命を脅かす敵に出くわしたとき、自然界では生物が採る行動は2通りある。有力な武器を持つ者は猛然と反撃する。他方、戦う術を持たない者は「逃げるが勝ち」だ。どちらも立派な生き残りの方法である。
だが、脱兎のごとく逃げるのと、堂々めぐりをするとは違う。道を失って同じ場所をぐるぐる回るのは遭難だ。北朝鮮の核ミサイルの脅威に直面し、総じて日本の政治家と大手メディアは今、この迷路に陥っている。
保守と革新、改憲と護憲。右回りであれ、左回りであれ、出口のない議論に明け暮れる。堂々めぐりだ。北朝鮮の核問題を「対話と制裁」、つまり「平和的手段」での解決を異口同音にいう。違いがあるとすれば力点の置き方だけである。
ところが、対話の中身、つまり落としどころが見えない。北朝鮮が単なる話し合いで核放棄に応じる可能性はない。そこで、説得の手段として経済制裁が声高に唱えられる。だが、しょせんは中国頼みだ。後述するように、北朝鮮が経済制裁に屈して説得に応じることは期待薄だ。
そうなると、武力制裁しか手立てがなくなる。だが、日韓両国は北朝鮮の核ミサイル攻撃に対抗できる有効な軍事的手段を持たない。そこで、誰もが内心ではアメリカの核の傘に望みを託している。
北朝鮮がアメリカ本土に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)を保有するようになれば、「サンフランシスコが壊滅させられるかもしれないのに、米国が日本や韓国を防衛する見込みはまずない」(「北朝鮮ICBM保有で日米同盟弱まる」朝日新聞5月22日付)。
新聞社が新聞社に取材するとは、本来なら随分と間の抜けた話ではある。だが、今回はそうするだけの値打ちがあった。WSJ紙はアメリカの歴代政権との距離が最も近いことで知られる。したがって、同紙編集長の見解はトランプ政権の本音と見て良い。
欧州にみる安保破綻の先例
北朝鮮がICBMの発射実験に成功した瞬間、アメリカの核の傘が破れて、日米安保条約は単なる空約束となる。
その証拠はヨーロッパでも見られる。アメリカは本来、ロシアの軍事攻撃から北大西洋条約機構(NATO)の加盟国を守るのが約束だ。
今年5月のトランプ大統領の欧州訪問の際、ドイツのメルケル首相はこの集団安全保障上の義務を念押しした。プーチン大統領は時代錯誤な領土回復の野心に駆られている。そのロシアの魔手がラトビア、エスト二ア、リトアニアのバルト3国に迫る。
ところがトランプ大統領は防衛義務の明言を避けた。トランプ大統領が持論の「自国第一」主義で従来の方針を変えたのではない。戦後70年間の長きにわたる外交辞令の虚構を、正直な本音に置き換えただけである。
ともあれ、欧州でアメリカの核の傘が破れたのも同然だ。メルケル首相は堪忍袋の緒が切れ、今後は「欧州の運命は自分の手で決める」(5月28日)と言明した。ロシアに屈しない腹を固めたようだ。
非核保有国のドイツには欧州最大規模の米軍が駐留する。そのドイツでは、トランプ政権誕生の直後から、「ドイツ核武装論」が主要メディアや政治家の間で勢いづく。ドイツの国力を持ってすれば半年ほどで核爆弾を作れるようだ。
はたしてドイツが「欧州連合(EU)の核の傘」作りに乗り出すのかどうか。欧州の安全保障体制は重大な転機を迎える。同じ構図は日本にも当てはまるはずだ。
カウントダウンが始まった核の傘の破綻
北朝鮮の核ミサイル問題で、日本の政治と言論はそろそろ堂々めぐりをやめるべきだ。「三十六計、逃げるが勝ち」であれ、手強い相手に全面戦を挑む「混戦計」であれ、どちらでも良い。上述した「破れ傘」の現実を直視し、進路を明確にする決断のときを迎えている。
