2017年7月21日金曜日

脳の自己治癒力を引き出すには

パーキンソン病、アルツハイマー病、ハンチントン病、多発性硬化症などの神経性疾患は治らないと、これまで考えられてきた。しかし近年、脳には「神経可塑性」がある、すなわち、自らを配線しなおす力があることがわかってきた。
 
私たちの脳は、何歳になっても再生するし、病んだり欠損したりした部分を補うように配線をつなぎかえることで、機能を回復することができるというのだ。

本書は、治療不可能と考えられていた機能障害の多くが、「神経可塑性」をいかした治療によって劇的に改善する可能性がある事実を、患者と医療者たちの物語とともに紹介する。

先にあげた神経性疾患のみならず、脳卒中、外傷性脳損傷、自閉症、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、慢性疼痛、視覚障害、さらには心臓疾患に対処するにも、有効な治療法だという。

何にでも効く、副作用のない治療法

何にでも効く、副作用のない治療法というと、”奇跡”とか”代替療法”をうたうトンデモ本ではないかと疑いたくなる。感動的な回復の物語に惑わされないよう、眉に唾をつけつつ読み始めた。

ところが、読み進むうち、個々の物語を裏づける臨床研究や、治癒のメカニズムに関する著者の理論がしっかりしているとわかった。

著者は、コロンビア大学精神分析研究センターおよびトロント大学精神医学部に所属する精神科医、精神分析医。古典と哲学を専攻後、コロンビア大学で精神医学と精神分析学を学んだ。作家・エッセイスト・詩人でもある。

そう紹介されているとおり、本書には「神経可塑性研究の最前線」が、一般の読者にもわかりやすい平易な言葉で、ときに詩的な表現で感動的に描かれている。

「外部からエネルギーを加えるなどの手段を通じて、脳のニューロンにおける配線の様態を変え」、治癒を促すという「神経可塑性」を用いた治療には、さまざまなものがある。

本書で紹介されている例は、視覚化による慢性疼痛の治療、歩行によるパーキンソン病の症状改善、光(低強度レーザー)を当てて休眠中の神経回路を目覚めさせる治療、舌に刺激を与える小さな装置を用いた神経調節法、音・音楽・音声を用いた「サウンドセラピー」や「リスニングセラピー」など。

たとえば、第2章「歩くことでパーキンソン病の症状をつっぱねた男」で示される運動と神経変性疾患の関係は、だれにでもわかりやすいだろう。

パーキンソン病や脳卒中の患者は、神経回路を「使わない」ことで、歩けないことを「学習」する。脳は「使わなければ失われる」組織であるから、「不使用の学習」を通して病状を進行させてしまうというのだ。

パーキンソン病と診断されたことで薬以外に有効な治療法はないと受動的になり、身体活動を減らすのは「最悪の選択」だといえるかもしれない、と著者はいう。

パーキンソン病ブートキャンプ

ペッパーという患者の実例や動物実験などから、著者は、パーキンソン病と診断された患者が身近な介護者と一緒に参加する「パーキンソン病ブートキャンプ」を提案する。

<そこでは専門家が、疾病に対処するには運動や身体活動が肝要であることを説明し、その基盤をなす神経可塑性の科学を教え、患者の歩行を分析し、意識的な歩行や動作の方法を教え、(中略)ケガや体力の消耗に配慮した歩行プログラムを提供する。診断が下されたらすぐに、神経栄養因子に働きかけるために、可能なうちに運動を始めることを第一の目標として定める。>

「経験的に考えても、学習と運動の組み合わせは優良な効果をもたらすように思われる。中年に差し掛かって脳が衰え始めるにつれ、運動の重要性は減るのではなく増す。脳の衰退プロセスを打ち消す数少ない手段の一つが運動なのだ」と、著者は語る。

私自身も含め、多くの人が一日中座りっぱなしの現代生活においては、この理解は非常に重要であろう。

心の作用や身体活動によって、痛みの神経回路を弱めたり、特定の神経回路を強化したりする治療法に続き、第4章からは、電気、光、音などの刺激を用いて機能不全に陥った脳を覚醒させ、機能回復を促す方法が紹介される。

「ノイズを発生させる病んだニューロンの健康状態の改善を助長し、さらにエネルギーと神経可塑性を動員する治療手段を用いて、生き残ったニューロンが同期して発火するよう、そして眠り込んだ能力が再覚醒するよう導く」アプローチである。

たとえば、電気的刺激を与える小さな装置(PoNS)を舌にのせる方法では、300ミクロンの深さの感覚ニューロンが活性化され、それが脳神経を介して正常な信号を脳幹、および機能ネットワーク全体に送り出される。ネットワーク内のすべてのニューロンが、連鎖を介して、装置からの電気そのものでなく、いつもどおりの信号を順次受け取ることで刺激される。

ホメオスタシスを調節する神経ネットワーク

「機能ネットワークは再度活性化し、神経可塑的な成長プロセスが始動する」というわけだ。
 

この方法がさまざまな疾病に効果があるのは、それがホメオスタシスを調節する神経ネットワークの、全般的なメカニズムを活性化するからだという。これは、神経可塑性治療全般の基本的な思想ともいえる。

<ホメオスタシスに依拠する脳の自己制御システムの巨大なネットワークを刺激する装置は、脳の疾病を治療するにはあまりにも非特定的であるように見えるだろう。要するに私たちは、疾病に明確な住所を持っていて欲しいのだ。そのため、巨大なネットワークの迅速なバランスの回復を支援する万能の介入法という考えは、いんちき療法、あるいはプラシーボ効果として簡単に見捨てられる。>

<身体は全体として機能するがゆえに全体として治療されなければならないと考える生気論者と、個々の部位を侵すものとして疾病をとらえる唯物/局所論者は数千年にわたって論争を繰り返してきた。現在は後者が優勢であるが、実際のところ、どちらの側も重要な洞察を提示している。>

著者が指摘するように、分析的、局所的な西洋医学と、全人的な東洋医学の両者を統合しようとする側面が、神経可塑性治療にはあるといえそうだ。

西洋医学では受動的になりがちな病気や障害への対処を、自らの制御下に取り戻し、能動的に働きかける。それにより、脳と身体が本来持つ自己治癒力を最大限に引き出せる、と本書は訴える。

患者でなくとも、脳を健康に保ちたいすべての読者に貴重な示唆を与えるに違いない。
WEDGE Infinityより

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