戦争中に原爆を開発しようとした京都帝国大で、終戦時に確保していたウランの量が21日、米国が最高機密指定を解除した文書から明らかになった。京大の物理学教室に計約105キロの天然の酸化ウランなどがあり、大阪造幣局に米軍が移送した。京都新聞の取材で先月、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の終戦前後の日記に京大の原爆研究「F研究」への関与を自ら記していたことが明らかになったが、原爆製造に十分な資源を確保できず実現性は乏しかったことが改めて確認された。
機密文書は米国立公文書館所蔵で、終戦翌年の1946年3月1日付。物理学者でもある米軍フィッシャー少佐が作成した。
米軍が京大の荒勝文策教授(原子核物理学)の研究室で建設中の円形加速器サイクロトロンを破壊、撤去した際に押収し大阪造幣局に移送した核物質の目録。段ボール16箱に入った淡黄色の酸化ウランが計約86キロ、黒い酸化ウラン1キロ、硝酸ウランの小瓶2本計400グラムなどと、種別や容器別に報告している。純度99%のラベルを貼った重水を収めたガラス管36本も記されている。
元京大講師で核物理に詳しい荻野晃也・電磁波研究所長は「天然ウランには0・7%程度しか核分裂性のウラン235が含まれておらず、核兵器で使うには高濃度に濃縮が必要だ。戦争中の京大が、原爆製造にほど遠い、わずかな原料しか確保できなかったことが分かる。海軍から供給された点を含め、京大の原爆研究の実態を知る上で貴重な資料だ」と話している。
京大への核物質調査に関しては48年4月15日付の米機密文書も判明した。地質学講座や医学部などが持っていた数十グラム単位の放射性物質の試料についても、入手元や戦時中の使用量を捜査している。荒勝研究室について、戦時中に海軍省から酸化ウラン16箱と約20キロを入手、戦後に米軍が押収した経緯まで記されている。「戦時実験」で硝酸トリウム1キロを消費したとも記載。48年時点でも同研究室には硝酸ウランと硝酸トリウムが計約13キロを保有とある。冷戦下の米国諜報機関が核物質の管理に目を光らせていたことがうかがえる。
■ウラン濃縮
原爆や原子力発電で使われ、核分裂を起こすウラン235を天然ウランから濃縮する技術や連鎖反応を起こす技術は、戦時中の日本では未確立だった。核兵器には90%以上の高濃縮が必要とされる。京大は遠心分離法を検討していた。重水は核分裂反応の減速材として使われる。広島に投下された原爆「リトルボーイ」には濃縮されたウラン235が約64キロ使われた。京都新聞より
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2017年12月22日金曜日
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