっても、米国のような国民共通の価値観(例えば民主主義)に基づいて統合されている国であれば、社会は統一性を保ちやすい。しかし、共通の価値や理念のないまま多民族が同居を強制されたアフリカの国々では、当然ながら社会に「遠心力」が働き、民族を単位とした社会の分断が進みやすい。
 
だから政治指導者は、権力を握ると自分の周辺を同じ民族の出身者で固め、軍や警察を使って国家の一体性の維持に懸命になった。こうして1960年代後半から70年代にかけて、一党支配や軍事独裁がアフリカ各国に続々と誕生し、東西冷戦の時代には米ソ両国がそれぞれの思惑と戦略に則って、これらの政権を軍事的・財政的に支援した。ケニアでは1978年から2002年までモイ政権が24年に及ぶ強権体制を維持したし、ナイジェリアの場合は各政権の命は短かったものの、1966年から1999年までの33年間のうち実に29年間は、複数の軍事独裁政権による支配下にあった。

冷戦終結によって米ソの支援を失ったアフリカ各国の独裁体制は、1990年代に相次いで崩壊し、指導者によっては複数政党制を導入して選挙による延命を図った。現在のアフリカでは、ほとんどの国で制度的には「民主主義」が導入され、複数政党制による大統領選や議会選が行われている。中にはガーナのように選挙を通じた平和裏な政権交代が定着した国もある。

だが、その一方で、現職の権力者が選挙で敗れても結果受け入れを拒否したり、選挙前に野党陣営が激しく弾圧されることは、珍しい話ではない。先述したガンビアはそうした事例の典型だし、ブルンジのンクルンジザ大統領、コンゴ共和国のサスー・ヌゲソ大統領、ルワンダのカガメ大統領の3氏はいずれも2015年、憲法の三選禁止規定を改正し、三選に踏み切った。

このうちブルンジは、出馬に踏み切ったンクルンジザに対する国民の抗議と、それに対する徹底的な弾圧で政情が不安定化している。今日のアフリカの政治を巡る特徴の一つは、このように制度的には民主主義の衣をまとっているが、現職大統領の独裁的政権運営によって民主主義が骨抜きにされている事例が見られることである。

現代アフリカの独裁政治を考える際に注目すべき、もう一つの新しい現象は、抑圧的支配と高度経済成長を両立させる指導者の出現である。
 
1970年代~90年代までのアフリカには、まさに「暴君」と呼ぶに相応しいタイプの独裁者が君臨していた。大陸中央部に位置するザイール(現コンゴ民主共和国)を30年以上支配し、推定5000億円をスイスの銀行に不正蓄財したとされるモブツ大統領。1990年代のナイジェリアで人権活動家を公然と処刑し、最後は売春婦と性行為の最中にバイアグラの過剰摂取で死亡したとされるアバチャ大統領。世界最貧国の一つでありながら、国家予算の6倍の金を費やして皇帝戴冠式を強行した中央アフリカ共和国の皇帝ボガサ一世。紛争地で採掘されるダイヤモンドで蓄財した挙句、反政府勢力の蜂起で政権が崩壊し、身柄拘束後に隣国シエラレオネ内戦における戦争犯罪で国際刑事裁判所から有罪判決を受けたリベリアのテーラー大統領などである。

彼らの支配には「国家の私物化」という共通点があった。天然資源の輸出収益など国有財産の横領。国際社会の非難を全く意に介さない苛烈な人権弾圧。酒、女、薬物などに溺れる堕落した私生活。彼らは国民生活の向上に一切の関心を持たず、当然の帰結として経済は麻痺し、国家は完全に崩壊した。
スーダンのバシル大統領=2015年1月撮影(AP)
スーダンのバシル大統領=2015年1月撮影(AP)
今のアフリカにも、ダルフール紛争での戦争犯罪で国際刑事裁判所から逮捕状を発布されているスーダンのバシル大統領(在1989年~)のような「暴君」型の独裁者もいる。だが、時代は変わった。今日のアフリカの独裁者の中には、経済成長に強い関心を抱き、国を紛争に後戻りさせない決意を持ち、堕落した私生活と決別し、成長戦略の推進と社会の底上げ、すなわち「開発」を進めている指導者が散見されるのである。

憲法の三選禁止規定を入念な手続きを経て改訂し、2000年から政権の座にあるルワンダのカガメ大統領は、そうした指導者の典型である。ルワンダでは野党関係者の投獄、不審死などがしばしば問題になってきたが、カガメは国内の絶大な支持を背景に強気の姿勢を貫き、国際社会からの批判を意に介していない。こうした抑圧的支配が問題視される一方で、カガメ体制下のルワンダは外国企業の積極的な誘致により、2004年以降ほとんど全ての年で7%以上のGDP成長率を達成している。
 
内戦を平定して1991年に政権掌握し、2012年に57歳の若さで病死するまでエチオピアの指導者だった故メレス首相も、抑圧的支配と経済成長の両立で知られた。メレス体制下で2010年5月に実施された総選挙(下院)では、メレス率いる与党エチオピア人民革命民主戦線(ERPDF)が545議席のうち、実に543議席を獲得した。
1月21日、ガンビアの国営テレビで大統領職からの退陣を発表するジャメ氏(AP=共同)
1月21日、ガンビアの国営テレビで大統領職からの退陣を発表するジャメ氏(AP=共同)
与党のほぼ全議席独占という、民主主義国の常識からすれば不自然極まりない選挙結果は、メレス死後に行われた2015年5月の総選挙でも繰り返された。その点ではエチオピアにおける政治的抑圧は、メレスの個人独裁というよりも、与党ERPDFの一党独裁とみる方が正確かもしれない。ともあれ、このエチオピアもまた驚異的な経済成長を遂げており、2012、2013年の2年間を除けば2004年以降すべて二桁のGDP成長率を記録している。

長年にわたってアフリカの経済的停滞と政治的混乱に辟易してきた欧米ドナー国の間では、ルワンダ、エチオピアの評判は悪くない。米国はソマリアにおける対イスラーム過激派との代理戦争をエチオピアに任せてきたし、ルワンダはソマリアなどに展開するアフリカ連合平和維持部隊の中核を担ってきた。ルワンダ、エチオピア以外では、例えばウガンダのムセベニ大統領は1986年からカリスマ的な指導力によって事実上の個人支配体制を維持しながら、着実な経済成長を実現している。 
彼らの統治は、無慈悲な暴力によって国家を私物化した前世紀の独裁者とは明らかに異なっている。現代アフリカの独裁は、あえて形容すれば、20世紀のアジアに存在した「開発独裁」に似てなくもない。

韓国の朴正熙政権、台湾の蒋経国政権、インドネシアのスハルト政権など、アジアには抑圧と経済成長を同時並行させた開発独裁政権が複数存在した。人権抑圧を伴うこれらアジアの政権が国際的に許容された理由の一つは、東西冷戦下の「反共」であった。21世紀のアフリカでは今、「アフリカの経済成長と安定」という大義名分の下に、新たな開発独裁が出現していると言えるかもしれない。 iRONNAより

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