最近、何のために生きるのかという事を考えることが多くなった。生まれてくるのは自分の意思でも何でもなく、気がつけば自分というものがこの世にいる。
生きると言うことは、死ぬこととイコールでは、ないかと思う。若い時はその様なことは考えた事もなく、ただ、その日が過ぎるのが自然であった。
この年になって何故生きているのだろうと、ふと思うことが多くなったのは年のせいだろうか。人生は、何を目的に生きているのだろうか。
出世、偉いさんになる、部下を持ち使う、金持、いい車に乗る、贅沢な生活、贅沢な食事、贅沢な衣服、いい酒を飲む、いい仕事(楽な仕事)、給料が高い、病気しない、癌にならない、綺麗な人と結婚したい、SEXをしたい、結婚をし幸せな家庭を築きたい、人が羨むに人間になる、考えればきりがないets、人間の欲は限りがない。
特にお金、名誉欲、出世欲、これは本能ではなく、近代になってから出てきたもので、人間の本能ではないだけに制限が効かない。食欲や性欲は一度満足すればそれで済むが、其れは人間の本能だからである。
人間は生まれ、死ぬために生きていることを考えれば、上記のような欲はその時の満足ではないだろうかと思う。いつか人は必ず死ぬこれは100%であり、これから逃れる人はいない。
普通に生きることが難しい時代になったと思う、非正規社員が当たり前の時代になり、仕事をしてもまともに生活も出来ない、結婚も出来ない、こんな社会でいいのかと思う。
少子化、高齢化社会、日本の社会から若者が少なくなり、その若者に高齢者の社会福祉や年金の負担が重くのしかかる。
私もいつかは死ぬ、その命日がいつなのかは分からないから、生きていけるとも言える。命日が分かれば気が狂うのではないかと思う。分からないから生きていけるという面もある。が、いつかは死ぬことだけは避けて通ることが出来ない定めである。
両親も死に、兄弟も死に、妻の両親も死んだ、友達も若くして死に、知人も死んだ、こうして、周りの人が次々と死んでいくのを何度見たことだろうか。
昨年の日本の死者は126万人という。生まれてくる人が100万人差し引き26万人の人口が減っている。2~2.5万人の人間が自殺者し自らの命を自ら落としている。
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2015年1月11日日曜日
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