2017年7月12日水曜日

山中伸弥先生「話題の書」が教える「iPS細胞ができるまで」

信じてもらえない!

ES細胞のような増殖力と分化多能性を持つ細胞。この新しい細胞に、ぼくはInduced Pluripotent Stem Cellsという名前を付けました。日本語では「人工多能性幹細胞」、略称はiPS細胞です。

最初の文字を小文字にしたのは、当時、流行していた携帯型デジタル音楽プレーヤーのiPodにあやかりました。自分で発見して名付けた遺伝子の名前が使われなかった過去の苦い経験から、なるべく覚えやすい名前にしたかったからです。

論文を発表した直後、アメリカのコールド・スプリング・ハーバー研究所で、iPS細胞に関する研究会が開かれて、ぼくも参加しました。コールド・スプリング・ハーバー研究所は100年以上の歴史を持つ生物学・医学研究の拠点で、当時は、DNA二重らせん構造の発見者の一人ジェイムズ・ワトソン先生が会長(2007年まで)をされていました。

4、5日間連続の研究会で、しかも研究所がニューヨークからかなり離れた場所にあるため、参加者は研究所近辺に宿泊していました。夜9時を回ると、バーに繰り出してお酒を飲む人も多く、ぼくも行ってみました。

すでに人がいっぱいでしたが、4、5人が立ち話をしている中に、知っている顔を見つけたので近寄ってみると、

「4個でできるなんてありえへん」
 

「おかしい」

といった声が聞こえてきます。この輪に入りたいけど、なんとなく入りにくい雰囲気でした。僕がすぐ横にいることに気づいて、みんなばつが悪そうでした。

ぼくら自身、たった4つの遺伝子で体細胞を初期化できるという結果に驚いていたので、「おかしい」と思われるのも、ある意味、当然でした。

とくに4つのうちKlf4については、ES細胞究者の業界内ではあまり知られていない遺伝子だったので、なぜそれに注目したのかと不思議に思った人もいたかもしれませんが、結果的には、ES細胞にとって本当に大切な遺伝子でした。

「コロンブスの卵」と同じように、いったんわかってしまえば、「それはそうやろう」と納得できる4つの遺伝子だったわけです。

「ヒトiPS細胞」開発競争

ぼくたちの『セル』論文には他にも批判がありました。マウスES細胞は、キメラマウスを経て、全身がES細胞に由来するマウスを作ることができます。しかし(助手の)高橋君が作ったiPS細胞で作ったキメラマウスは、お母さんのお腹の中で死んでしまうのです。iPS細胞とES細胞は似て非なるものではないかと批判されました。

この批判を払拭してくれたのがポスドクの沖田君です。沖田君はiPS細胞の樹立方法を変えることにより、成体のキメラマウスを作ることに成功しました。

またキメラマウスを交配することにより、全身がiPS細胞に由来するマウスを作ることにも成功しました。まさに完璧なiPS細胞ができたのです。この成果は『ネイチャー』に掲載されました。

驚くべきことに、同じ『ネイチャー』に、マサチューセッツ工科大学(MIT)による同じような論文が掲載されていました。またほぼ同時に別の科学雑誌でも、ハーバード大学のグループが、全身がiPS細胞でできたマウス作製の成功を報告しました。

これらの報告により、ぼくたちへの批判は収まっていきました。それとともにiPS細胞という名前も、研究者のみならず一般の方々にも定着していきました。しかし、iPS細胞をめぐる熾烈な開発競争の幕開けでもありました。

すぐにはじまったのが、ヒトiPS細胞の開発競争です。もちろんぼくらも、マウスのiPS細胞を論文発表する前から実験を開始し、ヒトでもできるということがわかっていました。
データを積み重ねて論文発表の準備を進めていた2007年の夏、私は出張先のアメリカで、他の研究室がヒトiPS細胞樹立に成功しているという噂を聞きました。

焦りました。帰りの飛行機の中で、論文を一気に書き上げ、すぐに『セル』に投稿しました。日本と『セル』の編集部があるボストンには13時間の時差があります。ぼくは何度も徹夜して、編集者との対応に当たりました。

何とか論文は受理され、11月にインターネット上で速報として発表されることになりました。

論文が発表される1週間ほど前、ヒトES細胞の作製に世界ではじめて成功した、アメリカ・ウィスコンシン大学のジェイムズ・トムソン先生からメールがきました。

「シンヤ、競争に負けたのは残念だ。しかし負けた相手がシンヤでよかった」。

ヒトiPS細胞樹立に成功していたのはトムソン先生だったのです。そのときは、彼らの論文はぼくたちの1日後に『サイエンス』に発表される予定だったようです。しかし、『サイエンス』が掲載を1日早めるという異例の行動をし、結局、同じ日に掲載され
ました。