確かに、アメリカ本土に届く北朝鮮の核ミサイル(ICBM)は開発の途上だ。しかし、筆者の知る限り、日本と韓国(そして中国)を射程に収める短・中距離の核ミサイルはとっくに完成を見ている。少なくとも2年前(中国向けについては1年前)に実戦配備されている。北朝鮮の戦略軍司令部は各打撃目標の照準化(自動発射態勢)を完了している。最近相次ぐ日本近海への弾道ミサイル発射は実験ではなく実戦に向けた運用訓練だ。
いくら目をそらせても、現実は向こうから迫り来る。北朝鮮がICBMを保有するまで、長くて3年後、短ければ1年後と見られる。その間に外交的努力(交渉と経済制裁)で問題を解決できなければ、アメリカの核の傘が破れる。
交渉で北朝鮮の核放棄を実現するのは不可能だ。そうなら、どこに妥協点があるのか。「逃げるが勝ち」で、日本が北朝鮮の核ミサイルと共存の道をえらぶのなら、参考になる
先行事例がある。「パキスタン方式」がそれだ。
日本が一役買った悪しき前例、パキスタン方式
パキスタンは、インドの核脅威への対抗上、1998年に核実験を強行して事実上の核保有国となった。国際社会はパキスタンに経済制裁を加えたが、わずか1年足らずで腰砕けになった。パキスタンが「テロとの戦い」に加わるという口実を設け、核保有の事実を追認する現状維持策に転換した。
パキスタンは核兵器の拡散防止と将来の核軍縮を約束する。約束履行の見返りとして、国際社会は経済制裁を解き、各種の経済協力をパキスタンに供与する。
この「悪しき前例」作りに北朝鮮と日本が一役買った。金正日は北朝鮮製の弾道ミサイルをパキスタンに供与して核保有を助けた。他方、日本の小泉純一郎首相は核実験強行の2年後(2001年)にパキスタンと関係改善、翌2002年3月にはムシャラフ大統領(当時)を日本に招き、3億ドルの無償資金協力を含む経済支援を約束した。以来、日本はパキスタンと友好協力関係を保つ。
実は、98年のパキスタン核実験では、最後の6回目に北朝鮮製の核弾頭が使われた。北朝鮮が無償で供与した弾道ミサイルと引き替えにした代理実験だった。したがって、この年に北朝鮮は事実上、核保有を実現したことになる。
経済制裁は長続きせず、やがて経済協力による「現状維持」に傾く。北朝鮮の核保有はアメリカや日本との国交正常化と両立できる。
このような計略を知ってか知らずにか、日本政府は2002年9月に小泉首相の電撃訪朝で日朝国交正常化に動いた。ムシャラフ大統領訪日のわずか半年後の出来事だった。米中両大国によるアジア共同支配(G2体制)の動きに一矢を報い、日本のアジア外交での立ち位置を固める確保する腹積もりだった。
他方、北朝鮮は98年のパキスタン「代理核実験」を押し隠して、日本との国交正常化を果たそうとした。そうして巨額の経済協力金(植民地支配の賠償金)を手に入れた後に、自国で核実験を実施し、核ミサイル開発を進める目論見だった。
この策略は日本人拉致問題が紛糾して頓挫した。だが、日本が北朝鮮の核問題に無頓着だった点は否めない。当時、北朝鮮の核開発阻止はもっぱら「韓国の問題」「アメリカの仕事」と観念していたかのようだ。
中国の圧力には限界がある
実際、中国は戦争の危機回避を大義名分に掲げて「対話による解決策」を盛んに唱える。その内実はパキスタン方式に近い。北朝鮮がとりあえずICBM開発を中断する代わりに、大規模な米韓合同軍事演習を中止するというものだ。
