2017年6月22日木曜日

【3.11】スサノオを祀る神社は津波を免れていた

susanoo_2.jpg
宮城県東松島市の指定避難所を襲った津波の犠牲者(2011年3月17日) 画像は「Wikipedia」より引用

今から約6年前、土木学会で一見トンデモではないかと疑ってしまうような論文が発表された。それはなんと「スサノオ神を祀る神社は、東日本大震災津波の被害を免れた」という主旨で、東京工業大学のグループによって書かれた論文だ。宮城県沿岸部に鎮座する神社のうち、スサノオを祀る神社と熊野系神社、さらに八幡系神社のほとんどが東日本大震災の津波による被害を免れた一方、アマテラスを祀る神社の大半が被災したという驚きの内容が記されている。
 
これが事実であれば非常に興味深く、有益な情報として広く世間に広めなければなるまい。しかし、それにしてもなぜスサノオを祀る神社なのだろうか? 今回は論文の真相を探るとともに、古から伝わる津波の被害を免れるための伝承なども紹介したい。

■スサノオを祀る神社が津波被害を免れた理由
 
問題の論文は、東京工業大学大学院の桑子敏雄教授が、当時の学生2名とともに著したものだ。研究の発端は、学生2名のうちの1人だった高田知紀氏(現・神戸高専准教授)が、東日本大震災の支援活動に取り組む中で、被災を免れた神社の鳥居に着目したことだったという。そして研究グループは、宮城県沿岸にある神社の祭神と空間的配置、さらに被害状況を調査してまわった。
 
susanoo_1.jpg
須佐之男命。歌川国芳作 画像は「Wikipedia」より引用
その結果、調査対象となった神社のうち、スサノオを祀る神社(17社)で津波の被害を受けたのはわずか1社であることが判明、熊野系神社や八幡系神社でも同様の結果となった。その一方、調査対象215カ所のうち、53社が津波で被災していたが、祭神による内訳では、アマテラスや稲荷大神を祭神とする神社が大半を占めているという事実だった。
 
研究成果は、「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」という論文にまとめられ、土木学会での発表を経て、2012年の土木学会論文集に掲載された。スサノオに関連する神社が津波被害を免れた理由について、高田准教授は「スサノオは斐伊川(ひいかわ)に住むヤマタノオロチを退治したと古事記にありますが、川の氾濫をたとえた話といわれます。スサノオは水害など自然災害、震災を治める神だからこそ、そうした災いに遭わない場所に祀られたと考えられるのです」(週刊新潮2017年6月22日号)と語る。
 
さらに論文によると、スサノオは八坂神社(京都)の祭神である牛頭(ごず)天王と同一視されてきたが、両神とも“水をコントロールする力”をもつ神なのだという。そのために、津波などの水害から人々を守ってくれる神として、災害に遭わない立地に鎮座されたのではないかというのだ。
 
ところで、祭神がアマテラスや稲荷大神である神社の大半が被災したと述べたが、例外を見てみよう。

・ 大津波を2つに分断して鎮める神社!?
 
susanoo_3.jpg
浪分神社拝殿(仙台市若林区) 画像は「Wikipedia」より引用
仙台市若林区にある浪分(なみわけ)神社がその一つだ。海岸からの直線距離は5.5km、海抜約5mに位置する。3.11の発生時、この神社は津波による被災を免れた。
 
現在の鎮座地は、慶長16年(1611)に発生した慶長三陸地震の大津波が到達した際、津波が2つに分かれて水が引いた場所だと伝えられている。また、創建後に浪分神社を大津波が襲うと、海神が白馬に乗って降臨し、それを南北2つに分断して鎮めたという。このような伝承によって、祭神は「浪分大明神」とも呼ばれるようになった。
 
しかし、その言い伝えはいつしか忘れ去られ、地元の人々も「神社より海側に住むな」といった話は聞いたことがなかったという。たとえ伝承は途絶えても、そこが大津波の発生時に安全な場所であることを神社の名前が如実に物語っている例といえるだろう。

・ 聖なる釜が大津波の発生を予告!?
 
