バイクメーカーとして始まった本田技研工業(ホンダ)は、のちに自動車業界に参入し、最近では航空機事業も好調だ。2015年に生産を始めたホンダジェットは、18年上半期に17機というデリバリー数で、小型ジェット機カテゴリーにおいて世界記録を達成したほどだ。中国メディアの今日頭条は28日、この快挙を紹介し、約100年間もホンダジェットをあきらめなかったと称賛する記事を掲載した。
約100年間というのは、創業者である本田宗一郎氏が飛行機づくりという「夢」を持ってから、米連邦航空局(FAA)からの「型式証明」取得までにかかった期間を指している。記事は、日本の技術者たちの執念とさえ言えるあきらめない精神に感心している。
記事はまず、ゼロから航空機を作るのは、ゼロから自動車を作るのとは全く別次元の難しさがあると指摘。そのうえ他社の真似ではなく自分たちにしか作れないような機体を作りたいという願いが、壁をより高くしたと紹介。多くの航空メーカーと違って機体とエンジンの両方を開発することにしたため難易度は高くなり、創業者の死去、機密プロジェクトのため工場内での作業だったこと、バブル崩壊による資金繰りの悪化、米国の研究拠点からの撤退などで、何度も危機に面したと伝えた。
しかし、東京大学工学部航空学科を卒業した、専門知識と意欲を持つ藤野氏を中心に、1997年にホンダジェットのプロジェクトが正式にスタートしたと紹介。ホンダジェットの最大の特徴は、エンジンを主翼上面に配置している点にある。当時、エンジンは機体後部につけるのが当たり前で前例がなく、ボーイング社からは嘲笑されたものの、この画期的な設計で客室と荷物室の容量を確保し、高速飛行時の空気抵抗も大幅に低減することができたという。
そればかりか、イタリアの靴メーカー・フェラガモのハイヒールにインスピレーションを受けて設計したというデザインも美しいと称賛。ホンダジェットは、空間の広さや独立したトイレなどを考えると、「ブラックテクノロジー」だけでなく、コストパフォーマンスでもけた違いのレベルであると絶賛している。
記事は最後に、ホンダジェットは中国でも受注を始めたと紹介。富裕層の多い中国は今後が期待できる市場と言えるだろう。また、企業というものは先を見て進むべきで、個人としても歩みを止めないという藤野氏の言葉も紹介している。老舗企業が少ないと言われている中国は、こうした日本企業のあきらめない精神から学ぶことは多いだろう。
サーチナより
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2018年11月30日金曜日
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