2017年6月26日月曜日

人工知能が隆盛する近未来は、人間が人間に回帰する時代

近年、人工知能の発展が目覚ましい。
従来、コンピュータは人間には勝てないと言われていた分野でも、次々と人間を上回る能力を見せつけている。

「アルファ碁」との第4戦に臨む韓国人プロ棋士、李世●(石の下に乙)九段(右)
=3月13日、ソウル(グーグル提供・共同)
「アルファ碁」との第4戦に臨む韓国人プロ棋士、李世●(石の下に乙)九段(右) =3月13日、ソウル(グーグル提供・共同)

チェスでは世界チャンピオンを破り、テレビの雑学クイズ番組では優勝者を寄せ付けず、最近では、人間に追いつくにはまだ10年はかかると言われていた囲碁の世界で、世界最高峰のプロ棋士に勝利してしまった。

日本では、人工知能が東京大学の入試に合格することを目指す「東ロボ君」のプロジェクトが進められ、すでに全大学中8割には合格するレベルまで来ているという。

車の自動運転技術が開発され、医療診断にも人工知能が応用されようとしている現代。これからもさまざまな分野で人工知能の開発が進められ、人間の能力が陳腐化、コモディティ化するのではないか。多くの仕事が奪われ、失業者があふれるのではないか。そのような漠然とした不安が、社会を覆い始めている。

一つ言えることは、「知能指数」に象徴されるような、点数化できる「賢さ」をめぐる競争は終わりを告げるということである。日本では、従来、偏差値入試に象徴される、ペーパーテストの点数を争う教育がなされてきたが、人工知能でも合格できる入試の能力を競うことには、今後、意味がなくなることだろう。

単なる「知能」ならば、水道管をひねると水が出るように、ふんだんに提供される時代が来ようとしている。ホワイトカラーの職が失われるのではないか、という懸念が生まれてくるのも、当然だろう。

このような時代に、人間はどうしたら良いのだろうか。案外見落とされがちな領域にこそ、これからの人間が輝く可能性が潜んでいる。

それは何かと言えば、実は人間の「個性」である。

人間の個性は、人それぞれだ。多様な個性が共存し、響きあってこそ、豊かな社会も実現できる。ペーパーテストの点数を争う入試から脱却することを目指す近年の「AO入試」においても、面接などにおいて個性が問われている。東京大学でも、推薦入試が始まった。将来的には、個性を問う入試が、ますます広がるだろう。
 
個性の基礎をなすのは「性格」である。性格の科学的研究においては、「ビッグ・ファイヴ」(Big Five)と呼ばれる、5つの性格要素が重要であることが指摘されてきた。すなわち、経験に開かれていること(Openness)、良心的であること(Conscientiousness)、外向的であること(Extraversion)、親しみやすいこと(Agreeableness)、そして、神経質なこと(Neuroticism)である。これらの要素がさまざまなに組み合わさり、一人ひとりの性格が形成されていく。
性格などの個性は、人工知能では再現することは難しい。現在開発されている人工知能は、性格的に言えば「慌ただしい子ども」(busy child)のようなものだと指摘されている。ロボットに向き合う時、その性格に、まだ、人間と対面する時のような個性の広がりが感じられないのは当然だ。なぜならば、人工知能の「性格」には、まだ十分な幅(スペクトラム)がないからだ。

そもそも、性格を記述する前述の「ビッグ・ファイブ」にしても、人間の性格類型についての統計的な分析があるだけであり、それをロボットやコンピュータなどの人工知能に実装するために必要な動的な理論モデルが存在しないのが現状だ。モデルがないものを、人工知能で置き換えることは不可能である。

「知能」は、理論的なモデル化がしやすい。実際、20世紀の半ばにコンピュータの理論モデルをつくった英国の天才数学者、アラン・チューリングは、どのような内容の計算も、コンピュータで実行できるということを数学的に示した。一方、個性はそのようなモデル化がしにくい。個性の実装がまだ進んでいない根本的な理由である。

何よりも、個性は、知能のような「最適化」が行いにくい。テストならば、解答の速さと正解率でそのパフォーマンスを評価し、最適化できる。(実際、今までの偏差値入試は、人間におけるそのような最適化の能力を競い合ってきた。

ところが、個性には、「正解」がない。少なくとも、正解が「一つ」ではない。その点に、個性というものが人工知能に実装しにくい、根本的な原因がある。
 
個性とは、人工知能に近い表現で言えば、生きる上での「資源」の配分戦略のことである。そして、注意や努力といった資源をどのように配分するかは、まさに人それぞれであり、どれが正解だとは一概には言えない。

 例えば、仕事に打ち込んで、会社での出世競争に勝とう、という方向に資源を配分する人も入れば、仕事はほどほどで、その分、余暇にエネルギーを注ぎたい、という人もいるだろう。それぞれの個性のどちらが生きる上で有利かということは、そう簡単には言えることではない。

仕事はほどほどに、という人は、会社での出世はできなくても、趣味のサークルで知り合った人から、新しい仕事のヒントをもらうことがあるかもしれない。素敵なパートナーとの出会いもあるかもしれない。そもそも、仕事人間よりも幸福かもしれない。

人生という「不完全情報ゲーム」(状況を判断するのに必要な情報が、完全には与えられていないゲーム)においては、一つの基準で、点数をつけることなどできない。

人工知能の発達により、ある特定の基準で点数がつくようなことは、機械がやってくれるようになっていく。ペーパーテストで決まるような入試に合格する能力は、間違いなく陳腐化し、市場価値も下がる。一方、そう簡単に何が良いのかわからない「人生」という「不完全情報ゲーム」における「個性」の意味は、人工知能の時代だからこそ、ますます重要になる。

結局、個性を磨くしかない。しかも、その場合の正解は一つではない。「みんな違ってみんないい」という命題が、心温まる「ちょっといい話」だけではなく、理論的な裏付けのある戦略論となる。
 
ようこそ、正解のない、素晴らしい人生へ。人工知能が隆盛する近未来は、結局、人間が人間に回帰する時代なのだ。 iRONNAより 

人工知能は今後ますます発展していくのは紛れもない事実である。その人工知能が人の仕事を奪う分野も出てくるかも知れないが、人間がコンピューターを開発したのは少しでも人間の仕事を楽にするためではなかったかと思うときもあるだけに、これも時代の流れかも知れない。

日本はこれから少子・高齢化社会を本格的に迎えるのだから、人工知能が人間に替わって仕事をして貰えれば、少しは少子・高齢化社会を補えるのではないかと思うのは思いすぎか。

人工知能の更なる発展の先に何があるのか、その様な時代になるときには、私はこの世にいないので、私には直接関係はない。

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