2010年10月3日日曜日

ベトナム珍道中-6

南ベトナム大統領府を見学後は徒歩で、戦争跡博物館へ行く事にしました。多分近くだったという記憶だけで歩いたのですが、行けども行けどもたどり着かず、道行く人にWAR博物館の道を聞けども、大雑把な案内でよく分りません。それでも、何とかたどり着く事が出来ました。情けない道案内人です。
3年前に来た時より、建物が新しくて建て変わっていてビックリしました。本館が4階建てになっていて、それぞれのフロアーはテーマ毎に展示されていました。
←この写真は田んぼの片隅に母子とも殺され放置されている写真です。
また、地雷か何かを踏んで身体がバラバラになった死体を、アメリカ兵士がニヤニヤしながら持ち抱えている写真もあり、見るに堪えない写真でした。
戦争により民間人までもが殺される、戦争は何の建設的な利益をもたらす事もなく、破壊と憎しみが残るだけだという事が、嫌と言う程知る事が出来ました。アメリカという国は本当に戦争が好きな国なんだと改めて感じる事が出来ました。今も、イラクやアフガニスタンへ大量の兵士を派遣していますが、アメリカの青年が戦争のために犠牲になり、それ以上にその国の人たちも犠牲になっている事を考えれば、アメリカは他国に口出しをせず、すぐに撤退をすべきであると思います。
今回のベトナムは6回目になります。ホーチミンばかりを見学をしてきたのですが、次回はハノイから電車に乗り、ホーチミン市への旅を考えています。時間とお金が出来れば計画を練ってみたいと思っています。ベトナム珍道中の報告はこれで終わります。

2010年10月1日金曜日

ベトナム珍道中-5

ベトナムも最終日になりました。今日の夜には、19時発ホーチミン空港からクアラルンプール行きの飛行機に乗車しなければなりません。クアラルンプールは23時45分発の関空行きの飛行機で、24日の朝に関空到着になります。
今日は、市内観光と言う事で、元南ベトナム大統領府と戦争跡博物館へ行く事になりました。最初は、南ベトナム大統領府へ徒歩で、入場料は15000ドン(日本円で約75円)大統領の執務室や閣議を開く部屋、婦人の寝室や食堂などがそのまま見る事が出来ます。屋上にはアメリカ軍のヘリコプターがそのまま残っていて、敗戦が確実になり脱出用に置いてあったようです。

 地下はアメリカ軍の作戦司令室があり、当時のまま保存されています。
↑南ベトナム大統領府を正面から撮影した写真

庭には、北ベトナム軍の戦車と飛行機が展示されていて、南ベトナム解放のシンボルとして残されています。

今日から10月

今年も残り3ヶ月。1年が早く終わっていく感じです。今日から煙草が大幅値上げ、少し買いだめはしていますが、焼け石に水です。

金曜日が休みなので家の中は私と犬2匹がいます。他の3名は仕事と学校へ行っています。犬はそれぞれの場所で寝っ転がっています。私も犬と同じでパソコンに向いながら、時々ごろごろと寝っ転がってブログを書いたりしています。
←寝っ転がっている、プードル犬の「ひな」もう一匹は、違う場所で寝っ転がっていて、犬同士はあまりなかは良くありません。
これが、朝起こしに来るので、休みの日は来るなぁと叱ったりするので、最近は起こしに来なくなりました。見ているだけで癒される時もあります。

ベトナム珍道中-4

メコン川ツァーも終わり、18時前にはホーチミン市に帰ってきました。その後は、ホテルに帰り近くにあるベンタン市場の周辺にある店でフォーを食べました。夜は屋台や雑貨店が店を出しています。ベトナムも3日目なので少し疲れもあり、早い目にホテルに帰りました。

