2011年7月1日金曜日

2012年~2013年にかけて太陽活動が活発化

太陽活動が地球の自然現象や人間の行動に影響を及ぼすということは、かねてから言われてきていることである。その太陽の動きが1昨年から昨年にかけて、極端に静かになり、黒点などもまったく見られないような状況がしばらく続いたことは、読者もご承知のことと思う。


どうしたのかと思っていたところ、突然昨年の暮れごろから活動が活発化し始め、天文学に興味を持っている人たちを驚かせるところとなった。今年に入ってからも活動の活発化はとどまらず、2月14日には、4年ぶりとなる大型太陽フレア現象が確認された。そのことはBBCや2/20付けの英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)でも報じられたので、ご覧になられた方もいるかもしれない。
http://www.bbc.co.uk/news/science-environment-12485104 

そのFT記事には、「太陽活動のピークは2012~2013年で、その際には超大型の太陽嵐(太陽フレアの爆発)が起こり、パソコンなど電子機器に壊滅的な打撃が生じ、最悪2兆ドルに及ぶ被害が生じるかもしれない」とあり、「太陽は深い眠りから目覚めて、次の数年ではるかに高いレベルの太陽活動に向かう」という NASAの科学者のコメントが紹介されていた。

ちなみに前回、大規模な 太陽嵐が発生したのは1859年のこと。この時はもちろん電子機器などなかったが、唯一のハイテク機器である電信が使えなくなり、電線から火花が飛び散って火事になったといわれている。また、この時はカリブ海やハワイでオーロラが観測されたという記録も残っている。
http://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Solar_storm_of_1859 

ということは、これから2013年にかけて、私たち日本でもオーロラが見られる可能性があるということにもなるが、そうした楽しみもある一方、これから先、私たちは相当な覚悟が必要となってくる面も忘れてはならないようである。

というのは、前回、大規模な太陽嵐が起きた1859年前後は記録的な「天変地異」と「社会騒乱」が頻発した大変革期であったからである。それが具体的にいかなるものであったかについては、私の読者が送ってくれたメールに詳しく書かれているので、そのまま転写させて頂くことにする。

具体的にみてみましょう。幕末の1854年はペリーが来航した年でもありますが、「安政東海地震」と「安政南海地震」、そして「豊予海峡地震」というM7クラスの大地震がほぼ同時に起きています。
このときは、大阪で津波が起きて多数の死者が出ました。そして、その翌1855年は安政江戸地震です。 しかも安政地震以降、江戸の町には繰り返し災害が襲来します。ちくま新書の「安政江戸地震」(野口武彦著)によると、1856年は大風雨(死者数は地震時の1/10にも)。
1857年はインフルエンザの流行。1868年はコレラが蔓延(3万人超の死者が出て、震災をはるかに上回る)。そして1862年ははしかが大流行といった案配です。 揺れ動いたのは大地ばかりではありません。政治・経済的にも大変動があり、1858年の日米修好条約調印、1859年の安政の大獄、1860年の桜田門外の変、1863年の長州戦争(長州の外国船攻撃)と続きます。
(浅川嘉富より引用)

太陽の活性化が人間活動に直接、間接に関係しているのはよく言われていることだと思います。その太陽の活動が12年から始まるという事である。来年になればどのような事態が発生するか分からないが、何らかの影響があるのではないかと考えられる。フレアーが発生すれば、電力関係がストップしてしまう。そうなると原発の冷却装置が稼働しなくなる恐れがある。福島どころの事態ではなくなるのではないかと心配が募る。

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