2018年4月29日日曜日

南より本来、変化に柔軟? 北朝鮮は経済発展できるのか

1945(昭和20)年、日本の敗戦で日本統治時代が終わった当時の朝鮮半島は、南より北の方が経済的には豊かだったという説がある。
 
日本統治下では、平野が少なく鉱物資源の豊かな北では工業開発、南では気候・風土から農業開発が主に進められた。北では工業化で多くの企業や産業労働者が生まれ、農民が多かった南より経済的に優位だったというのだ。

あれから70年余、南北の経済格差は大逆転し、今や45対1である(韓国統計庁)。格差の原因は日本撤収後、米ソ支配下で南北分断されたこの地で南が資本主義を選択し、北が共産主義になったためである。

戦後世界はその後、ソ連共産圏の崩壊で共産主義に対する資本主義の勝利という「歴史の終焉(しゅうえん)」を迎えたように、朝鮮半島でも資本主義が勝利したことになるが、南北格差には別の要素も加わった。その一つが「日本」である。

解放・分断後の南は反日ながら日本統治時代の使える“遺産”は活用したが、北はその否定・追放に熱を上げた。南の韓国は1965年、日本との国交正常化に踏み切り、日本からの支援・協力を経済発展につなげたのに対し北朝鮮は日本を拒否し続けた。

これは南北の指導者の力量の差でもあった。北の金日成(キム・イルソン)は最後は人民を飢餓に追いやるなど国家経営に失敗したが、南の朴正煕(パク・チョンヒ)は世界有数の経済成長で国家・国民を豊かにした。金日成は抗日活動家出身という“過去の栄光”に安住し、朴正煕は元日本軍将校という“過去の屈辱”をバネに未来志向で成功したのだ。

北では今、3代目の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が風貌や立ち居振る舞い、ファッション、物言いまで祖父・金日成の“ソックリさん”になって君臨しているが、今回、対話路線に乗り出した“変化”に関しては、これまで並進路線で目標にしてきた「核武力建設」は完成したので今後は残る「経済建設」だという(党中央委員会総会)。

中国のように国を外に開き、国際社会との関係拡大を経済発展につなげ、人民生活を豊かにしたいようだ。

韓国は1960年代の日本との国交正常化で対外信用度が一気に高まり経済発展につながったが、北朝鮮は約半世紀遅れでやっとそのあたりの発想が出てきたようだ。

ただ、国際社会との関係改善・拡大を進めたい金正恩氏に対し国際社会は「核放棄」を求めている。彼のホンネは「核保有はそのままに経済発展させてください」と思われるがそれは虫がよすぎる。だから結局は「核か経済か」の選択なのだが、そこは指導者の決断にかかっている。

工業化という日本統治時代の“遺産”があった北朝鮮は、指導者とその決断のよろしきがあったなら韓国より発展したかもしれないのだ。

この地の歴史では、工業化もそうだがキリスト教からマルクス主義まで、新しいモノは南ではなくまず北に入った。基層文化として「定着農耕文化」系の南より移動性の高い「狩猟・遊牧文化」系という北の方が本来、変化に柔軟だという説もある。そこをうまく生かせるかどうかも指導者しだいである。産経ニュースより

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