北条時宗はモンゴル帝国の2度にわたる侵略から日本を救った英雄として世界でも有名な武士である。「日本が勝てたのは『神風』のおかげ」と、日本では控えめな評価だが、海外とりわけモンゴル人の彼に対する評価は意外にも高い。今回、「元寇」に対する日本と海外(モンゴル)の異なった見解について論じる。モンゴル軍が敗れた原因は、本当に「神風」だけだったのだろうか?
◆“Samurai”は本当に強かった!!「神風」が無くてもモンゴル軍に勝てていた!?
「あのとき『神風』が吹かなければ今の日本はなかっただろう」と、元寇をこのように見ている日本人は多い。しかし、モンゴルや海外の資料、モンゴルに精通する専門家の見解はこの限りではない。「神風」はあくまで「決定打」に過ぎず、それ以外にも苦戦を強いられる要素が多くあったと述べられている。
当時のモンゴル軍を苦しめたのは、島国である地の利とそれを利用した防衛戦術である。この事実は一応日本でも語られているのだが、やはり「神風」のイメージが依然として強い。しかし、敗れた側のモンゴルでは「日本軍は本当に強かった」と評価する人達も多いのである。モンゴル人歴史家のフフデフテルさんのブログには、「モンゴル軍が船に撤退した後、嵐が来た」と書かれている。
◆日本は難攻不落の島国!? モンゴル軍撃退は決して偶然ではなかった理由とは!?
「神風」で退却を余儀なくされるまで、モンゴル軍の日本上陸を阻んだ要素は以下の3つである。
「神風」で退却を余儀なくされるまで、モンゴル軍の日本上陸を阻んだ要素は以下の3つである。
・以前から日本では大国中国からの侵略に備えて、常に海岸での防衛策には関心があった。特に2度目の戦い(弘安の役)では、海岸沿いに設置された防壁(石塁)がモンゴル軍にとって上陸の大きな障害になった。
・当時の航海技術では、侵略がどうしても嵐の時期と重なってしまい、日本という島国自体が難攻不落の要塞であった。
・モンゴル軍のほとんどが朝鮮人や中国人の寄せ集めた部隊だったので、戦いのプロである武士の方が力だけで見ると圧倒的に上だった。
元寇の勝因(敗因)が「神風」なのか上の3つなのかは、それぞれの立場によって異なる。日本軍の強さを目の当たりにしたモンゴル側は、敗因を完全に「神風」とまで言い切れないのである。
◆消滅してから約140年。今でも世界中を魅了する“Samurai”精神の強さ!
モンゴル帝国が短期間で空前絶後の大帝国を築き上げられたのは、ほとんどの国が戦う前に降伏をしていたからである。モンゴル帝国は侵略する国に使者を送り、降伏か虐殺かの2択を迫っていたと言われている。しかし、日本は決して降伏することなく、あくまでもモンゴル帝国に対抗する姿勢を見せたのである。元寇を退けたのは「神風」ではなく、どんな屈強な敵にも立ち向かった武士道によるものではなかろうか。 NewSphereより
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