2017年6月18日日曜日

なぜ日本人は信仰を聞かれて「無宗教」と答えたがるのか

それを裏づける資料もある。アメリカのギャラップ社が2006年から08年にかけて行った世論調査では、日本人のなかで信仰を持っている人間は25%で、対象となった世界143カ国のうち136位という結果が出た。

日本より信仰率が低いのは、香港や北欧諸国などわずか7カ国しかない。たしかに、日本は無宗教の国であるということになる。
 
しかし、これが果たして正しいのかどうか、実は怪しい。

NHKが1996年に行った「全国県民意識調査」というものがあるが、全国平均では、信仰を持っている日本人の割合は31・2%であった。ギャラップ社の調査よりは高いが、7割近くが無宗教であるということになる。

ところが、都道府県別に考えると、かなりのばらつきがある。最も低いのは沖縄の7・8%で、これが飛び抜けて低いが、次いで千葉県の18・1%である。関東はおしなべて低く、一番高い東京でも27・0%である。東北も低く、すべての県が20%台である。他に20%台は、新潟、山梨、高知である。

反対に、最も高いのが福井の58・0%で、広島も53・7%と半数を超えている。40%台は、富山、石川、長崎、鹿児島、香川である。
多くの参拝者が訪れる西本願寺=5月31日午後、京都市下京区の西本願寺(北崎諒子撮影)
多くの参拝者が訪れる西本願寺=5月31日、京都市下京区の西本願寺(北崎諒子撮影)
長崎の場合には、キリスト教が5・1%で、このことが信仰率を押し上げているが、他に高い県は、浄土真宗の信仰が強い「真宗地帯」である。鹿児島も浄土真宗は強い。

この点は重要で、浄土真宗の信仰が強いところでは、どこでもかなり信仰率が高いのである。平均してしまうと、この地方による違いが見えなくなる。
 
また、2008年にNHK放送文化研究所も加わっている国際社会調査プログラム(ISSP、International Social Survey Programme)が行った調査では、日本人の信仰率は平均で39%という結果が出たが、この調査では、男女別年齢別に集計しており、興味深いことが明らかになった。
春日大社に初詣に訪れた参拝者=2017年1月1日、奈良市
春日大社に初詣に訪れた参拝者=2017年1月1日、奈良市
16歳から29歳では、女性が20%で男性が17%とかなり低い。ところが女性の場合には、30歳から39歳で28%、40歳から49歳で39%、50歳から59歳で43%、60歳以上で56%と年齢が上がるにつれて徐々に信仰率が上がっていくのだった。

さらに興味深いのは男性の場合である。30歳から39歳で19%、40歳から49歳でやはり19%と、50歳になるまでは若い頃と変わらず低いのだが、50歳から59歳では41%と急に上昇し、60歳以上では56%と女性と肩を並べるのである。
なぜ男性は50代になると、急に信仰を持つようになるのか。おそらくそこには、定年を意識するようになるということが関係していると思われる。私が今教えている女子大生の父親は、ちょうどこの世代にあたるが、急にお寺参りをするようになったとか、私の本を読んでくれるようになったとか、そう答える学生が多い。
 
この二つの調査結果を踏まえて考えると、果たして日本人は本当に無宗教といえるのかどうか、そのこと自体がかなり怪しくなってくる。

もしかしたら、無宗教は建前であって、宗教を信仰しているというのが本音なのではないか、そうとさえ思えてくるのである。

自分が無宗教であると標榜(ひょうぼう)するのは、他人から信仰を聞かれたときである。そのときには、自分が信仰を持っているとは答えにくい。それだけで警戒されるかもしれないと思ってしまうからだ。

ところが、世論調査の場合には、こっそりと記入するわけで、調査機関にしかそれは分からない。匿名で記入するのであれば、なおさら、自分がどう答えるかを気にする必要がない。だから、世論調査には本音が出る。そう考えられるのではないだろうか。
 
世の中で宗教のことが話題になるとき、その対象は新宗教であることが多い。女優の清水富美加が出家したというときにも、出家先は新宗教の幸福の科学だった。

新宗教はかつて「新興宗教」と呼ばれることが多く、そこには布教に熱心で、信仰に凝り固まっているというイメージが伴った。特に、高度経済成長の時代に創価学会や立正佼成会などの日蓮系の教団やパーフェクトリバティー(PL)教団が急成長したときにはそうだった。

そこから、新宗教に対する警戒心が生まれ、自分に信仰があると答えれば、そうした新宗教の信者だと思われるのではないかという意識が生まれた。そこで、聞かれれば無宗教と答えるようになった。そうした面がある。
その点で、日本人の無宗教というとらえ方には、自分は怪しげな新宗教の信者ではないというニュアンスが強くこめられている。
しかし、日本人は無宗教と言いながら、日常的に宗教の世界と深くかかわっている。初詣には大勢の日本人が出掛け、そのなかにはかなりの数の若者が含まれている。葬式離れは進んでいるものの、仏教式で葬られる人はまだ少なくない。

それが真宗地帯ともなれば、「門徒(浄土真宗の信者のこと)」としての自覚は失われていない。四国地方などは、真宗地帯に属する各県に比べれば信仰率は低いが、それは、この地域で根強い真言宗と深くかかわりを持っていても、それを信仰や宗教としては意識していないからだ。

奈良や京都で古寺がいくつも残され、他の地域でも名だたる寺や神社がきっちりと守られてきたのも、日本人には強い信仰があるからだ。無宗教化が進むヨーロッパでは、古いキリスト教の教会でも維持できなくなり、モスクに売られたりしている。

そして、年を重ね、人生の終わりや老後を意識するようになると、日本人ははっきりと自分の信仰を意識するようになる。それしか、死に向かいつつある自己を支える基盤を見いだすことができないからだ。

日本人の本音は無宗教ではない。そのことを踏まえた上で日本人の宗教観を見直す必要があるのではないだろうか。 iRONNAより

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