ぼくらはOct3/4、Sox2、Klf4、c-MycというマウスiPS細胞に使ったのと同じ遺伝子をヒトでも使いました。それに対して、トムソン先生たちはOct3/4、Sox2は共通していましたが、あとの2つはNanog、Lin28というぼくらと異なる遺伝子を使っていたのです。

あきらかにぼくらとは別路線でヒトiPS細胞にたどり着いたのです。すごい人たちだと敬意を感じました。

再生医療の可能性

いま、ぼくたちは京都大学医学部附属病院やほかの多くの病院の協力を得て、たくさんの患者さんのiPS細胞を作っています。患者さんからいただいた皮膚片を、直径10センチほどの培養皿に貼り付け、2、3週間経つと、培養皿いっぱいに細胞が増えますが、それ以上は増えません。待てど暮らせど皮膚細胞のままです。

しかし、ここに細胞の時計の針を巻き戻す遺伝子4つを加え、1ヵ月ほど培養すると、皮膚の細胞とは見かけも性質も違うiPS細胞になります。

いったんiPS細胞になると、どんどん増殖するので、培養皿10枚分でも、100枚分でも、1000枚分でもいくらでも増やすことができます。増やした後に刺激をあたえるとiPS細胞は分化しはじめます。刺激のあたえ方によって、さまざまな種類の細胞を作りだすことができます。

この技術によってなにが可能になるでしょうか。たとえば、あなた自身が心臓の病気で寝たきり状態になったと仮定してください。

もし医師や研究者から、研究のためにあなたの心臓の細胞を使わせて下さいと言われたらどう思われますか? ぼくだったら生きている間に心臓から細胞をとられるのはかなわんと思うでしょう。

中には協力してくださる方もいて、麻酔した上で心臓の細胞を少しいただけるかもしれません。しかし、心臓の細胞は皮膚の細胞とは違って一切増えないのです。せっかくいただいた細胞はすぐになくなってしまいます。また患者さんからいただく細胞は、すでに病気になってしまった細胞です。

しかし、多くの方が、血液や皮膚の細胞くらいなら、生きている間にあげてもいいと思われるでしょう。それらの細胞をiPS細胞として増やし、適切な刺激をあたえれば、あなたの遺伝子を持った心臓の細胞を大量に作りだすことができます。

しかも、あなたの実際の心臓の細胞が息も絶え絶えという状態であっても、iPS細胞から作りだした心臓の細胞は、病気になる前、ゼロ歳のときの心臓の細胞です。その元気な心臓の細胞を、弱ってしまった心臓に貼り付ける、あるいは移植する。そうすればもう一度、心臓を元気にできるかもしれません。

日本で心臓移植が実施されることは滅多にありません。その最大の要因は脳死という概念が定着しておらず、提供者がほとんどあらわれないことです。心臓移植の代わりに、iPS細胞技術を使って、患者さん自身の心臓細胞を大量に作りだし、患者さんに移植して治療する。これが再生医療として期待されているiPS細胞の利用例の1つです。

ただし現状では、完全な心臓細胞を作りだすことは技術的に難しく、医療現場で、患者さんのiPS細胞から作った心臓細胞を利用できる段階ではありません。がん化しないか、異常はないか、研究によってじゅうぶんにたしかめておく必要があります。

iPS細胞ストック

iPS細胞は、患者さん本人の細胞を使って作るので、ES細胞が抱える倫理問題や拒絶反応の問題を回避できます。しかし、iPS細胞を作製し、そこから目的とする細胞へ分化させるまでには数ヵ月単位の時間と高額の費用がかかります。

たとえば、怪我をして脊髄損傷になった患者さんは、1週間から10日の間に移植を受けないと治療効果がないといわれています。そうだとすれば、脊髄損傷になってまもない患者さんのiPS細胞を作りはじめ、分化させて神経細胞にするまでに数ヵ月もかかるのでは、間に合わないことになってしまいます。

もちろんiPS細胞作製をスピードアップするための研究も進めています。しかし、それとともに、iPS細胞ストックの準備も進めています。

健康なボランティアの方から皮膚細胞などの体細胞をいただいて、あらかじめiPS細胞を作り、増殖させたうえで、神経細胞や心臓細胞などさまざまな種類の細胞に分化させて保存しておくためです。輸血用の血液を保存している血液バンクのように、いくつもの細胞を用意しておき、必要になればいつでも使えるストックです。

