事件前の笑顔:(左から)ブリニョール、ダビニナ、ゾロタレフ、コルモゴロワ 「Daily Mail」の記事より
1959年1月、ウラル科学技術学校(現・ウラル工科大学)の学生と卒業生10名がウラル山脈でのスキー・トレッキングを試みた。彼らは男性8名、女性2名からなるグループで、全員が雪山登山の経験豊かな頑強な若者たちだった。
彼らは鉄道、トラックを乗り継ぎ、最終的には徒歩で荒涼としたウラル山脈に到達したが、途中で撮影されたスナップ写真には仲良しグループならではのリラックスした雰囲気が満ち溢れ、何の不吉な陰も見えない。唯一、予想外の出来事はグループの1人、ユーディンが急病にかかり、グループから抜けて9人になったことであった。
2月2日、グループのリーダーであるディアトロフ(この峠の名前は彼から命名された)の指揮のもと、彼らは猛吹雪の中、ホラート・シャフイル山の斜面にテントを設営した。しかし、その後彼らに何が起こったのかは誰も知らない。
ディアトロフは麓の集落・ヴィジャイに戻ったら電報を送ると話しており、それは2月12日頃と想定していた。しかし1週間過ぎても何の連絡もなく、遂に捜索隊が結成された。
彼らは1959年2月2日にキャンプを立ち上げた(調査官が見つけた写真フィルムから現像した写真) 「Daily Mail」の記事より
■捜索がはじまる
テントを見つけた学生のミハイル・シャラビンは、「テントは半分引き裂かれ、雪で覆われていました。中に人の姿は無く、グループの所持品や靴はすべて残っていた」と述べている。その後、捜索隊は3カ所で遺体を発見した。
まず松の木の横に2体の遺体があったが、それらはほとんど下着姿で薄い雪に覆われていた。次にリーダーのディアトロフを含む3人の遺体が付近で見つかった。彼らの身体には何の傷跡も無かったが、死因は低体温症であることが後の検死でわかった。
テントは中から切り裂かれていた 「Daily Mail」の記事より
2カ月後、雪が溶けるにつれて残りの遺体が現れた。それらの遺体は頭蓋骨と肋骨を骨折していた。検死を行った医師によると、そのようなケガは非常に強い力でのみ引き起こされ、自動車事故と同様の衝撃と考えられるとの見解だった。この事件を最も奇妙なミステリーにさせたのは、遺体の1つであったリュドミラ・ドゥビニーナの舌と目が無くなっていた事である。また、数人のスキーウェアからは、通常では考えられないほど高レベルの放射線が含まれていた。
ジナイダ・コルモゴロワの遺体 画像は「YouTube」より
■7つの仮説を検証
この事件には多くの謎がある。
そして女性のドゥビニーナの目と舌はなぜ、無くなっているのか? なぜ数人は薄着で、靴を履いていないのか? また数体の遺体はなぜ自分の物でない、他のメンバーの衣類を着ているのだろうか? 当時ホラート・シャフイル山とその周辺地域には、9人以外のほかの人間がいた形跡は無かった。
いくつもの説が唱えられては消えていった。すぐさま打ち消された説を列挙してみる。
1. 熊の襲撃説
餌を探している野生のクマの襲撃説。しかし動物の足跡は見つからなかった。
2. 原住民説
3. 雪男説
ウラルの山には、恐ろしいゾロタヤ・ババ(金色の女性)が潜んでいるという伝説がある。しかし雪男が現れた場合、テントを中から切り裂いて外に出るのは不自然だ。また雪に残された足跡は、8人ないし9人のものしかなく、暴力の痕跡も無かった。
そして、次はより信ぴょう性が高いと考えられている説だ。
画像は「theunredacted.com」より
4. 雪崩説
雪崩に巻き込まれたという説。しかし、テント上には雪崩の兆候は全く見られなかった。またテント設営時に彼らが雪上に立てた道具があったが、捜索隊が来た時に、それは倒れておらずそのままの状態だった。このことから、雪崩があったとは考えにくい。
同時期にその地域にいたハイカーのグループが、北空の夜空に奇妙なオレンジ色の球体を見たと報告している。同様の球体は異なる証人(気象サービスと軍隊も含む)によって、2月から3月までの間に隣接地域一帯で連続して観測されている。またテントで見つかったカメラのフィルムを現像したところ、最後の写真は夜の空に浮かぶ巨大な閃光をとらえているように見えるという。
画像は「micahackerman.com」より
軍がこの地域で秘密裏に核実験や兵器の開発をしているという噂が、以前からあった。軍のミサイル実験や低速ジェットが衝撃波や騒音を出し、ディアトロフ一行をパニックに陥れたという説である。これは、グループの2人の衣服が高い線量の放射線で汚染されていたことの説明にもなり有力である(この2人はプルトニウム工場や実験室での勤務経験があったという説もある)。
7. テント内の火事説
テントには料理用ストーブが備え付けられていた。これは外に突き出た排気管をストーブ使用後に分解する仕組みで、グループのリーダーのディアトロフが自分で造ったものであった。事件のあった夜、排気管を取り外した後に何らかの理由でストーブが再燃した可能性はある。煙は数秒でテントに充満し、彼らはパニックになり、炎と煙を消そうとしてテントを切り裂いて脱出した。彼らの遺体には火傷の痕があり、衣服が燃えている者もいたことから、この説はかなり有力と思われている。夜間、外に逃げ出したほとんどのメンバーは裸足もしくは薄着で、そのために低体温症で死亡したというものだ。しかしグループのうち3人は低体温症ではなく、何らかの衝撃によって外傷を受けて死亡している。
この事件をさらに謎めいたものにしているのは、ロシア当局による何らかの隠ぺい工作があったと思われる点である。元調査官レヴ・イヴァノフは1959年に行われ、1990年に公開された公式審問記録で、「飛ぶ発光体を見たという証言を報告後、組織の最上部からこの調査委員を解任された」と証言している。またウラル山脈ではロシア軍が秘密実験を行っていたという噂も絶えない。
なぜ、ハイカーたちの死に当局は隠ぺい工作をはかったのか。この謎が解ける日は果たして来るのだろうか。 トカナより
Unsolved Mysteries - The Dyatlov Pass Incident 動画は「YouTube」より
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