susanoo_4.jpg
御釜神社の神竈奉置所 画像は「Wikipedia」より引用
次は、宮城県塩竈市本町にある御釜(おかま)神社だ。ここには不思議な伝承がある。境内に「神竈(しんかま)」とか「御釜(おかま)」と呼ばれる4口の竈(かま)が安置されているのだが、竈の中に張られた水は、干ばつの時にも絶えることがないという。さらに、「御釜の濁った水が澄んだ時は津波が来る」という言い伝えもあるのだ。
 
普段の竈には、赤茶けて濁った水が張られているのだが、3.11の発生時、驚くべき異変が起きていた。その日の朝8時ごろ、神社の関係者が竈の水を確認したところ、4つの竈のうちの2つの水がキレイに澄んでいたというのだ。そして、午後になると現実に大地震と大津波が発生、御釜神社は周辺の土地が津波で被災したにもかかわらず、ギリギリで難を逃れて無事だった。これも不思議な神行であるといえるかもしれない。
 
■古の教えを無視したフクイチの立地
 
歴史を通じて何度も津波の襲来を経験してきた海沿いの地域には、本来、その被害を免れるための知恵を与えてくれるような伝承が数多く残されている。そのような先人たちの知恵を受け継いで守ってきたところは津波の被害を免れ、反対に忘れ去られてしまった地域で多くの被害が出たという実例は多数ある。
 
susanoo_5.jpg
姉吉集落にある昭和8年大津波記念碑
画像は「Wikipedia」より引用
 岩手県宮古市姉吉地区では、明治29年と昭和8年の三陸海岸大津波で多くの人々が命を失ったが、その記憶を風化させないために石碑が建っている。そこに刻まれているのは「高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」の文言。そして現在も、この石碑より下には1軒も家がなく、3.11の大津波でも全住民が難を逃れた。
 
津波の被害を地名として伝える土地もあるといわれる。地名研究家の楠原佑介氏の著書『この地名が危ない』(幻冬舎)によると、悲惨な原発事故を起こした福島第一原発も、実は(地名という観点から)問題がある土地に建てられていたのだという。福島第一原発がある一帯は、古代の郷名で「標葉」(しねは)と呼ばれたが、この「標」の文字には、“災害が起きるために立ち入りを禁止した場所”という意味が含まれているというのだ。時代の移り変わりとともに地名は「双葉郡」と変えられてしまったが、このような事実を踏まえて原発立地の妥当性が検討されていたら、原発事故は防げたのかもしれない。
 
susanoo_6.jpg
南海トラフ巨大地震の想定震源域

画像は「Wikipedia」より引用
さて、話は東工大の研究に戻るが、同グループはその後、西日本へと調査対象を広げて南海トラフ地震などによる津波被害リスクも調査している。その結果、四国の沿岸部にある神社では、高知県で555社、徳島県で308社が津波を回避し得る立地にあることがわかったという。南海トラフ巨大地震の津波想定では、もっとも早いところで地震発生の数分後には津波が押し寄せてくるという。このような被災リスクがある地域において、前述のような神社が近くにあるならば、「揺れたらすぐに神社へ逃げろ」と呼びかけることも重要だろう(もちろん、必ずしも津波の難を逃れるというわけではないので、事前に立地を調べておくことも大切だ)。
 
いずれにしても、今回紹介した事例は、古くから地域に脈々と受け継がれてきた伝承がいかに重要で、尊いものであるかを思い知らされる話である。自分が住む土地の地名や、神社の社名・祭神の由来を知ることは、時としてあなた自身や大切な人を守るための大きな力となるということを覚えておこう。 トカナより

0 件のコメント:

コメントを投稿

日産ケリー前代表取締役の保釈決定 保釈金7000万円 東京地裁

金融商品取引法違反の罪で起訴された日産自動車のグレッグ・ケリー前代表取締役について、東京地方裁判所は保釈を認める決定をしました。検察はこれを不服として準抗告するとみられますが、裁判所が退ければ、ケリー前代表取締役は早ければ25日にもおよそ1か月ぶりに保釈される見通しです。一方、...