ただし、iPS細胞ストックで用意されることになる細胞は、患者さん自身の細胞ではありません。そのため拒絶反応を引き起こす恐れがありますが、なるべくこの反応が起きないようにする方法があります。そのために利用するのが、細胞の表面にあらわれるタンパク質のHLA(ヒト白血球型抗原。自身の細胞と外来の細胞とを見分ける際に重要な細胞表面のタンパク質のこと)です。

HLAには人それぞれに異なる型があり、血液型と同じように誰でも父親と母親から一つずつ受け継いでいます。血液型の組み合わせはA型(AO、AA)、B型(BO、BB)、O型(OO)、AB型(AB)しかありませんが、HLA型には数万通りの組み合わせがあるといわれています。

親子や兄弟姉妹であってもHLA型が一致する確率はきわめて低く、HLA型が完全に一致するのは一卵性双生児くらいしかいません。臓器移植で拒絶反応が起こるのは、ドナー(臓器や組織の提供者)とレシピエント(移植を受ける患者さん)の間でHLA型の適合性が低いからです。

しかし、多くのタイプのHLA型と拒絶反応を起こしにくい特殊なHLA型を持っている人が一定の割合で存在しています。血液型O型の方が、O型だけでなく、A型、B型、AB型の人に輸血しても問題ない場合があるように、多くの人と適合性の高いタイプのHLA型を持つ方がいるのです。たまたま両親から同じHLA型を受け継いだ方です。

両親から一つずつ異なる型を受け継ぐのが一般的ですが、まれに同じ型を受け継ぐことがあり、そういうタイプをHLA型ホモと呼びます。

ぼくたちが、HLA研究所(京都市)から日本人HLA型のデータの提供を受けて試算をしたところ、HLA型ホモの方、50人に協力していただくと、日本人の73%に対して拒絶反応の少ないiPS細胞を用意することができます。75人で80%、140人で90%の日本人をカバーできることがわかりました。

それでは、このようなHLA型ホモの方を50〜140人見つけだすために、何人くらいのHLA型を調べればよいでしょうか。ぼくたちの試算では、50人を見つけるために3万7000人、75人を見つけるために6万4000人、140人を見つけるために16万人のドナーのHLA型を調べる必要があるとわかりました。

数万から10万単位の方のHLA型を新たに調べるのは大変です。しかし、出産のとき赤ちゃんのへその緒やお母さんの胎盤にある臍帯血(さいたいけつ)を集めて凍結保存している臍帯血バンクというものがあります。

「親知らず」からもiPS細胞

臍帯血には血液を作りだす造血幹細胞がたくさん含まれていて、移植することで白血病などの血液の病気の治療に役立てることができます。じつは臍帯血バンクでは、それぞれの臍帯血についてすでにHLA型が調べられています。移植後の拒絶反応が起こらないようにするためです。

もし臍帯血バンクなど既存のバンクと協力することができれば、HLA型をあらためて探す必要はないかもしれません。結果的に、コストを抑えて、短期間でiPS細胞ストックを構築することができます。

当初ぼくらは皮膚の細胞からiPS細胞を作製しましたが、その後、世界中で研究が進み、臍帯血や末梢血に加えて、髪の毛の毛根部から、あるいは抜歯した「親知らず」からもiPS細胞を作製できることがわかっています。

iPS細胞ストックを作ることとあわせて、ぼくらがいちばん力を入れているのは、iPS細胞の安全性を高めるための研究です。ぼくは大学院生のときの最初の実験で「新しい薬、新しい治療法をいきなり患者さんで試してはならない」という教訓を学びましたが、同じことがiPS細胞についてもあてはまります。

iPS細胞を実際に患者さんに役立てるには、iPS細胞のがん化(悪性腫瘍の形成)や奇形腫(良性腫瘍)を防ぐ、iPS細胞から目的の細胞に確実に分化させて未分化の細胞を残さないなど、クリアすべき課題があります。

いまぼくらは国からの支援を受け、どの細胞からどういう方法でiPS細胞を作るのがいちばん安全か、どのように品質のいいiPS細胞を選ぶかといったことも徹底的に調べています。
iPS細胞の技術を、一日も早く患者さんたちに役立てたい。そのためにこれからも一生懸命研究しつづけたいと思っています。

現代ビジネスより

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