奪い取ることにどれほどの意味があるか分からない土地だ。だから、中国が、このような価値のない領土をめぐって攻撃を仕かけたことの方が不思議なのである。別の真の理由があったとみる方が自然だ。
では何が真の理由だったのだろうか。
もし中国にとっての利益は、より外交上の成果を狙ったものだと仮定すると、以下の説明が可能になる。
例えば1962年の印中戦争は、米ソのどちらでもない非同盟諸国のグループにおいて、中国とインド、どちらが主導権を取るかの争いだった可能性がある。実際、印中戦争の後、非同盟諸国の間でインドはリーダー格には見られなくなり、中国との協力関係を強化する動きが続いた。
1967年のナトゥラ事件・チョーラ事件においては、共産圏において中国とソ連のどちらが主導権を取るか、争っていたものとみることができる。
当時、ソ連は、第2次印パ戦争の仲介役として印パ両国の停戦を実現し、存在感を示し始めていた。もともとインドに対する影響力の強いソ連が、パキスタンでも影響力を増すとなると、中国のパキスタンに対する影響力は低下していく。
そのことを懸念した中国は、インドを攻撃することにした。中国がインドを攻撃すれば、ソ連はインド支持を、パキスタンは中国支持を明確にせざるを得なくなる。結果、ソ連とパキスタンの関係は悪化し、中国はパキスタンへの影響力を維持できる、というわけである。
1986~87年の危機についても、米中とソ連が争う世界的な構図の中で、中国がパキスタンへの影響力を維持しようとした可能性がある(各国の位置関係は図1参照)。
当時、ソ連はアフガニスタンに侵攻しており、米国はパキスタンを通じてアフガニスタンのゲリラを援助していた。そこで、ソ連はインドに軍事支援する代わりに、パキスタンを攻撃してアフガニスタンのゲリラへの支援ルートを遮断するような作戦を要求した。
実際、インドはソ連からの軍事援助を受けて戦力を近代化し、パキスタン攻撃を念頭に置いた大演習を準備した(「ブラスタクス演習」として実施)。
これを見ていたパキスタンの同盟国である中国は、スムドロング・チュへの侵入事件を起こして、インド軍を自分の方に引きつけ、パキスタンとアフガニスタンのゲリラ支援ルートを救おうとしたのである。それによって、中国のパキスタンに対する影響力を保持するのが狙いだ。
つまり、過去の3回の事例を見れば、中国がインドに対して軍事行動を取るときには外交的な目的がある可能性が高い。では、現代の中国にとって、インドを攻撃する真の目的はあるのだろうか。
6月半ばから続いているインドと中国のにらみ合いの原因が、中国とインドではなく、中国とブータンの間で起きた領土問題に起因することは注目に値する。
もしインドが中国の要求しているように兵を引けばどうなるか。ブータンは、インドはブータンを守ってくれないと考えて、インドのブータンに対する影響力が落ちることになる。
インドが譲歩すれば、ブータンだけでなく、ネパールやバングラデシュ、スリランカ、モルディブ、ミャンマーなどのインドの周辺国からみて、インドは弱い国として見られる可能性がある。
つまり、中国の軍事行動の真の目的には、他の周辺国に対して、インドと中国、どちらが影響力を有するか、争っている側面がある。
中国は「強い」リーダー的存在の国であり、インドは「弱い」国であると証明したい。これは過去3回起きてきたことによく似ている。
しかも、中国から見れば、インドのナレンドラ・モディ政権の政策は、挑戦的である。例えばインド海軍の艦艇は、かつては、日本に寄港すると中国にも寄港していた。ところがモディ政権成立の1か月前を最後に中国へ寄港しなくなった。
モディ政権になってからのインド海軍の艦艇は、日本、ロシア、韓国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、米国(ハワイ)などの国々へ寄港したり、共同演習している。
これだけ訪問しているのに中国に訪問していないのは、インドのモディ政権が、中国軍のインド洋進出を不愉快に思っていることを示す明確なメッセージとなっている。中国から見れば、挑戦的だ。
