「退位特例法」(正式には、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」)が成立し、6月16日に公布された。これが来年にでも実際に施行されれば、現在の天皇が退位し、新しい天皇が即位することになる。
天皇が生前に退位するのはほぼ200年ぶりである。また、皇位の継承について定めた皇室典範が、そうした事態を想定していないこともあり、実現までに紆余曲折はあった。けれども、昨年8月8日の天皇による「お気持ち」の表明に沿った線で問題の解決がはかられることになった。
しかし、皇室の存続が危ぶまれる事態が解決されたわけではない。「女性宮家」の創設などが提言されているものの、皇位の安定的な継承、あるいは皇族の減少をいかに食い止めるかの議論は、新たな天皇が即位してからとされ、先延ばしされている。その時点では、秋篠宮家の眞子内親王は結婚し、皇籍を離れているはずで、事態はより深刻なものになっている可能性がある。
首相も任命できない、憲法も改正できない
一般の国民は、そうした事態が訪れても、さしたる問題は起こらないと高を括っているかもしれない。
だが、現在の日本国憲法においては、天皇の国事行為が定められており、それは天皇しか果たすことができない事柄なのである。
その点については、日本国憲法の第1章を見てみればいい。天皇が不在であれば、内閣総理大臣や最高裁判所の長官を任命できなければ、法律や政令、条約を公布することも、国会を召集することも、衆議院を解散することもできない。大臣や大使の任命や認証もできないし、憲法を改正することもできない。
つまり、天皇がいなければ、日本の国家はまったく機能しなくなる。女性でも、成年に達した皇族がいれば、摂政となって国事行為を代行できるが、将来においては、そうした女性の皇族もいなくなる可能性が高いのだ。
そのときになったら、憲法を改正して大統領制でもなんでも、新しい制度を採用すればいいではないかという意見もあるかもしれないが、そのためには憲法を抜本的に改正する必要があり、天皇や摂政が不在であれば、すでに述べたように、憲法も改正できないのである。
天皇に限って話を進めれば、現在の天皇が退位し、皇太子が即位すれば、その時点で、天皇に即位できる皇位継承資格者は、秋篠宮文仁親王、悠仁親王、そして現在の天皇の弟、常陸宮正仁親王の3名にまで減少する。常陸宮正仁親王は、すでに81歳で、実質的には今後皇位を継承できる皇族男子はたった2人である。
皇族も人間であり、病気や事故の可能性もある。もっとも若い皇位継承資格者の悠仁親王が無事に次の、あるいは次の次の天皇に即位できるのか、その保証はいっさいない。
そう考えると、日本国家の存立は、極めて危うい基盤の上にあると言っても過言ではないのである。
天皇が内閣総理大臣を任命する場合、「国会の指名に基づいて」とされている。あるいは、最高裁判所の長官を任命する際には、「内閣の指名に基づいて」とされている。
つまり、天皇が勝手に内閣総理大臣や最高裁判所の長官を任命できるわけではない。あくまでそれを決めるのは国会や内閣であり、天皇には実質的な権限は与えられていない。
その点をもって、戦後の天皇のあり方は戦前のあり方とは根本的に異なっているとするのが、一般的な見方かもしれない。
たしかに、大日本帝国憲法では、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラス」と、その神聖性が強調された上で、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧」すると規定されている。
現在では、天皇が元首であるのかどうかについては議論があるが、かつては明確に元首の地位を与えられていた。
しかし、統治権を総覧する際に、「憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」ともされている。さらに、立法権については、「帝国議会ノ協賛ヲ以テ」と、議会との協賛の必要が明記されていた。
明治維新が起こり、明治新政府が誕生した時点では、天皇自らが政治を行う「親政」ということがめざされたものの、明治天皇が即位した時点で16歳と若かったこともあり、実際に政治を行ったのは、政府の要職を占めた薩長勢力であった。
