画像は、凄惨な事件の現場となった会津美里町の小さな集落
事件は2012年7月26日の早朝、福島県会津美里町の小さな集落で起きた。50代の夫婦が自宅に押し入ってきた男に刃物でメッタ刺しにされて殺害され、現金やキャッシュカードを奪われるという痛ましい事件だった。翌日、現場近くの空き家の敷地に車を置き、妻と一緒に車上生活をしていた男が強盗殺人の容疑で逮捕されたが、それが高橋だった。
この事件が社会の注目を集めたのは翌年3月、福島地裁郡山支部で高橋の裁判員裁判が行われた時のことだ。
「助けて。うーうー。あんた人殺しになっちゃうよ」
公判では、被害者の女性が事件の際、119番通報した音声が再生されたが、それは断末魔の叫びのようだったという。裁判員たちはそれに加え、血の海に横たわっていたこの女性と夫の遺体の写真も見せられた。その写真も凄惨なものだったそうで、裁判員を務めた女性の1人はショックから急性ストレス障害に陥ったほどだった。
そんな事件だけに高橋という男はさぞや狂暴そうな男なのだろうと思いきや。
■高橋明彦に面会
2014年の夏、仙台拘置支所の面会室。初めて会った高橋は身長が160センチあるかないかの小柄な男だった。作業着のようなグレーの半袖シャツに短パンという姿だったが、手足は細く、力も弱そうだった。白い頭髪を短く刈り込み、口ひげとあごひげを伸ばした独特の風貌をしていたが、拍子抜けするほど威圧感のない男だった。
「上告はやめてしまうかと思ってるんだよね」
アクリル板越しに向かい合うと、高橋はそうつぶやいた。高橋は当時、1、2審共に死刑とされて最高裁に上告しており、上告をやめれば、死刑判決が確定する状況だったのだが。
「オレが生きて償いたいとか、被害者の方々の墓の前で手をついて謝りたいと言っても、自己満足でしかないと思ってね。もうひとつは、オレにも家族がいるんでね。オレが裁判を続けていたら、姉貴やその子供たちが苦しむと思うんだよね」
弁明の余地がない事件を起こした高橋だが、こうした話を聞く限り、根っからの悪人ではないように思えた。こんな男がなぜ、殺人犯となったのか。
■車上生活の中で妻に嘘を重ね
髙橋が車上生活をしていた空き家の敷地。空き家は事件後、取り壊された
高橋は元々、東京生まれの東京育ち。高校卒業後は長く警備員として働いており、「小さな警備会社を大きくするのが夢」だったという。だが、いくつかの警備会社を渡り歩く中、給料をもらえないことや、入社前に示された条件と実際の待遇が違っていたことなどがあり、次第に人間関係に疲れていった。そこで田舎暮らしへの憧れもあったことから、妻と一緒に会津若松市に移り住んだという。
ところが会津若松市では、仕事は見つからず、貯金もすぐに底をつく。家賃が払えずにアパートを出ざるをえなくなり、移住から8カ月で妻と一緒に車上生活をするまでに落ちぶれてしまった。そんな中、高橋は妻に「水道会社に就職できた」とその場しのぎの嘘をつき、さらに「就職できた水道会社は給料を払ってくれないが、別の水道会社に就職できた」と嘘の上塗りをしてしまう。その裏では、金を得るために外国為替オプション取引を繰り返すが、うまくいかず、どんどん自分を追い込んでいった。
その挙げ句、高橋は家で暮らすことを切望する妻に対し、こんな途方もない嘘をつく。
「7月26日までに勤務先から住宅購入資金として600万円を借りられることになったよ」
こうして7月26日までにまとまった金を用意せざるをえなくなった高橋はこの日午前5時過ぎ、被害者夫婦の家にペティナイフを持って侵入した。
■「オレにも男の意地があった」
以上が高橋が事件を起こした経緯だが、私は理解に苦しんだ。まとまった金が必要だとしても、強盗殺人などする必要はなかったのではないかと思えたためだ。
サラ金に金を借りることなどは考えなかったのですか。
高橋「サラ金はないよね。勤めているところがないんだから、貸してもらえないでしょう」
では、同じ犯罪をするにしても、振り込め詐欺などは考えなかった?
高橋「そういうことは考えなかったね。まあ、知識があれば、ああいうことをせずに済んだとは思うけど」
知識?
高橋「生活保護だよ。当時は生活保護をもらえるなんていう知識がなかったからね」
髙橋が事件を起こしたのは、くしくも複数の人気芸人が親族が生活保護を受給していたことでバッシングされていた時期だ。そんな折、生活保護を受給できることを知らずに、人を殺してしまった男がいたわけだ。
高橋「当時は冷静じゃなかった。もっと女房と話し合えば良かったと思うよ」と髙橋は振り返る。なぜ、妻と話し合えなかったのかと聞くと、「オレにも男の意地があったからね」とつぶやいた。その「男の意地」のために何の罪もない2人の生命が奪われてしまったのだ。
ちなみに髙橋は事件後、妻と離婚し、音沙汰が無い状態になっているとのことだった。
■「被害者のお母さんが生きているうちに」
髙橋が現在も収容されている仙台拘置支所
髙橋は2016年3月、最高裁に上告を棄却されて死刑が確定した。私が最後に髙橋と面会したのは上告棄却の2週間後のことだった。
高橋「上告棄却は、弁護士の先生からの電報で知ったけど、頭が真っ白になったよ。今もラジオは聴かないし、新聞も見ないし、何も考えられないんだよね」
髙橋はそれ以前、「死刑は怖くない」と言ったこともあったが、やはりいざ死刑が確定すると、精神的に不安定になったようだった。獄中では被害者の冥福を祈り、写経をするのを日課にしていたが、「今は頭がボーとして、写経もできない状態だよ」とのことだった。
やはり死刑はこわいですか。
高橋「そりゃ怖いよ。怖くなかったらおかしいでしょ。『ただ死んでいくだけ』というのはイヤだという思いもあるしね」
『ただ死んでいくだけ』とは、どういう意味?
高橋「なんて言ったらいいのかな。被害者の遺族の方が『ありがとう』と言ってくれるなら、オレはいくらでも首をくくりますよ。でも、オレが死んでも遺族の人たちはいつまでも苦しむでしょ。その反面、被害者の男性のお母さんはお年を召されているんで、『お母さんが生きているうちになんとかしないといけない』とも思うしね」
つまり、高橋は、被害者の男性の高齢の母親が生きているうちに「息子を殺害した犯人が死刑執行された」というニュースを届けなければいけないと考えているようだった。やはり高橋は決して人の気持ちがわからない人間ではないのだろうと改めて思った。
その後、高橋は確定死刑囚の処遇になり、面会や手紙のやりとりはできなくなった。最後に届いた手紙では、
〈何かとお気付かいいただいたり、色々とはげましていただいた事を感謝致します。本当に今迄有難うございました〉(原文ママ)
と書いていたが、とくに気遣いも励ましもした覚えがない私は戸惑った。だた、家族すら誰も面会に来ない状態だった高橋にとっては、取材とはいえ、人と話すだけで気がまぎれていたのかもしれない。
生活保護を受給できると知らずに人を殺め、自分も死刑囚になってしまった高橋明彦。私はこの不器用な殺人犯と会って以来、取材で知り合った服役中の犯罪者たちに出所後は生活保護を受給することを勧めるようにしている。 トカナより
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