さらに、2017年4月には、中国が領有権を主張するインドのアルナチャル・プラデシュ州(中国名:南チベット)へのダライ・ラマの訪問を許可した。6月には、中国で行われた「一帯一路」サミットへのインド代表参加の招待を断っただけでなく、「一帯一路」構想に対する明確な反対の公式声明を出した。
そこには、インドが領有権を主張するカシミールで中国軍が道路建設を行っていることへの不満や、援助される各国の現地の事情を顧みずに援助漬けにする中国のプロジェクトの在り方への批判が書かれている*1。
そしてその直後に、日本と共に「アジア・アフリカ経済回廊」構想を打ち出し、日印主導の援助外交によって、中国への対抗心を明確に示している。
中国から見ると、これらのインドの行動は、中国がリーダー的な存在であることを否定する挑戦的な姿勢である。だから、過去3回の軍事行動と同じように、中国の影響力を示す手段として軍事的な攻撃を選択することがあっても、不思議ではない。
4.インドはエスカレーションで対抗する可能性
インドはどう対応するだろうか。6月から続くインドと中国との国境警備当局のにらみ合いでは、インドは非常に抑えた対応をしている。
中国側が1962年の戦争を引き合いに出して、インドが兵を引かない限り交渉もしないと、繰り返し述べているのに対し、インド側はほとんど沈黙を守っている。インドは落ち着いて対応している。
もしこのまま中国側が攻撃に出なければ、事態はエスカレートしないで収まっていくかもしれない。
しかし、にらみ合いが行われている場所の背後ではインドも中国も軍を準備させており、攻撃が行われた時の備えをしている。もし本当に中国がインドを攻撃するようなことがあったら、インドはどうするだろうか。それには、まず、中国がどのような攻撃をするか考えなくてはならない。
もし中国が、インドを攻撃することを想定した場合、過去の1962年、1967年、1986年の例をみてみれば、中国の軍事行動は限定されたものになる可能性がある。
例えば1962年に起きたことは、中国の陸軍は攻撃を仕かけたが、空軍は爆撃などに従事していない。
1967年の戦闘も陸軍だけで、ナトゥナ峠、チョーラ峠周辺に限定されていた。1986年の事例に至っては、中国は侵入しただけで攻撃を行っていない。
これには中国側の合理的な理由がある。まず、中国が、インドよりも「強い」ことを示すだけのために攻撃をすることを想定した場合、大きな戦争をする必要はない。
次に、標高が高い方が有利というのは、陸上戦の場合だ。もし空軍を投入していれば、飛行場が標高の高い地域にある中国の飛行場では空気が薄いため、戦闘機は十分な揚力を得られず、多くの燃料や武器が積めない。
空軍を投入せず、陸上戦だけに限定した方が、中国にとって有利なのだ。さらに、もし中国が大規模な攻撃をした場合、米国やロシアが仲介に乗り出し、圧力をかけてくる可能性が高い。
米国やロシアは先に攻撃した中国よりもインドを支持する可能性が高い。だから、もし中国がインドを攻撃するならば、陸上戦だけに限定し、核危機になりそうな大規模な作戦にならないよう、地域も限定的に抑えておいた方がいい。
ところが、インドから見ると、その部分が中国の弱点になる。
インドは、限定的な戦争を志向する代わりにエスカレートさせるかもしれない。例えば、陸上戦に限らず空軍を投入すれば、インドは戦局を挽回できるかもしれない。
インドの空軍機は標高が低い地域の飛行場から離陸する。多くの燃料やミサイルを積めることになる。現代の戦闘機は同じ時間で複数の敵と戦えるから、燃料やミサイルを多く積めるインドの戦闘機は、中国に比べ数が劣っていても、数の劣勢を補って善戦する可能性がある。
また、インドは、核戦争の危機を演出して、米国やロシアの外交的な介入をしてくるよう、促すこともできる。
さらに、中国軍が有利に戦っている場所とは別の場所で攻撃に出て、うまくいけば、インドが失った領土と、インドが奪い取った領土を交換する取引を狙う可能性もある。