少なくとも、大日本帝国憲法下の天皇は政治的な独裁者ではないし、その権限はかなり制限されていた。その点では、日本国憲法下の天皇と、実際の権力の行使ということで、本質的に大きな違いはなかったと言える。
むしろ、大日本帝国憲法下の天皇のあり方が、戦後にも持ち越されたと考えた方がいい。その点は、大日本帝国憲法でも、それを改正する形で誕生した日本国憲法でも、天皇のことは最初に述べられているところに示されている。すでに見たように、現在の日本国家も、天皇がいなければ機能しない仕組みになっているのだ。
日本が敗戦を迎えようとしているときに、大きな問題は、「国体」が護持されるかどうかにあった。国体とは、天皇を中心とした政治体制のことである。
現状で考えれば、結局のところ、国体は護持されたと見るべきであろう。大日本帝国憲法では、緊急の場合、天皇には法律に代わる「勅令」を発する権限が与えられていた。今回の退位特例法は、退位の意思が最初天皇から発せられた点で、かつての勅令に近いものではないだろうか。
議論先延ばしの間に継承は困難に
国民が天皇の退位を支持したのも、天皇に対して敬意の念を抱いているからである。その思いは、戦後、「開かれた皇室」というあり方が追求された結果、より高まったように見える。
国民が天皇を尊崇する思いは、大日本帝国憲法の時代よりもはるかに自然なものとして広がっている。天皇の側も、そうした国民の気持ちに答えるべく、「国民統合の象徴としての役割を果たすために(8月8日のお気持ち)」邁進してきたのである。
国民と天皇との関係は、現在において極めて良好なものである。かつては天皇制廃止を主張していた日本共産党でさえ、退位特例法には賛成したし、最近では天皇が臨席しての国会の開会式に出席するようになった。
これは、天皇制がこれからも続くことを、国民の大多数が望んでいることにもつながる。
しかし、すべに述べたように、皇室の存続が危ぶまれる状態が到来している。そこには、さまざまな要因がかかわっているが、大日本帝国憲法と同時に定められた旧皇室典範で、天皇を男子に限り、また、皇族に養子を認めないと規定したことが大きく影響していた。
しかも、戦後に改正された現在の皇室典範では、天皇が側室を持つことも認められなくなった。旧皇室典範では、「庶子(側室の子)」が皇位を継承することが認められていた。
さらに、戦後には11あった宮家が臣籍降下したため、その時点で、皇族は一挙に51名も減った。
事態が急を要する以上、女性宮家や女性天皇、あるいは女系天皇について本格的に議論をしていくべきである。ところが、現在の政権は消極的であり、また、そうした議論自体に反対する勢力もある。
たしかに、女系天皇になると、これまでの伝統からは大きく逸脱することになる。女性宮家や女性天皇は、一時的にしか機能しない可能性が高い。
11あった宮家を皇族に戻せばいいという議論もあるが、すでに途絶えてしまった家もあるし、もっとも近くても、現在の天皇とは14親等も離れている。それに、皇族から離れて70年以上が経つため、その自覚がない者も多い(八幡和郎「今上天皇に血統の近い知られざる『男系男子』たち」『新潮45』2017年1月号)。
どこの国にも国民が納得する元首が必須
皇統の継承が難しくなれば、日本も大統領制を導入するしかない。日本には大統領制はなじまないという声はあるし、アメリカや韓国のことを見ていると、大統領制がいかに多くの問題を抱えているかが明らかになってくる。だが、たとえ形式的であっても、国家は、さまざまな重大事項を最終的に決裁する一人の人間を必要とする。
議院内閣制のもとでの内閣総理大臣は、三権分立の建前もあり、天皇の代わりを果たすことはできない。内閣総理大臣が自分で自分を任命することはできないのだ。
大統領制のもとでの日本がどういう国家になるのか、多くの人には想像もできないだろうが、その点を視野に入れての議論が今や必要である。
日本が採用するとしたら、ドイツのような象徴的大統領制だろうが、そうした大統領が、現在天皇が果たしている役割をすべて担うことは不可能である。
大統領は直接選挙で選ぶしかないし、選ばれるのは国民の1人である。そうである以上、大統領から神聖なものは感じられないはずだ。
大日本帝国憲法を制定する際に、伊藤博文は、宗教が機軸にならない日本では、皇室を機軸にするしかないと主張した。その皇室という機軸が今や大きく揺らぎつつあるのである。 現代ビジネスより
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