昨年8月の明仁天皇による「おことば」の発表以来、天皇制に関する関心は以前にも増して高まっている。とはいえ、天皇制が存在感を高めてきたのは、この10数年の一貫した傾向であると思われる。
それはNHKが5年ごとに行っている「日本人の意識」調査から、知ることができる。この調査は同じ質問、同じ方法で世論調査を行っており、まさに「日本人の意識」を定点観測的に理解できるデータである。
1973(昭和48)年に第1回の調査が行われ、直近では2013(平成25)年に、16歳以上の5400人に対して第9回目の調査が行われた。
(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/140520.pdf)。
そのなかに、「あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか。リストの中から選んでください」という質問がある。
それに対する回答として、「尊敬の念をもっている(以下、「尊敬」)」「好感をもっている(以下、「好感」)」「特に何とも感じていない(以下、「無感情」)」「反感をもっている(以下、「反感」)」「その他」「わからない、無回答」という項目があり、回答者はこのなかから1つ回答を選択する。
調査結果の推移を見ると、1973年の第1回調査より昭和の時代(1988年の第4回まで)は一貫して、上位から「無感情」→「尊敬」→「好感」→「反感」の順であった。その数値を具体的に見てみると、「無感情」が43~47%、「尊敬」は約30%、「好感」は約20%、「反感」は常に2%といったものである。
1970~80年代、天皇制は「地盤沈下」の時期を迎えていた(渡辺治『戦後政治史の中の天皇制』青木書店、1990年)。日本社会は「政治の季節」から「経済の季節」へと転換しており、企業を中心とした社会が成立し、それに基づく経済問題が社会の中心的な関心にあった。
そうした状況のなかでは、天皇制の存在価値も低く、注目度もそれほど高くはなかったのである。1950~60年代は明仁皇太子や美智子皇太子妃の個人的人気(例えば、ミッチー・ブーム)などに支えられ、マスメディアでも多数の報道がなされたために人々の天皇制への関心は高かった。
しかし、それは長くは続かず「飽き」が生じ、天皇制は急速に人々の関心を失っていくのである(河西秀哉『明仁天皇と戦後日本』洋泉社新書、2016年)。
だからこそ、この時期の「日本人の意識」調査では「無感情」が最も多かったのである。人々は天皇制よりも、経済や消費などの活動に傾注していく。
この時期の調査で「無感情」に次いで「尊敬」が多いのは、象徴天皇制への意識というだけではなく、昭和天皇個人への人々の感情とも見ることができる。70~80代となった天皇は即位から50年ほどを経、その存在感が人々に認識されていたのではないか。
また昭和の時期も調査を経るにしたがって、次第に「尊敬」が減少している(33%→28%)。戦前から戦中の間に教育を受けた世代が次第に減少し、「象徴」としての天皇しか知らない若い世代が増加したことがその要因かと思われる。
そしてこうした層が「無感情」と答えたのではないだろうか。
「開かれた皇室」が好感を集めた平成
ところが平成に入ると、この数値に変化があらわれる。
平成も5年が経過した1993年の調査では、「好感」が急に43%と数値を伸ばし、「無感情」が34%とそれまでよりも減少したため、人々の天皇に対する感情で最も多いのは「好感」になり、その順位が逆転したのである。
これは、1989年の天皇即位にあたって天皇が「国民とともに」という文言の入った「お言葉」を口語体の「です・ます」調で発表し、それが人々に語りかけるような態度で、時代は変わったと受けとめられて新しい天皇制を予感させたからであろう。
マスメディアはこれを大きく取りあげていく。また、明仁天皇・美智子皇后は即位後、積極的に全国を旅して人々と接触していった。
昭和末期は、昭和天皇の体調の関係もあり、こうした活動は控えられていたことから、平成の皇室の動向に対して報道も過熱化し、それが人々に受容されていったのであろう。
これは「開かれた皇室」とも呼ばれ、新しい天皇制のあり方として好意的に報道されていった。それゆえ、「無感情」が減って「好感」が増えたのである。
(吉田裕『現代歴史学と軍事史研究』校倉書房、2012年に収録)。平成は身近な天皇制だと人々に実感されていたのである。
