日本共産党が内に隠しているその姿とは? 長年「共産党」を追い続けた元公安警察が裏事情を暴露する。
2、安倍内閣は誰と戦っているのか
前編では、現在の日本共産党はその暴力性を隠してクリーンなイメージで政党として存在しているが、実はいまだ流血をともなう暴力革命を起こそうとしていることを伝えた。また、彼らの存在によって日本の精神性が壊されていく危険性を記した。しかし、共産主義の問題に悩まされているのは日本だけではない。西洋文明の象徴である米国こそ、“共産主義=一神教”の権化である。日本共産党の志位和夫が米国独立記念日のレセプションに顔を出す理由もここにある。
肩をもつわけではないが、そうした全体像が見えてくると、安倍首相の動きにも整合性が出てくる。つまり、安倍は一体誰と戦っているのかということである。恐らくそれは、岸元首相も同じであったろう。なぜならあまり知られていないが、「岸家こそ、多神教を主軸として日本と満州、朝鮮半島を一気通貫でつなぐ本命の一族」だからである。
■田布施システム
画像は、田布施町役場公式HPより引用
岸信介や佐藤栄作岸一族の出身は、歴代首相を生み出す地として有名な山口県の田布施町である。陰謀論的には「田布施システム」とも言われるが、そこに根拠がないわけではない。
岸一族は後醍醐天皇第十子の家系であり、国を代表する遺伝子は確かに田布施にあった。しかし、明治時代この既成の権力構造に共産勢力が紛れ込む。その張本人が、後に虎ノ門事件で摂政宮を暗殺しようとした極左テロリストの難波八助で、彼によって田布施に第二の権力系統が作られた。
一言で田布施といっても、岸一族と難波の二つの流れがあることを知らないと、共産党の真の姿は見えてこないのだ。
同じく田布施出身の共産党幹部・宮本顕治はスパイ査問事件で人を殺しているが、この人物も難波の系統である。そこに同じく山口県出身のソビエト連邦時代のスパイである野坂参三が合流してきたのだ。
画像は、難波大助(Wikipedia)より
彼らのやり方は決まって言葉のすり替えと、本性を隠すことである。「前編」で記したように、日本共産党では1951年に武装闘争路線が採用された。しかし1955年には自己批判により、その路線をひっくり返す。「権力が暴力で革命運動を抑圧しない限り、革命運動も暴力を行使しない」というわけである。その分派が中核や革マルとなった。ヘーゲルの弁証法よろしく彼らは必ず「二正面作戦」を用いるのだ。
ある意味、この共産主義者の二枚舌に、最悪の政治力があるといってもいい。実は日本でテロが起きない理由もそこにある。共産党の暴力的体質があらわになることを避けているのだ。
では現在彼らが何を考えているか? それは、暴力を出さないことで世間を「無神論」という名の一神教に持っていくことである。「科学」を前面に出すのも無神論へと向かうためだ。
哲学者のバートランド・ラッセルが指摘した通り、科学的にするということは、無神論国家にするということである。共産主義の下地づくりの肝はそこにあるのだ。
3、赤報隊という手段
画像は、赤報隊事件で殺害された記者の体内から摘出された散弾粒。Wikipediaより
読者のほとんどは、50年代の危うさを知らないであろう。その点、公安はしっかり教育されていたことを断言しよう。国防の最先端として、国を守るミッションとして、我々は共産主義者たちの狡猾さと恐ろしさを教育させられた。だが、実際には、明治以降百数十年の間、彼らの手口にまんまと翻弄されてきたのだ。
しかし、ほとんどの日本人はそうした事実を知らないうえ、教育も受けていない。ネットにもなかなか出てこない。だから知りようがない。したがって、いわば革命を言論によってサポートしている朝日新聞社が業界2位の販売部数を誇っているのである。旧ソ連の共産主義者リヒャルト・ゾルゲが主導する「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして朝日新聞社に潜り込んでいた尾崎秀実はその最たる例だ。今の朝日の社員はほとんど知らないかもしれないが、実態は、メディアをも平気で巻き込み、裏の意図を隠しながら国民の目を欺いている組織が裏にあるのだ。
読者は赤報隊事件をご存知だろうか。1987年から1990年にかけて、反日世論を育成してきた朝日新聞には厳罰を加えなければならないとして「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件である。この事件で朝日新聞の記者二名が死傷した。既に時効を迎え、犯人は未だ捕まっていない。
この事件でわかることは、朝日が売国会社であることを見抜き、攻撃した右翼がいるということである。今もどこかに身を潜めているかもしれない。
なぜなら、日本という国の存亡に関わる問題だからである。「赤心を持って国恩に報いる」人間がいてもおかしくない。
4、日本を守るということ
画像は、Thinkstockより
では安倍政権は正しいのか? それも違う。アベノミクスは失敗に終わり、国民は安倍がもたらした多大な負債によって、犠牲を払わなければならなくなるだろう。資本主義も一神教も世界で通用しなくなってきている今、我々がやらなければならないのは「資本主義を超えるシステム」を構築することではないだろうか?
では、どのようにして資本主義を超えていくのか。その手段は「主義」にはない。何々主義という一神教の世界にその答えはないのである。特定の主義は偏りを生み、偏りは感情を生む。感情が張り付いた状態ではまともな“科学”を生まないのだ。もう読者は、共産主義の大いなる矛盾に気づかれたはずである。つまり、自らが科学を標榜する立場でありながら、科学的な態度に最も必要な客観視が欠けているということである。だが、彼らは巧妙に「暴力」を「科学」という言葉をすり替えて「科学」前面に出してくる。こうして、戦前から戦後の現代まで、しぶとく生き延びてきのだ。
冒頭でこんなことを話した。
「果たして、数々の国難を乗り越えてきた日本人の原動力はどこにあったのか。何が日本を経済大国にし、何が日本民族を守ってきたのだろうか」
その答えは、実は多神教の中で文化を生み出してきた日本人の科学的な態度にある。真に科学的であるとは客観性を意味し、再現性があり、万人に認められるものをいう。日本人は西洋の真似をする必要はないのだ。もっと自らの心を信じて、本当の意味における「社会科学」を探求するべきなのである。日本人が宿す客観的科学性の中にこそ、22世紀を切り開く元が隠されているかもしれないのだから。 トカナより
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