2011年5月25日水曜日

東日本大震災報告-2(提供今井氏)

   東日本大震災被災地訪問 報告者:小林彰 2011・5・6

 福祉保育労大阪地本の今井修氏から、大阪と新潟は地震を経験しており、宮城支部の専従者を応援しようと要請され、急遽5月3日から5日の3日間行ってきた。
 5月3日朝、新津を出発。磐越自動車道を福島に向かって走らせていくと、東北自動車道50㎞渋滞の表示。郡山Jctをそのまま通過して郡山東I.Cで降りる。国道349号線を北上、福島市の横を通り抜け、宮城県の角田市を通過して岩沼市から国道4号線に入る。ここから仙台市まで40㎞、観光とボランティアの車で渋滞し、のろのろ運転で組合事務所に向かった。

                                   ① 足の踏み場がないのは地震で?

↓ボランティアのテント村                 夕方4時福祉保育労宮城支部の事務所に到着、組合専従から話を聞く。事務所は太白区八木山の障害者入所施設 「第二福寿苑」 の空いている宿舎を借りている。地震による被害はなかったが、足の踏み場もない散らかりようであった。組合専従は2年前に入職、どこから手を付けてよいか分からずそのままにしているそうである。
 専従は、車を運転中経験のない異常を感じ、周りの動きで地震だ、と分かった。自宅に帰ったが床一面に家具や物が散乱していた。
 ライフラインが全滅し、携帯電話も充電切れ、組合員と連絡が取れない状況が1週間続いた。被災者に今何が必要か考え、買えるだけ買って分会を訪問した。全国からの声や物資の支援のおかげで頑張り続けることができた、と何度も言っていた。 

② 宮城県社会福祉協議会

 その後組合事務所を出て、県庁裏の自治会館のなかにある県社協のボランティアセンターを訪問した。ボランティアの受入体制、福祉施設の被害状況や、ボランティアの基本は7泊8日で受け入れていることなど聞いた。

③ ホテルは空きなし

 寝袋はもってきたが、ホテルに泊まることにした。しかし仙台市内はどこも満室、組合事務所も考えたが寝る場所がない、しかたなく50㎞北上した古川市に移動。ここもホテル・旅館も満室、古川駅前の交番で宿泊客が少なそうな旅館を探してもらい、最後の5軒目に空いている部屋があり予約する。探してくれた二人の警官も被災地に応援に行ったそうで、テレビ画面とは違って現地は悲惨な状況になっていることを聞かされた。お礼を言って交番を出たが既に9時30分を過ぎていた。

④ 異様な匂い

 5月4日古川市を出発、国道108号線を東に走り、石巻市に向かう。市内に入っても変化は感じなかったがやたら自衛隊の車とすれ違った。市内の状況や施設の場所など分からないことから最初に市役所に行くことにした。
 その市役所は地震後4日間連絡が取れない状況で、また冠水してボートでしか行けず、水が引いたのは2週間後であった。
 市役所の駐車場は満車で、近くの銀行の駐車場に止めた。車から降りるとどぶくさい異様な匂いにあわててマスクをした。駅前周辺の建物はあまり壊れていないが、壁がはがれ落ちて車が潰れていたりしていた。ここはまだよい方、と後で気がつく。

⑤ 石巻中心地の地図ゲット

 市役所の守衛さんに市社協ボランティアセンターの場所を聞いたら市内の地図を広げ教えてくれた。地図もらえないかと聞いたら2階に案内所があるからそこでもらえるかも知れないと聞き、市役所の中に入っていった。1階は被災証明を発行しており、たくさんの住民が列をつくっていた。2階には安否確認や死亡者名が張り出されていた。案内所はボランティアが運営しており、地図は枚数がないのでコピーしてと言われた。1枚50円、1枚目コピーしたらそのボランティアが近づいて来て、遠くからボランティアで来てもらって申し訳ないのでその地図あげます、ともらうことができた。

⑥ ブレンド苦めが美味しい

 駅の周辺を歩いてみたが人がやたら多く、情報を収集しているのか、と感じた。しかしにおいはきつい。駅前に喫茶店が営業しており、被災地支援と言ってコーヒーを注文したが、とても美味しかった。
 駅前で2つのボランティア団体が炊き出しをしており、ライフラインが復旧していないなかで1階は使えず2階で生活している避難所に入っていない住民が多く列をつくっていた。別に宣伝しなくても口コミやメールで知って集まる。

