画像は「Washington Post」より引用
今年3月23日、ウクライナに亡命していた元ロシア下院議員デニス・ボロネンコフ氏が、ウクライナの首都キエフにあるプレミア・パレス・ホテルから出てきたところで銃撃を受け、死亡した。かねてよりプーチン大統領批判を繰り返してきたことへの報復とみられ、事件後、ウクライナ政府は、国家的テロであるとしてロシア政府を非難した。
これまでプーチン大統領を公然と非難し、不可解な死を遂げたジャーナリスト、政治家、実業家は30人以上とも言われているが、今回はその中から、米紙「The Washington Post」(3月23日付)を参考に、プーチンに殺されたと思しき5人の勇敢な非難者たちをご紹介したい。
■アンナ・ポリトコフスカヤ(2006年死亡)
生前のアンナ・ポリトコフスカヤ氏「Washington Post」より引用
アンナ・ポリトコフスカヤ氏は、露紙「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者として活躍しながら、『プーチニズム 報道されないロシアの現実』やチェチェン紛争におけるロシアの責任を追及した書籍を通して大々的にプーチン批判を行っていた。
舌鋒鋭いプーチン批判で名を馳せていたポリトコフスカヤ氏の射殺体がモスクワ市内の自宅アパート建物エレベーター内で発見されたのは2006年10月7日のことだった。2011年には、実行犯と思しきチェチェン人ルスタム・マフムドフの身柄が拘束され、同年8月には殺害を指揮した容疑でモスクワ警察の元刑事ドミトリー・パブリュチェンコフも拘束された。しかし、パブリュチェンコフ氏に殺害を依頼した真の黒幕は未だ明らかになっておらず、殺害に関しては、何かしら政治的な思惑が働いているのではないかとの見方が今も根強い。
生前のセルゲイ・マグニツキー氏「Washington Post」より引用
セルゲイ・マグニツキー弁護士は、アメリカ人実業家ウィリアム・ブローダー氏の依頼を受け、「Hermitage Capital Management」という企業が絡んだ国税の払い戻しに関わる巨額横領事件に取り組んでいた。調査が進むにつれ、ロシア警察当局や各種政府機関が巨大な汚職に手を染めていることが明らかになっていき、マグニツキー氏は汚職に関与していた政府当局者を告発。だが、その直後、脱税容疑で逆にマグニツキー氏が捕らえられてしまう。その後、拘留中の激しい拷問が原因で著しい健康悪化を来たし、2009年そのまま十分な医療を受けられないまま死亡した。拷問中マグニツキー氏は告訴を取り下げるよう何度も脅されていたが、ついに首を縦に振ることはなかったという。事件後、アメリカ政府はマグニツキー弁護士の獄死をロシア当局による犯罪行為だとして非難、事件に関与したとされる16人のロシア当局者に対する米国への入国ビザの発給禁止や資産凍結を定めた「マグニツキー法」を制定した。 ■アレクサンドル・リトビネンコ(2006年死亡)
生前のアレクサンドル・リトビネンコ氏「Washington Post」より引用
リトビネンコ氏は、元KGB諜報部門に勤務していた経験からロシア政府の裏の稼業にも精通していた。1998年には過去にKGB局長らから複数の要人の暗殺を命令されていたと暴露、2002年にはプーチンが「FSB(ロシア連邦保安庁)」時代に犯罪組織と手を組んでいたことも公にした。プーチン政権に対し数々の決定的ともいえる批判・暴露を繰り返したリトビネンコ氏が暗殺されるのも時間の問題だったのかもしれない。2006年11月、リトビネンコ氏は、同年10月に起こった先のロシア人ジャーナリスト・アンナ・ポリトコフスカヤ氏の暗殺事件を調査するため、ロンドンでイタリア人教授と会食後、突然の体調不良を訴え、病院に収容された。そして体調は回復することなく、同月23日に死亡が確認された。体内からは放射性物質ポロニウム210が大量に検出され、イギリス当局は暗殺も視野に入れ捜査を開始。2014年に英国政府調査委員会がまとめた報告書では「プーチン大統領が殺害を指揮した」との見方が示された。
2003年にも、ロシア人ジャーナリストのユーリ・シェコチーヒン氏がタリウム中毒で死亡する事件が起こっている。
■ボリス・ネムツォフ(2015年死亡)
生前のボリス・ネムツォフ氏「Washington Post」より引用
エリツィン政権で第一副首相を務めたこともある大物政治家であるボリス・ネムツォフ氏は、反プーチン派で最もカリスマ的な存在だったといわれている。2011年には、ロシア下院選挙で不正があったとして、大規模な抗議集会を開くなど、プーチンのやり方に疑問を持つ民衆から絶大な支持を集めていた。ネムツォフ氏が凶弾に斃れたのも、ロシアのウクライナ侵攻に反対するデモを呼びかけた数時間後だった。2015年2月27日、ウクライナ人モデルとともにクレムリンにほど近いボリショイ・モスクワレツキー橋に差し掛かったところで、何者かが背後から4発の弾丸を撃ち込み、ネムツォフ氏はその場で即死した。
■ボリス・ベレゾフスキー(2013年死亡)
生前のボリス・ベレゾフスキー氏「Washington Post」より引用
数学者としてキャリアをスターとしたボリス・ベレゾフスキー氏だが、エリツィン時代には「オリガルヒ(ロシア新興財閥)」の代表的人物として、エリツィン政権で影響力を発揮し、「政界の黒幕」と呼ばれるまでになった。しかし、エリツィンの跡を継いだプーチンはオリガルヒらに脱税疑惑をかけるなどして、その影響力を徐々に弱体化させていったため、ベレゾフスキーはこれに反発。イギリスに亡命してからも、プーチン政権批判を続け、リトビネンコ氏毒殺事件に対しても、プーチンが指示した暗殺だったと痛烈に非難した。だが、リトビネンコ氏の一見で明らかになったように、ロシア国外であっても暗殺の危険はある。2013年3月23日、ロンドンにある自宅のバスルームで死亡しているベレゾフスキー氏の遺体が発見された。首には縄のようなものがかけられていたという。死因については自殺と断定されたが、不審な点もあり、暗殺の可能性を指摘する専門家も少なくない。
如何だっただろうか? 「Washington Post」では、他にもジャーナリストのナタリア・エステミロワ氏、リベラル派の政治家だったセルゲイ・ユシェンコフ氏など、10名の暗殺の疑いが指摘されていたが、恐らく氷山の一角に過ぎないだろう。冒頭でもお伝えしたように、2017年現在もプーチンの暗殺指令は続いていると見られており、今後もジャーナリストや政治家らの不可解な死は止みそうにない。 トカナより
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