■日本メーカーで惟一開発
「航空エンジンを手掛けてきた者の大きな節目」。IHIで30年以上、防衛用エンジンの開発に携わってきた池山正隆執行役員は感慨深げだ。
防衛装備庁の発注を受けてIHIが約5年かけて試作・研究してきたXF9エンジンは今、米軍の横田基地に隣接する瑞穂工場で厳重な管理のもと、運用を想定した試験を続けている。目標は防衛省が2030年をメドに導入する次期主力戦闘機(FX)への採用だ。
日本主導によるFXの開発・製造は防衛・航空技術者の悲願だが、実績のある米国製の戦闘機を導入すべきだとの声も根強い。日本の主力戦闘機は米プラット・アンド・ホイットニー(P&W)など欧米メーカーのエンジンを採用してきた。悲願の実現には戦闘機の核となるエンジンで欧米製と同等以上の技術力を示すことが必須だ。
戦闘機用エンジンの開発ではP&Wや米ゼネラル・エレクトリック(GE)、英ロールス・ロイスが先頭を走る。日本では1950年代に三菱重工業やSUBARUが撤退。唯一、IHIが続けている。
XF9の推力はエンジンの噴気ガスに燃料を噴射する「アフターバーナー」使用時で15トン。夏村匡防衛システム事業部長によると、「同等の出力を出せたのは米国とロシアだけ」で、欧州の最新エンジンをもしのぐ。FXの開発に名乗りを上げている米ロッキード・マーチンもFX9エンジンの採用に言及している。ついに第2の「零戦」が実現する。そんな期待が高まっている。
戦闘機用のエンジンは機内に兵装用の空間を確保するためにコンパクトかつ大出力が条件で、内部の高圧タービンの入り口部分でのガスの温度を理論上の最高値である1800度に高める。高温高圧でも変形・変質しない部品を造るには素材から開発しなければならない。
自社で開発してきたIHIは主に3つの先端技術を投入した。
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1つは単結晶超合金。1800度の燃焼ガスの圧力を受け止め、回転力に替えるタービンのブレード(羽根)などに使っている。ニッケルに複数の微量添加物を加えた金属の分子を遠心力が掛かる方向で結晶にし、耐熱・耐圧強度を高める。ブレードは内部に冷却のための通風孔をくりぬいた複雑な構造。金属を結晶化しつつ1枚ずつ精密に鋳造する技術は世界でもIHIだけだという。
2つ目はセラミックス複合材。高い耐熱強度を持つ炭化ケイ素繊維は宇部興産や日本カーボンが開発で先行する。IHIはこの繊維を3次元に織って骨組みにする。割れやすさを克服でき、初めてタービン付近の部品に採用した。
3つ目がポリマーマトリックス複合材だ。強度を保ちつつ軽くでき、民間機用エンジンやH2ロケットの開発で培った。民間用ではエンジンを覆うファンケースに使っている。音速を超える戦闘機では外気でファンの温度が格段に高くなるため、ガスの入り口付近の部品に使っている。
最先端のスーパーコンピューターも後押しした。航空宇宙技術研究所(現JAXA)のスパコンを連日借り、エンジン内の複雑な空気の流れを計算。GEなどを上回る精度の予測を連発した。
ジェットエンジンの技術は素材や設計力で世界トップ級に並びつつある。だが何百種類もの戦闘機を開発し、膨大なデータを持つ欧米勢に対し、日本には戦闘機の実運用の経験がない。実用に近づけるには試験と改善の繰り返しが必要だ。
次期戦闘機の選定が佳境を迎えるなかで技術力を示したエンジンを納入したことで「日本の交渉カードが増えた」との見方も出る。日本の技術力を結集したエンジンの音が空に響く日は近いかもしれない。
■戦後に開発禁止、欧米との差広がる
IHIは先行する欧米勢の特許に触れるのを避けながら素材の技術を磨いてきた。「血へどを吐きながらやってきた。知恵と努力の結晶というしかない」と池山氏。すべての原点といえる日本初のジェットエンジン「ネ20」はJR青梅線昭島駅前のIHIの資料館に日本で唯一現存する。
終戦間際の1945年8月、日本初のジェット戦闘機「橘花(きっか)」に搭載し、初飛行に成功した。後にIHIの航空エンジン事業部長になる海軍の永野治中佐らがドイツの断片的な情報から8カ月で組み立てた。推力は0.47トン、燃焼温度は700度とXF9とは比べようもないが、ドイツ、英国に続いて実用に耐えるジェットエンジンを完成させた。
GHQ(連合国軍総司令部)が航空機関連の研究開発を日本に禁じ、資料は破棄された。この措置は52年まで7年間続き、技術の格差は埋めがたいほどに広がった。
「20年の差があるという人もいた」。池山氏は入社間もない80年代前半の状況をこう話す。IHIは米国製のF15戦闘機用エンジンをライセンス生産しながら、国産のT4練習機用のF3エンジンを開発していた。「タービンを見て、なぜこの向きに冷却用の穴があるのか。分からないことばかりだった」という。
米国はライセンス供与の枠を広げたが、同じ物をつくって性能を確かめる「逆解析」は厳禁。「問題の解決策は教えてもらえても、その理由は教えてくれなかった」
80年代後半の次期戦闘機(現在のF2)の選定で風向きが変わる。エンジンの開発力の決定的な差から日本は米国主導の共同開発を選ばざるを得なくなった。「エンジンの技術力を磨かねばならないとの意識が強まり、政府も毎年数十億円の研究予算をつけるようになった」。国産のステルス戦闘機の実験機「X2」に搭載した「XF5」や国産のP1哨戒機用エンジン「F7」が生まれ、XF9につながった。日本経済新聞より
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