ただし、その行く先には何の見通しもない。詰まるところは現状維持の妥協案だ。北朝鮮が現在保有する核弾頭(20発程度)と短・中距離弾道ミサイルは容認されることになる。
日米韓が期待を寄せる中国の経済制裁強化は、この線で北朝鮮を説得する水準に止まるものだ。
確かに、中朝関係には異変が起きている。互いに名指しで批判合戦を繰り広げるのは異例だし、北朝鮮が北京に核ミサイルの照準を合わせるのも尋常ではない。そうなれば、当然のことながら、中国も平壌に核ミサイルの照準を合わせる。双方が核ミサイルを向け合う事態は、とても「血盟関係」(軍事同盟)と呼べるものではない。
核武装した仮想敵の北朝鮮と友好関係を維持することで、中国は自国の安全保障を管理できる。むしろ、中国が石油や食糧を止めて金正恩政権を自壊に追い込むのは、かなり危険な賭けとなる。それでも、中国企業への「二次制裁」(第三国制裁)をちらつかせ、トランプ政権は中国を制裁強化に追い込む。だが、この戦法には限界と問題がある。
中国は日米韓に梯子を外されていた
中国はかつて、誰に言われるまでもなく、北朝鮮の核開発阻止に向けて強力な独自制裁を発動した経験がある。北朝鮮がパキスタンで原爆の代理実験をする以前、北朝鮮の核ミサイルが北京を照準化する前の話である。
中国は北朝鮮が91年から秘密の核開発計画を進めている事実をいち早く察知した。そこで江沢民政権は92年に食糧と石油の対北援助を電撃的に停止した。この経済制裁で北朝鮮経済が完全に麻痺し、94年から大飢饉に見舞われる。国民の10人に1人とされる飢死者を出し、40万人ともされる難民が中国になだれ込んだ。
「経済制裁は戦争よりも酷い」「経済制裁をするぐらいなら、いっそ戦争をするほうがましだ」。このような主張を裏書きして、北朝鮮の社会的弱者ばかりをなぎ倒した。「平和」や「人道」とはかけ離れた光景が繰り広げられた。それでも中国は制裁の手を緩めなかったが、北朝鮮の独裁者の意志を挫くことはできなかった。
このぎりぎりとした持久戦の最中に、アメリカ政府は、日韓両国を引き入れ、北朝鮮に重油と軽水炉を提供する「94年米朝枠組合意」を結んだ。さらに98年には、韓国で「太陽政策」を掲げる親北左派政権が誕生、韓国政府は大規模な対北経済支援に乗り出した。これを追いかけて、日本政府は日朝国交正常化に動き出した。
中国はすっかり梯子を外された。その結果、中国は次善の策として独自制裁に終止符を打ち、2000年には対北経済支援に逆戻りした。中国は核武装した手強い北朝鮮との平和共存の道を選んだ。
アメリカが力の解決を選ばなかったら
それでも中国は北朝鮮有事への備えを怠らない。昨年3月に北朝鮮が北京に核照準を合わせて以降、慎重かつ着実に中朝国境で兵力を増強してきた。今や精鋭部隊を含めて総勢20万人の大兵力が集結しているものと見られる。「1週間で平壌を占領できる」と非公式に豪語する中国軍の将軍もいるという。
上述したWSJ紙のベーカー編集局長は「この半年間で、米国が北朝鮮に先制攻撃する可能性は高まった」と言う。それでも、アメリカが先制攻撃に踏み切るのは容易でない。広範な国際世論の支持が必要だし、何よりも日韓両国の犠牲をいとわない確固たる協調と支援が不可欠だ。
もしも日米韓の足並みが乱れるようなら、トランプ政権は「ICBM抜きの核武装」を条件に、北朝鮮との平和共存に向かうことになるだろう。そうなれば北東アジアにおけるアメリカの核の傘が確実に破れる。
ドイツのメルケル首相と同じく、日本の安倍首相が抱える苦悩は大きく、決断は重い。
現代ビジネスより
0 件のコメント:
コメントを投稿