※画像:『迷宮の飛翔』(河出書房新社)
ページをめくると、はっと目に飛び込んでくる、緻密で繊細なモノクロームのペン画。街の風景にしても人物の姿にしても、きわめて静謐だが、描いた者の激しい情動が封じ込められているように見える。
※画像:『迷宮の飛翔』より。風間のイラスト
風間と関根の起訴の元になった供述をしたのは、脅されて死体損壊遺棄のみを行ったという共犯者の山崎永幸である。だが彼は、証人としてふたりの公判に出廷した際に、「博子さんは無実だと思います」「人も殺してないのに、何で死刑判決出んの?」と発言している。
風間は獄中で、ペンや12色の色鉛筆など、限られた画材で絵を描き続けている。以前から絵の心得があったのではと思わせる腕前だが、逮捕前の経験は美術の時間や夏休みの宿題くらい。画集を手に取ったことさえなかったという。
※画像:『迷宮の飛翔』より
死刑囚の絵の展覧会は、京都の東本願寺や広島県福山市の鞆の津ミュージアムなどで、開かれてきた。蜷川泰司は、そこで風間の絵に出会ったという。
風間は22年近く、東京拘置所の独房で過ごしている。ふた昔前と言えば、パソコンも携帯電話も珍しく、スマートフォンなどは想像さえされていなかった時代。FacebookもTwitterもLINEもなく、今とは別世界だ。
獄中で作画する困難さを語った風間の言葉が、『迷宮の飛翔』のあとがきに記されている。
※画像:『迷宮の飛翔』より
加えて連絡の困難さがある。アメリカでは死刑の残っている州でも、確定死刑囚と文通したり、電話、面会したりできる。だが、ここ日本では、確定死刑囚と面会、文通できるのは、親族と拘置所が認めた限られた知人のみである。
作家から、このような絵を描いて欲しい、と直接注文することはできない。作品への希望や、できあがった絵に対する感想はパンフレット形式にして、文通ができる支援者に託すという形で作画は進められた。塀を越えた困難な交流は、逆に豊かなイマジネーションを産み、作家の意図を超える絵ができあがった。
物語がやがて作者殺しを試みるという、狂気を孕んだ不条理な小説。風間博子の絵は、この小説の幻視的世界を際立たせている。 トカナより
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