空軍の投入、核危機の雰囲気を利用すること、別の場所へ戦線を拡大し取引を狙う方法、これら3つの方法は、実はインドは過去に実際実施したことがある方法だ。
1999年に印パ間で起きたカルギル危機の際は、山岳戦で、インドは空軍の投入を決めた。その時、1998年に両国は核実験をしたばかりだったので、核戦争を危惧する米国は急ぎ仲介に乗り出した。
米国の介入は、インドへの攻撃を仕かけたパキスタン側に厳しく、インド側に立ったものになった。
また、別の事例であるが、1965年の印パ戦争時には、カシミールでの戦局が悪かったため、パンジャブ州で攻撃に出て、戦後、印パで奪い取った領土の交換を実施したこともある。
5.日本は備えなければならない
以上をまとめると中国は、ブータンなどの第三国に自らの影響力を認めさせるために、インドに軍事的な圧力をかける場合があり、それは場合によっては、限定的な軍事攻撃に至ることも考えられる。
その場合、インドは事態を収めようとするよりも、エスカレートさせて対応する可能性も考えられる。
では、このような事態に日本はどうするべきだろうか。
実は、印中国境の問題は日本の安全保障に深くかかわっている。中国がインドとの国境紛争に多くの資金や戦力を割けば、中国が日本に対して使う資金や戦力は少なくなる可能性があるからだ(例えば日本正面に配置していた戦闘機やミサイルの部隊を、インド正面に配置しなおすことなどが考えられる)。
中国は国防費全体の4分の1を印中国境方面に投じているものとみられている。そのため、日本がインドの国境防衛力強化に協力して、中国により多くの国防費をインド側で使うように仕向けることは、日本にとって有用となる。
その際にどう協力するのか。危機に至る前の平時の協力と、危機になってからの協力と2つの方法が両方必要だと考えられる。
危機が起きる前にインドへの協力としては、例えば、インドの国境防衛力を向上させるために、インド側が必要としている道路網、鉄道網、橋、トンネル、空港、ヘリパッドなどの建設が考えられる。
これは、民生用のプロジェクトとして実施可能なもので、実際、日本はインド北東部地域で道路建設に従事する権利を得た唯一の外国である。積極的に機会を利用すべきである。
また、防衛技術協力、防衛装備品の輸出も積極的に進めるべきである。すでに米国は第17軍団の装備を供給して協力しているが、日印間ではレーダー網の構築などで協力する余地があるだろう。
また国境地域を衛星を使って宇宙から監視する能力は、インドもかなり進んでいるので、日本とインド、米国との間で学び合う関係ができるはずだ。
一方、実際に危機が起きた場合においては、より即効性のある対応が必要となる。例えば3つのことが考えられる。
まず、インド支持の声明を出して立場を明確にする方法がある。米空母派遣が行われるようであれば(1962年の印中戦争のときは、インド支援のために米国は空母を派遣した)、それに合わせ、海上自衛隊のヘリ空母「いずも」「かが」のインド洋派遣など、目に見える支援を行う方法もある(実際、今回の危機の最中、「いずも」はインド洋で日米印共同演習を実施した)。
さらに、尖閣周辺に自衛隊を展開させることや、南シナ海で米国が行う「航行の自由作戦」へ自衛隊を参加させるなどして、中国軍を印中国境から東シナ海や南シナ海方面へ再展開させるよう仕向ける方法も考えられる。
インドが中国との「戦争」に負けて、中国対策で日本に協力しなくなると、日本の対中安全保障は大きな打撃を受ける。
逆に、インドが日本に感謝して日本との関係を強化する方向に進めば、日本にとって印中の危機はチャンスとなる。
最近シンガポールで講演したインドの外務次官は、日本とベトナムとの関係強化を打ち出した*2。日本は危機をチャンスに変えられるよう、平時、非常時両方について、インドへの支援を準備しておく必要がある。 JBpressより
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