ことしの3月、日本学術会議が「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表した。
研究者は、国家の安全保障を軍事的手段で実現するための研究(いわゆる軍事研究)に関与することに、慎重であるべきだ、という趣旨の声明である。
日本学術会議はかつて、敗戦から5年後の1950年に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない」と決意する声明を出していた。
1967年にも、ベトナムで戦争する米軍から日本の研究者が研究費を受け取っていたことが明るみに出たのを機に、「軍事目的のための科学研究を行わない」と声明を出していた。
それから50年経った今年、あらためて、それらの声明を継承するとしたのである。
日本学術会議とは、日本の学術研究者(人文・社会科学も含む)約84万人を内外に代表する機関である。日本学術会議法に基づいて設立され、大学などの研究者が、会員(210人)もしくは連携会員(約2000人)として、本業の傍ら職務にあたっている。
「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図る」ことが重要な活動の一つであり、政府に政策提言したり(たとえば、ヒト受精卵のゲノム編集を今ただちに臨床応用することには問題が多い、したがって法規制も検討すべきだ、など)、「科学者の行動規範」をまとめ自己規律の向上を図ったりしている。ただし、いずれも強制力があるわけではない。
その日本学術会議が、なぜ今、軍事研究に慎重であれと、あらためて声明を出したのか。
直接のきっかけは、防衛装備庁(防衛省の外局で、自衛隊の兵器や装備品の研究開発・調達・整備などを一元的に担う)が2015年度から開始した研究費の提供制度「安全保障技術研究推進制度」に、対応を迫られたことである。
大学の研究者のなかに、防衛装備庁からその研究費を受け取る人たちが出てきた。研究費の出所が軍事関係の組織であれば、その研究は軍事研究だ、と考えられてきたから、1950年、67年の声明に照らし、これは看過できない事態であった。
学術会議の新しい声明は、その安全保障技術研究推進制度には「問題が多い」とした。その制度に応募すべきでない、とまで強くは指摘していない。しかしそれでも、敢えて応募するとなれば、それなりの説明責任を果たす必要がある。
今回の声明をうけ少なからぬ大学が、所属研究者がその制度に応募することを(少なくとも当面は)認めない、などの対応をとるようになった。学術会議の声明が、それなりの抑制効果をもったのである。
「学問の自由を侵しかねない」
安全保障技術研究推進制度には「問題が多い」と学術会議が判断したのは、なぜか。
憲法23条で保障された「学問の自由」が侵される可能性が高い、というのが理由である。より具体的には「研究の自主性・自律性、研究成果の公開性」が制約される畏れが大きいと言う。
学術の研究は、政治権力などによって制約されたり政府に動員されたりすることなく、研究者の創意にもとづいて自由に行なうことができるべきである。そうであってこそ学術は発展する。だから「研究の自主性・自律性」が担保されねばならない。
ところが今回の推進制度では、研究テーマが防衛装備庁により予め決められている。しかも研究助成の予算規模が、初年度は3億円だったのに翌年度は6億円、そして今年度には110億円と急増した。
その一方で、大学の研究者が自由に使える大学の研究予算はみるみる減少している。この傾向が続けば、研究資金をエサに軍事研究に動員されることになりかねない、というのである。
また学術の発展には、研究成果を自由に発表することができ、他国の研究者とも自由に交流できる環境が欠かせない。
ところが防衛装備庁が提供する研究資金は「防衛用途への応用という出口を目指して」運用される。そうである以上、いくら基礎研究だとはいっても、自由な発表・交流に対し安全保障(軍事機密)の観点から制約を課される畏れが強い。学術会議はこう判断した。
こうした危惧の背景には、「自由でオープンな研究の場」という大学の理念が「安全保障の観点からの規制」と衝突することが増えている、という現実がある。
「軍事研究が当たり前」と言われるアメリカでも、大学内でやたらと軍事研究が行なわれているわけではない。
たとえばシカゴ大学では、「完全な研究の自由と無条件での情報公開」の原則に沿わない研究資金の受け入れを認めず、研究設備の使用も認めない、との明確な方針を定めている。
その一方で、大学関係者が、近くにあるアルゴンヌ国立研究所(エネルギー省)で機密研究に従事することは認めている。
大学と研究所との間にシャトルバスが運行されるほど密接な協力関係にあるのだが、このように棲み分けを徹底することにより、大学を「自由でオープンな研究の場」にしようと努めているのだ。