この調査、1998年には「無感情」が44%「好感」が35%と、再びその順位が逆転した。おそらく、即位後の報道が落ち着きを見せたことがその要因であった。
その次の調査からは、「無感情」と「好感」が1回ごとに逆転する結果となっている。とはいえ、「好感」が昭和の時の約20%よりも、34~43%と数値が高いことが平成の特徴である。やはり、平成は「開かれた皇室」として、人々には身近な存在として「好感」される天皇制と認識されていた。
どこか「ありがたい」という感情
ところが、「日本人の意識」調査は近年、そうした傾向から変化してきた。
昭和の時代から平成の最初には減少傾向であった「尊敬」が、2003年の調査くらいからじわじわと上がり始めた。
1999年には北海道南西沖地震の被災地、2001年には阪神・淡路大震災被災地の復興状況を視察するなど、被災地を気にかける天皇の印象が強くなってきたからだろうか。
2013年には「尊敬」が34%になって、最も多い「好感」の35%に迫る勢いを見せたのである。
2013年の「尊敬」の数値は、調査以来最も高い数字であり、昭和の時よりも現在の方が天皇のことを「尊敬」と感じる人々が増えているのである。また、昭和の時代には40%台後半もあった「無感情」が28%に減少していることも重要であろう。
おそらく、これまで「無感情」であった人が、「尊敬」もしくは「好感」に流れているのである。
なぜこのような数値に変化したのだろうか。
大震災後、天皇はすぐに被災者へのメッセージを発したほか、皇后とともに被災者へのお見舞いのためにいち早く被災地へ赴き、その後もそれを繰り返している。それまでの地震災害以上に熱心であり、その様子がメディアを通じて伝えられたからだろう。
そこで展開される光景は、体育館の床に座っている被災者に対して、床に膝をついて同じ目線で話を聞く天皇・皇后の姿である。80歳を越えた天皇・皇后のそのような取り組みは、マスメディアを通じてさかんに人々へ伝えられた。
近世天皇制を研究している藤田覚は、そうした天皇・皇后の光景を「私には、どこか『ありがたい』というようなやわらかな雰囲気に見えた。天皇・皇后は、困難や苦難のなかにいる人びとを『慰撫』する力をもっている、といえるのではないかと思った」と記している(「天皇 変わるものと変わらないもの」『思想』第1049号、2011年)。
こうした「ありがたい」という感情が、「日本人の意識」調査の「尊敬」へとつながったのではないか。
昭和の時代に回帰したのか
この「日本人の意識」調査では、生まれ年ごとにもその数値がわかるが、「尊敬」については2013年の調査では、すべての年代で増加している(高橋幸市・荒牧央「日本人の意識・40年の軌跡(2)」『放送研究と調査』2014年8月号)。
それまで、「尊敬」は高年層(60歳以上)が高かったが、若年層(16~29歳)も中年層(30~59歳)も前回2008年の数値よりも倍近くその数値が上がっている。人々の平成の天皇制への「尊敬」という感情が高まったのは、この若年層から中年層の数値の上昇が大きな要因であった。
とはいえ、これを単純に昭和の時代に回帰したと見るのは早計であろう。
〔PHOTO〕gettyimages
前述したように、昭和の時代の調査で「尊敬」と答えたのは、戦前から戦中の間に教育を受けた世代である。その世代は、昭和天皇に対する強烈な印象、天皇制に対する意識を持っていた。
今回の「尊敬」はこれを同じであろうか。そうではない。
現在の天皇・皇后の振る舞いに対し、「どこか『ありがたい』」と述べた藤田の言葉が象徴的であるが、まさに「どこか」そう感じる、というのが現在の感情である。その意味では、共感に近い「尊敬」なのかもしれない。
強い感情ではなく、緩やかな「尊敬」。おそらく、現代の政治家の振る舞いや社会全体の潮流とは異なる天皇・皇后の行動が、そうした感情を想起させているように思われる。
こうした緩やかな「尊敬」と「好感」が合計すると70%を占めるのが、現在の象徴天皇制である。こうした状況にあるからこそ、天皇が自ら退位したいとのメッセージを発したとき、人々の多くはそれに同情し、退位を認めることに賛成したのである。 週刊現代より
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