第一次世界大戦(1914~18年)末期、同盟国・ロシアで起きたロシア革命に干渉すべく、日本は、米国、英国、フランスなどの連合国とともにシベリアに派兵した。世にいう「シベリア出兵」である。
最終的に、兵力7万3000人と戦費10億円を投じ、約3000人もの戦死者を出しながら、得るものがなかった対外戦争だったと酷評されてきた。だが、結果として、765人のポーランド孤児を救うことができたことをご存じだろうか。
ときは19世紀、ロシアからの独立を勝ち取るために戦いを挑んだポーランド人が、政治犯としてシベリアに送られた。また、第一次世界大戦で戦場となった母国を離れて逃れてきた人々など、当時のシベリアには15万~20万人のポーランド人がいた。
第一次世界大戦が終結し、ポーランドは独立を回復したが、シベリアのポーランド人はロシア内戦の中で凄惨(せいさん)な生き地獄に追い込まれ、多数の餓死者や病死者、凍死者を出したという。
その惨状を知った極東ウラジオストク在住のポーランド人が「せめて親を失った孤児だけでも救わねば」と、「ポーランド救済委員会」を立ち上げ、東奔西走した。
これに、ロシア革命の余波を警戒して、第一次世界大戦終結後もシベリアに兵をとどめていた日本が手を差し伸べた。
1920年6月、ポーランド救済委員会から救援の打診を受けた日本政府は、日本赤十字社に「救済事業」を要請し、救護活動を決定した。2週間後には、最初のポーランド孤児らを乗せた輸送船がウラジオストクを出発し、福井県・敦賀港に到着した。
このとき、日本赤十字をはじめ、軍や警察、役場、敦賀市民は孤児たちを温かく迎え入れた。食事や菓子でもてなし、病気の治療にあたるなど、手厚く養護したのである。22年8月までに、日本が救出したポーランド孤児は計765人に上った。
ポーランド政府の要請に基づき、元気を取り戻した孤児たちは横浜港や神戸港から母国に向かった。船で日本を離れるとき、感動的な出来事がおきた。ポーランド孤児たちは「日本を離れたくない」と泣き出したのだ。
シベリアで極寒・極貧の生活を強いられ、愛情に触れたことのなかった孤児にとって、日本はまさに天国だったのだ。
孤児らは船上から「アリガトウ」を連呼し、「君が代」とポーランド国歌を高らかに歌い感謝の意を表して別れを惜しんだという。
日本では、この感動的な史実はほとんど知られていない。だが、ポーランドでは今でも、この孤児救援劇が語り継がれ、恩返しが続いている。
阪神・淡路大震災(95年)を受けて、ポーランド政府は95、96年、被災児童らをポーランドに招待した。首都ワルシャワで4人のポーランド孤児と対面させるなど、日本の子供たちを温かく励ましてくれた。
東日本大震災(2011年)でも、ポーランド政府は被災した岩手県と宮城県の子供たちを2週間もポーランドに招いてくれた。
批判にさらされてきた「シベリア出兵」だが、日本とポーランドの友好を育んだ物語を忘れてはならない。
参考文献、兵藤長雄著『善意の架け橋-ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋)
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒業。専門は、軍事安全保障・外交問題・近現代史。「軍事漫談家」の異名も持つ。産経新聞「正論」欄執筆メンバー、国家基本問題研究所企画委員などを務める。第17回「正論新風賞」受賞。主な著書・共著に『東日本大震災 自衛隊かく闘えり』(双葉社)、『東京裁判をゼロからやり直す』(小学館新書)、『本当は戦争で感謝された日本』(PHP文庫)など多数。夕刊フジより
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2018年8月24日金曜日
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