アカデミズムのこうした姿勢は、米軍の「オフセット戦略」を支えるものでもある。ソ連など敵国の軍の量的優位を、米軍の質的優位(技術力を駆使したハイテク兵器)で相殺(offset)するという戦略で、1950年代のアイゼンハワー大統領の頃から一貫して採用してきた。
1970年代末から進められた、コンピュータのネットワーク化や、全地球測位システム(GPS)を利用した精密攻撃能力、ステルス(レーダーに捕捉されにくくする)技術の開発などもその一例である。これらの軍事技術は1991年の湾岸戦争で威力を存分に発揮し、オフセット戦略の有効性が示された。
このオフセット戦略をこれからも成功させるには、科学技術の研究で世界の先頭を走りつづけなければならない。そのためには、自由でオープンな研究環境が欠かせない。
大学であれば、世界に広く門戸を開放して海外から優秀な研究者や学生を集め、自由な研究交流にも機会も提供する。こうしてこそ、先端的な科学技術の研究成果が米国で生まれ、国の競争力も高まる。
国の安全保障や繁栄は、秘密でガードを固めるのでなく、科学技術の自由なコミュニケーションを維持することで実現するのが望ましい米国のアカデミズムは、こう考える。
論文発表が差し止められたことも
しかし、「学問の自由」が安全保障の観点から制限されるべきこともある。たとえば「研究成果を自由に公開する」と、それが敵対国に軍事利用される可能性がある(あるいはテロリストに悪用される可能性がある)、といった場合である。
2011年に、インフルエンザウイルスに関する研究論文の発表が、米厚生省の勧告により差し止められる、という出来事があった。
発表予定の論文中に、H5N1インフルエンザウイルスを哺乳類どうしの間で感染できるよう改変するという内容を含む実験のことが、実験の手順も含めて記述されていた。ならずもの国家やテロリストなどに悪用されれば、壊滅的被害を起こしかねないと考えられたのである。
しかし論文の著者たちは反論した。悪用のリスクを低減させようと情報の一部を隠しても、まともな研究者が情報を得にくくなるだけで、悪用の意図がある者なら悪用できてしまうだろう。
むしろ広く公開することで、他分野からも含め多くの研究者をインフルエンザ研究に参入させ、迅速に研究を発展させたほうがよい。そうしてこそ、ヒトからヒトへと感染するような変異が自然界で起きて世界的大流行が発生する、といった事態を防ぐことができると主張した。
結局、論文は一部を改定することで両者が折り合い、翌年に公表された。
この例が示すように、研究の内容によっては「学問の自由」が安全保障と、強い緊張関係のもとに置かれることがある。悪用や軍事利用の意図と無縁の研究であっても、ある社会状況のもとでは悪用や軍事利用に結びつくことがありうるからである。
学術の研究成果は、まさに「デュアルユース」(用途が両義的、民生目的にも軍事目的にも利用可能)なのである。
日本の大学には、安全保障との間で緊張関係をもちつつも、大学を自由でオープンな研究の場として守りつづけるという仕組み。たとえば米国のような棲み分けの仕組みが、十分に整っていない。
そうしたなかで、いま大学は「国際化」を急ピッチで進めている。
文部科学省は2008年度から、日本を世界により開かれた国とする「グローバル戦略」の一環として「留学生30万人計画」を進めている。2020年を目途に30万人の留学生を受け入れるというもので、昨年5月の段階で約24万人まで達している。
また2014年度から「スーパーグローバル大学創成支援事業」を開始し、大学が外国人専任教員の割合を増やしたり世界トップレベルの大学との交流・連携に取り組むことを支援している。
こうした「国際化」に伴い、大学における「安全保障輸出管理」の重要性が急速に高まってきた。
工業製品や技術が、輸出先で武器などに転用されるのを防ぐため、わが国では「外国為替及び外国貿易法」(外為法)に基づいて貿易管理がなされている。安全保障の観点からなされるこうした輸出管理は、「もの」だけでなく、形のない「知識」や「ノウハウ」に対しても及ぶ。
知識やノウハウを身につけた人物が出国すれば、「もの」の輸出と同じことになりかねないからである。したがって大学の研究者は、教育者でもあるだけに、対応の難しい問題に直面することになる。
また、6ヵ月を1日でも過ぎれば問題がなくなるのか、受け入れた研究者は悩むこともあるだろう。
さらに政府は、留学生や研修生へのこの規制期間を「滞在5年未満」に延長することを検討しているとも伝えられる。これはこれでまた、教育や研究にとって障害となりかねない。
大学がこうした状況にあるところに、「防衛用途への応用という出口を目指して」と謳う「安全保障技術研究推進制度」が登場したのだから、大学関係者の間に警戒感が強く働いたのは無理もない。 現代ビジネスより
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