⑦ 物資は地元で購入、求む募金

 全労連の共同センターを訪問した。2階建ての建物は共産党の事務所で2階が共同センターになって、宮城県労連の人が常駐している。この建物も1m冠水した。
 ボランティアが、たくさん並んだ段ボール箱に野菜など仕分けていた。これは車の流出など移動手段がない買い物難民、自宅難民になっている地域に配達される。この物資は被災地支援のため地域で買うことを基本にしており、そのため全国からの募金が必要。
 ボランティアはセンターを9時出発16時帰着が基本で、炊き出しや生活必需品の配達だけでなく、畳を上げて床下の泥を片付けることも住民から要望が強く取り組んでいる。1軒やると隣近所から申込みがあって広がり、大型連休明けからボランティアが急に少なくなることから、その対応に苦慮している。

⑧ 石巻市社会福祉協議会

 石巻市社協ボランティアセンターは旧北上川を渡った専修大学の構内に構えていた。1年ほど前から大学と市が災害のときの連携を話し合って近々協定を結ぶ段階まできていて、この大震災が起きた。青写真ができていたからすぐセンターとして利用できた、と責任者が言っていた。
 運動場はボランティアのテント村になっていて、たくさんのテントと簡易トイレなどが並んでいた。名古屋から来たという若者は、23日間瓦礫の後片付けなどに取り組み明日帰ると話していたが、疲れた表情であった。
 ボランティアの主な仕事は、住民の要望による家屋の家具・畳などの外だしで、センターでは本人と連絡をとり、本人立会で掃除をするため手間がかかり、毎日翌日の体制づくりをしている。

⑨ わらしこ保育園

 鎧郷保育園の廣井園長から、ダンプ園長で有名な 「わらしこ保育園」 に旧黒埼町の保育士たちが今募金活動をしているから寄ってみては、と言われて行ってみた。
 住所は市社協から聞いたのでもらった地図で調べ、路地にはいると瓦礫が道ばたにたくさん積まれ、やっと通れる状況。いくら探しても見つからず、後片付けしていた主婦に教えてもらい、分からないはずであった、普通の民家で看板もない。
 園には誰もおらず後片付けは終わっているようであった。園庭は二方がふたのついた排水路で囲まれ、私たちもその排水路からたどり着いた。入口らしき所に行ってみると、さっき探すために通った道路であった。 

 ⑩ 日和山

 わらしこ保育園を後にして、街の中心地に入っていくと景色ががらっと変わった。停電から信号機は消えて警察官による手信号。家は壊れていないが中は散乱状態で壊れた車が入ったままの家もある。車が走るとほこりがすごく、もう少しゆっくり走って、と思った。
 右手に日和山が見えてくると、景色は一変した。ほとんど家が壊れ、瓦礫が敷き詰められた状態で、視線を遮る物はなかった。日和山の麓にある門脇小学校は4日間燃え続け、周りも焼け跡になっていた。阪神大震災の長田地域と全く同じ光景、と今井氏がつぶやいた。火災は県道を境に海側に広がることはなかったが、すべて失った。
 やっと見つけた日和山への道、入っていくと日がよく当たる閑静な住宅街である。庭の手入れをしていたり、布団を干したりして、のどかな休日風景であった。しかし住宅が切れたところから石巻港をみると瓦礫の平原であり、公園の駐車場は撤去した車が積まれ、公園には瓦礫の山が3つ高く積まれていた。

⑪ JDF

 仙台の障害者施設第二福寿苑の中にある組合事務所に戻り、5月1日から同じ施設内に引っ越してきた日本障害フォーラム (JDF)「みやぎ支援センター」 を訪問した。
 ここでは全国からのボランティアが集まり、地域や避難所を回って安否確認やニーズ調査をしている。地域に住む障害者を掴んでいるのは民生委員であり、行政との連携をどうとるかが課題になっている。仙台市の隣、名取市では福祉課長が障害者に理解があり、JDFとして現在7班入って活動している。
 ボランティアは、1班4~5名、1週間交替で、6時起床、7時~8時にミーティング、8時30分出発、17時前後に帰って報告書づくり、19時30分からミーティングというスケジュールで、事務局はさらに20時30分から明日の計画を準備している。頭が下がった。

⑫ 東北自動車道大渋滞

 JDFの訪問を終了し、仙台市内の銭湯に入ったが、ボランティアで混雑していた。古川市の旅館に戻り、明日5日岩手県大船渡市のボランティアセンターに行くかどうか検討したが、今井氏の夕方には新潟に帰りたいとの要望と、高速道路の大渋滞が予想されることから、下道を山形県を通って帰ることにした。途中の北上川と桜と鯉のぼりが新緑に映え、すがすがしい空気を感じることができた。

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