2018年2月28日水曜日

反日政権くぐり抜け日韓基本条約で時の人に 東京帝国大卒の韓国の秀才

米ボストンには韓国出身の友人が何人かいる。その1人のSさんから聞く両親や親戚(しんせき)の話は、実に興味深い。母親は、1910(明治43)年に第二代統監の寺内正毅と日韓併合条約を結んだ大韓帝国内閣総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)直系の孫で、父親の人生も日韓の歴史に深く関わっている。
 
母親の古い戸籍謄本には、朝鮮貴族とあり、6歳で日本に渡り、戦前の女子学習院に馬車で通学したという。

ちなみに李完用は日韓併合条約を結んだことなどから、韓国と北朝鮮では“売国奴”として、今でも増悪の的になっている。

■反日政権下では一介の弁護士に

「戦後、墓も破壊され、70数年経た今日でも、李家の血筋を引く人で、政府関係の職に就いている人は誰もいません。このことからしても根強い恨みの深さが分かるでしょう」

私にSさんはこう語った。Sさんの父親、韓氏は1914年生まれで旧制武蔵高等学校に留学。東京帝国大学法学部(現東大法学部)の3年生で、高等文官司法試験に一番の成績で合格したという。

朝鮮人への差別があった時代、朝鮮人留学生たちは、勉学に励み日本人学生よりも優秀な成績を修めることで、民族の誇りを無言で示したそうだ。

韓氏は、25歳で釜山と京城(現ソウル)の裁判所で判事を務めるほどの秀才だった。

第二次大戦後、李承晩(イ・スンマン)大統領に頼まれ閣僚となった親友3人も同じ帝大法学部卒。韓氏は、政府で働くことを強く勧められた。

しかし、国民に日本語を使うことすら禁止した過激な反日思想の李承晩の下、李完用の孫娘を妻に持つ身では、遅かれ早かれ何らかの問題が生じるであろうことは火を見るよりも明らか。

韓氏は、一介の弁護士としての道を選んだ。

戦後すぐは、米国政府の要請で、日本統治時代における朝鮮総督府が残した膨大な書類を英訳する仕事に2年間携わっていた。

■新聞の1面に自身の名

1961年、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の、軍事クーデターによって、韓氏は大きな歴史のうねりに巻き込まれていく。

政権を取った朴大統領は政府の立て直しに多くの頭脳を必要としていた。

ある朝、新聞を開いた韓氏は、1面に自分の名前が大きく載っていることに驚いた。朴大統領が最高裁判所長官として任命するとの記事だった。韓氏にすれば、青天の霹靂(へきれき)で、祝福の電話が鳴りっぱなしだったという。

人を裁く判事の仕事は、自分の性格に合わず、また新政府で働く気もない韓氏は断った。

当時の様子を娘であるSさんはこう振り返る。

「泣く子も黙る韓国一の権力者の命令を拒否したことで、刑事たちが家に来て、父親は3カ月も拘留されてしまいました」

そして1965年、朴大統領と佐藤栄作首相との間で日韓基本条約が結ばれたことによって、時代が彼を必要とし、韓氏の人生は激変して時の人となる。

韓日英の3カ国語が堪能で、経済や商業知識にもたけた韓氏は、日本の名だたる何社もの大企業から顧問弁護士として三顧の礼をもって迎えられ、韓国一の多額納税者となった。

またアメリカの航空会社が韓国に初めて乗り入れた際も顧問弁護士として活躍をしている。

国に莫大(ばくだい)な利益をもたらした業績により、朴大統領は直々に韓氏夫妻を青瓦台に招待した。韓氏の経歴を知る大統領だが、互いに過去の拘留には一言も触れなかったそうだ。

■割腹で最期を遂げる

Sさん夫妻の話では、両親とも立ち居振る舞いは日本人そのものだったそうで、私が「どのように?」と聞くと、こう答えてくれた。

「両親は日本人のように話すとき、首を上下に振ったり何度も頭を下げるのです。韓国人にはない所作です」

「それに父親は毎朝、梅干しを欠かさず、家では日本語を使っていました」

利益を生む韓国市場へ参加するため、日本企業は、戦前の大学卒業名簿などから韓国人の秀才留学生を調べ尽くしたことだろう。

韓氏の伯母の夫である安秉範(アン・ビョンボム)氏は、日本陸軍中央幼年学校に留学し、1914年卒業の陸軍士官学校第26期生。長男、次男とも日本の陸軍士官学校卒の軍人一家。

輝かしい軍歴だったが、朝鮮戦争でソウル陥落の際、脱出できず悲劇的な最後を迎えた。

北朝鮮軍は安大佐を親日派として執拗(しつよう)に探していた。安大佐は身内や親類の納屋に点々と隠れたが、これ以上、迷惑は掛けられないとソウルが見渡せる仁王山で割腹した。

朝鮮民族でありながら、日本古来の作法で命を絶ったのは、日本の軍人魂が染み渡っていたのだろうか。

威風堂々とした美丈夫だったそうだ。

2016年7月22日。片方の腎臓摘出から6年目のCTスキャン定期検査で両肺にがんが見つかる。

7月27日。これから始まる週1回の「ケモ治療」(抗がん剤治療)への心構えとして、上級の看護職で一定レベルの診断や治療を行うナース・プラクティショナーと1対1での話し合いが始まった。時間はゆうに1時間以上となった。

かなり厚い書類を渡され、中にはケモで使用される2種類の薬名(シスプラチン、ジェムザール)の効用、副作用などがそれぞれ6ページにわたって説明をされている。

日本人と分かると親切に翻訳機能を使って日本語訳をプリントしてくれたが、あまりにもひどい日本語訳で意味をなしておらず、大笑いをした。

患者として知っておくべきことや必要とするであろう事柄が事細かに記載されており、他には州のヨガ教室やマッサージ、鍼医、霊気療法、かつら店などのリストもあった。

そしてこう告げられた。

「女性患者にとって一番のショックは脱毛です。患者たちの集まりがありますから、家に近い場所をリストから選び参加して経験談を聞いたり話し合ったりすると気分がなぐさめられますよ」

私は、「行きません。そこに行って自分もいずれあのような頭になるのかと目にしたら、もっとショックを受けるでしょうから」と返事をした。

そうすると、「がん患者は往々にして鬱になりやすいので、他にこのような集まりもありますよ。そこでは、心に鬱積した思いや不安をお互いに打ち明け、話し合うことを勧めます。これは心理的に効果があります」と優しく言ってくれた。

「ご親切は、とても有り難いのですが、鬱の人たちに囲まれたら私まで鬱になってしまいます。それに育った環境や現在の生活状態も違う人たちと分かり合えるとは思いませんので、それも行きません」と断ると、「気が変わったら是非参加をされてください」と笑顔で言われた。

ケモ治療の副作用として味覚障害を説明され、レモンをかじりながら食事をすると良いとのこと。

私にとって、これが一番重要に思えた。

ゆうに1時間半も費やして親身に説明をしてくれた彼女に申し訳なかった。

現在は、がん治療を受けながら働く毎日。治療では、スイスのロッシュ社による新薬の免疫チェックポイント阻害剤「アテゾリズマブ」を使っている。日本ではまだ認可が下りていない。早く認可が出た米国で、実際の治療を通して知見が得られている最新治療を受けることを聞いた私の回りの日本医師たちは、口をそろえたように「幸運だ」と言う。

日本が恋しいわけではないが、誰よりも日本を愛し誇りに思う。ボストンから見る日本や、少し変わった日常の出来事などをコラムにし、日本ではまだ認可されていない最新のがん治療の様子も紹介していきます。産経WESTより

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