2010年9月26日日曜日

韓国平和ツァー-4

(2)西大門刑務所歴史館


「西大門刑務所歴史館」は漢民族が、日本帝国主義による強制占領という痛みを抱えてきました。この時期は民族のプライドが傷つけられ、民族自らの発展が中断されるなど、苦難の歴史であった。それにもかかわらず、我々は歴史的な現実に屈したり、妥協したりせず、民族の独立に向ける闘争の歴史があり、そのおかげで今の私たちが存在し得ているのです。西大門刑務所歴史館はこのような歴史を引き継ぐ為の教育の場として開館しました。明日を担う若者たちはもちろん全国民が、国の為に命を捧げた烈士たちの志を偲び、屈辱的な過去の歴史を克服するために、国を愛し民族を愛する志を学ぶ場とななるように整備中でした。

↓女性専用の刑務所
 また、発掘途中でその発掘が終われば、西大門刑務所の全容が明らかになると思います。

西大門刑務所の沿革

1908年10月21日 京城監獄として新築

1912年9月3日  西大門監獄として名称変更

1923年5月5日  西大門刑務所と名称変更

1945年12月21日 ソウル刑務所として名称変更

1961年12月23日 ソウル教導所と名称変更

1967年7月7日 ソウル拘置所として名称変更

1987年11月15日 西大門拘置所が京畿道義旺市に移転

1998年11月5日  西大門刑務所歴史館開館

 

終戦後も西大門刑務所は韓国政府により刑務所としての機能を有していました。当時は、軍事独裁の時代でもあり、北朝鮮との軍事的対立などもあり、軍事体制に反対する国民を投獄するための刑務所になっていたようでした。

ベトナム珍道中-3


ベトナム3日目、今日も朝、6時過ぎに起床、ホテルの朝食を頂きに2階食堂へ、色々な国から来ている人たちと一緒に、昼食をいただく。メインはフランスパンを主食におかずは適当に皿にのせ、いただきました。朝食後は、シンカフェまで徒歩で行き、ワンデーのメコンツァーの予約をする。料金は一人20万ドン、日本円で1090円です。バス代、昼食代、ガイド代でその値段です。8時30分発ですが、実際には、9時10分に出発になりました。大体が大雑把なお国柄みたいで、日本のように時間どうりには来ないと思った方がいいと言われました。バスで3時間余り、写真の港に着きここから、舟に乗りメコン川を遊覧する事になります。大きな大河なので、本流なのか支流なのか素人には分りません。中州の中に在る食堂で、昼食をいただいたり、売店などもあり、メコン川のツァーを楽しみました。つづく

MIXIに掲載していた日記を掲載

MIXIに掲載していた過去の日記を再度、「ぼちぼち やろか」に掲載しています。年月日が違うのでそこは、ご勘弁の程宜しくお願いします。MIXIでは写真が掲載できないエラーが出てしまい、せっかく取った写真を掲載したいので、こちらのホームページに乗り換え?しました。MIXIにも掲載はしていきますが、Bloggerにも掲載していきます。「ぼちぼち やろか」が主になるかも知れません。
今日は、一日パソコンの前に座り、ブログを書いています。
いつも相談に乗っている青年から電話がありました。今日、ようやくホームヘルパー2級を取得したという電話でした。まだ、仕事が見つかっていなく10月に入れば、就活を再開するとの事。いい仕事が見つかればいいのですが、今は厳しい就職状況です。その父親も自己退職をされ、今は失業中との事、私も失業の経験があり、自己嫌悪になったりしたときもありましたが、京都でホームレス関係の仕事をしたり、今は障がい者の雇用の仕事に就いていますが、施設で仕事をしていた時に比べると身体の方がついて来ない時がありますが、歯を食いしばり仕事をしている状態です。色々考えても結果は分りません。なるようになる「ぼちぼち やろか」という気持ちで毎日の生活をやるしかないと考えています。

日産ケリー前代表取締役の保釈決定 保釈金7000万円 東京地裁

金融商品取引法違反の罪で起訴された日産自動車のグレッグ・ケリー前代表取締役について、東京地方裁判所は保釈を認める決定をしました。検察はこれを不服として準抗告するとみられますが、裁判所が退ければ、ケリー前代表取締役は早ければ25日にもおよそ1か月ぶりに保釈される見通しです。一方、...