2010年も後、6日(26日現在)で終わりを迎えようとしている。この1年を振り返る事にした。昨年8月末で京都のSワークを退職し、9月よりH先生のご配慮で今の職場に勤務している。あれから1年3ヶ月が経過した。2010年のスケジュール表を横に置きこの一年を振り返えりたいと思う。
2009年10月13日よりK物センターの方に変わり、1年3ヶ月が経過した。1ヶ月程はDの里で施設の仕事をさせていただき、支援員として仕事をさせていただきました。その後は「K物センターに移り、障害者の人たちと一緒に仕事をさせていただいています。最初の数ヶ月間は、足腰が痛くて続けられるのかと、ふと不安がよぎったりしましたが、慣れない仕事と言うこともあるあるけれど、以前は座ってする仕事がほとんどだったので、足腰が慣れるまでは時間がかかる始末でした。
朝が以前より早く起きることになったのも、最初は辛く感じました。京都の時は、始業時間が9時からなので、7時半には家を出れば十分間に合いましたが、今の職場は8時15からなので、午前6時には起床して、出勤しなければならない。また土曜日は送迎もあるので、6時前には起床して、Tの郷まで行くことになる。慣れるまでは時間がかかりました。今は普通に起床することが出来るようになりました。
1月は行きつけの居酒屋のお母さんが腰の手術をするというので、何度か見舞いに行きました。それからは、その店が閉店状態になり、行きつけの店が一つ減ってしまいました。7月には退院されましたが、まだ足腰が痛いと言うことで、店の方はまだ閉店状態である。また、土曜日の送迎についても友人のTさんに月2回の送迎をお願いをし、H先生の了解もいただき今も続けてもらっています。
2月は、誕生日月、26日で53歳になり、2月は逃げるという月ですので、あっという間に過ぎ去ってしまいました。久しぶりに日帰りでスキーに出かけたのも、この月です。
3月は長男の卒業式、就職先も決まらないまま卒業することになり、親として不安を覚えましたが、今のご時世、卒業生でも就職先が見つからないまま卒業する人が多いと聞き、諦め半分、次の仕事を親として見つけなければならいと思いました。捻挫もしたのもこの月です。妻の足を踏み、4日程仕事を休む羽目になりました。ベトナムからはS氏が日本に帰国するというので、歓迎会を鶴橋で開催しました。多くのメンバーが集まり、わいわいと話に花が咲きました。この月より有給が発生する。10日間の有給。
4月は和歌山で備長炭を焼いている、知り合いのところへ出かける。その人は、以前Z法人で施設長までやっていた人ですが、退職し和歌山で炭焼き職人として長年修業をし、今年になってようやく釜を持つことが出来るようになり、夫婦で出かけました。夏は蛍が一杯飛び交い、自然豊かなところです。家も新築を建て快適な生活をしていました。釜は家から歩いてすぐ近くにあり、その時は釜は閉じた状態で、備長炭を焼いている最中でした。夕食は鹿の肉や農協から買ってきた食材で夕食をいただきました。個人的にはそのような生活にあこがれがあります。帰りは龍神温泉に入り夕方には自宅に帰宅することが出来ました。K物センターのパートのY氏の息子さんの履歴書をH氏の自宅に届ける、今はグループホームの支援員として勤務している。
長男が知り合いの作業所の非常勤として勤務を始める。
職場のN氏が入院することになり、Y氏とO氏とで見舞いに出かけたのも、この月でした。本人の口から「リンパ癌」であると言われ、数ヶ月間は、治療に専念するという話であった。帰りは3人で近くの居酒屋で一杯やりました。
5月は連休に妻の里である、島根に久しぶりに帰りました。何もなく時間の流れが遅く感じました。
6月は民主党の鳩山首相が辞任し、新しく菅直人首相が誕生する。H先生がDの里の理事長を降り、知り合いの人がDの里の理事長になる。◎藤さんはDの里の評議員であるそうで、本人は評議員を下りたいそうで、私と交替をして欲しいと言われるが、「はい」そうですかという分けにはいかないので、ごまかしながら返事をしてしまいました。参議院選挙も公示されたのもこの月です。
Z法人の事務局長が14日にひき逃げ容疑で逮捕される。そのまま、拘留される。突然の逮捕で本人も驚いたと言うことを友人から聞きました。その後はZ法人を退職される。
7月、参議院選挙の投票日、結果は民主党の敗北でねじれ国会が生じてしまう。また、Mつき施設より7月から職会に出席にして欲しいとFAXがはいる。少し緊張気味に職会に望むが、あまり話の内容が以前勤めていた施設と違うので、少しがっかりしてしまいました。
