纏足は、何世紀にもわたって中国人女性に苦痛を与え続けてきた。纏足により足を人為的に変形させ、よちよち歩きしかできなくなった女性の数は、数百万にも上ったとみられている。
このほど出版された『Bound feet,Young hands(纏足女性、手工業の若い担い手)』の著者の1人、ローレル・ボッセンさんは、従来は、纏足は「三寸金蓮」(10cmほどの、金色の蓮の花びら)と例えられるなど、男性の審美眼を満足させ、女性が豊かな暮らしを手に入れるために必要な手段とみなされていた。
だがボッセン氏は、この説には誤りがあると指摘している。
女の子を労働人員として、座ったままの単純作業に従事させる
纏足という習慣が1000年以上もの間続いたのは、経済的な要因だと同氏は指摘している。纏足を施すことによって、小さな女の子を座ったままの単純作業に従事させることができるようになる。
子供は家庭にとって重要な労働人員だ。特に農村部では、女の子は7歳ごろから糸つむぎや機織りといった手仕事を始めていた。安価な工業製品が出回ってこうした手工業品を淘汰するまで、纏足の習慣は消えなかった。
ボッセン氏は、「纏足を性愛という優雅な秘め事の対象としてみなすと、歴史を大きく歪曲することになる」と指摘している。
同氏はかつてカナダのマギル大学で教鞭をとっていた人類学者で、纏足の研究は米国セントラルミシガン大学のヒル・ゲイツ氏と共同で行った。2人は中国の農村地帯で約1800人の老婦人から聞き取り調査を行った。彼女らは中国に残った最後の纏足世代の女性。
調査の結果、家庭で作られる布製品が大きな収入源となっていた一部地域では、最後まで纏足の習慣が残っていたことが分かった。この地域では、それよりもっと安い工業製品が手に入るようになってから、纏足の習慣が廃れていったことも分かっている。
女の子が機織りなどの仕事を始めた年齢は6歳から7歳ごろで、この時期は彼女らが纏足を始めた時期とほぼ一致している。
1933年生まれという女性は聞き取り調査で「私は10歳ごろに母親から纏足をされましたが、やはり10歳ごろに糸つむぎを始めるようになりました。足を布で巻き縛るたびに痛みで泣き叫んだものです」と答えている。
纏足の起源は宋の時代(960年~1270年)にまでさかのぼる。はじめは宮廷で行われるようになり、次に貴族階級に広まり、最後に農村部にも広まった。19世紀になると纏足女性は中国のどこでも見られるありふれた光景となった。
纏足の習慣が廃れ始めたのは20世紀に入ってから間もなくで、それから国民党政府が禁止措置を取った。
ボッセン氏は、この研究は女性を苦しめている他の習慣を打破するために、経験や教訓を与えるものだと語る。また、今回の研究では宗教団体や社会の改革者によって纏足排斥運動が起こされたのではなく、経済的な要因から纏足という習慣が終わりを告げたことが明らかになったという点も指摘している。 大紀元日本より
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