次男が学校の実習でTの郷へ実習へ出かける。担当した職員から来年の就職のために履歴書を出すように言われたと私に話してくれる。市盲協へ勤務していた人(うつ病の為)休職をしていたが、休職の期限が切れ退職し今は失業中とのこと。友人のI氏と相談しZ法人の非常勤として採用してくれるように話をする。結果的には非常勤として採用される。
月末には夏の一時金が支給される。
8月は、次男が肩の手術をする。以前も手術をしたが、うまくくっついていなく再手術することになる。来年2月には右肩の手術をする予定である。9月にベトナムに行くための打ち合わせと手付け金を支払う。Z法人のN氏が8/2日付で退職される。
9月、9/20~24日まで3名でベトナムに行く。これで6回目の訪越である。ベトナムの友人と親交を深め、初日はS氏の招待で夕食をいただく。2日目はクチへ出かける。3日はメコン河ツァーへ、3日には市内観光、戦争跡博物館、大統領府などを見学をする。
R・レーブの総会が行われるが、詳細は聞いていない。ただ、◎尾長男、◎江さんは退任するとのことである。H氏が社長に就任したと思われる。◎藤さんがK物センターの責任者になる。
福井県にいる友人が大阪に来る。4名で昔話に花が咲く。友人も頭髪が薄くなり、お互いに年を感じてしまう。
10月、妻が一人で田舎へ帰る。おばあちゃんの健康状態が心配で出かける。悪ければ大阪に連れて帰ってくると言って出かける。が、やはり田舎生活がいいようである。
処季会をK物センターのY氏とO氏の3名で大同門で開催する。
次男がUの子施設の面接を受ける。結果は内定が確定する。4月からは施設の寮生活を2年程して仕事をすることになる。児童養護施設なので、色々な子どもが施設に来るので、しっかり勉強もし子どもに寄り添いながら仕事をして欲しいと願う。親の気持ちとしては仕事が内定してホッとしているのが本音である。K福祉会とN福祉会合同の理事会の交流会が開催される。詳細は聞いていないが、将来の合併に向けて話し合いのようである。
ベトナムのS氏が帰国する。神戸の友人宅で泊まると言うことなので、仕事が終わり神戸へ出かける。近くの居酒屋で交流し、翌朝は日本橋に出かけ日本製の中古のパソコンを購入される。ベトナムでもパソコンは高級品で日本円で15万円から20万円するので庶民には、手が出る金額ではない。ベトナムの公務員はの平均給与は2万円~3万円程度なので、パソコン1台が半年分の給与に相当する。日本製のパソコンは人気があるそうで、中国製などは質が悪く人気がないとのことである。S氏はベトナムの友人にパソコンをおみあげとして買って帰ると言っていた。S氏は日本橋のどの店に行けばいいのか分らないので私と友人が同行する。ソフマップで中古品のパソコンが見つかりそれを購入される。
ジャパネットたかたで液晶テレビを2台購入する。支払いは冬のボーナス一括払いになる。私の一時金の半分が代金として消えることになる。
11月福保労60周年に参加する。H氏も参加されていて色々と話をする事が出来た。
中旬にはインフルエンザにかかる、仕事が終わりバスの中で悪寒が走る。電車の中でも寒くて仕方がない。家に帰り体温を測ると39.4℃もあり、そのまま布団に潜り込むが、悪寒が止まらないので、毛布をもう一枚かぶり、寝る。寝る前に頓服を服用して寝る。翌朝は37.4℃まで下がるが、それでも夕方には、39℃まで熱が上がる。2日間高熱でうなされてしまった。
次男の20歳の誕生会を12月にすることになる。2人とも20歳になり親としての責任は果たしたと思っている。
12月、インフルエンザの予防接種をする。以前にインフルエンザにかかり高熱はこりごりである。このブログにも書きましたが、インフルエンザが流行の兆しを見せているようである。接種のまだの人は早い目にすることをお勧めします。
K物センターの職員3名で忘年会。テッサの鍋で開催する。少し飲み過ぎたのか、足がふらつき、だいぶ酔ったようである。仕事の疲れもあるかも知れない。また、3名で新年会でも計画することになるかも知れない。
長年愛用していた眼鏡が一部破損する修理を出し、以前使っていた眼鏡を代用として使用する。
長男の就職の件で、知り合いの施設長に連絡を入れる。来年は2名の募集をするとのこと、来年1/7日には施設見学兼履歴書を持参し、次回には面接を受けることになる。出来れば正職として採用されるように願うばかりである。12月中旬に冬の一時金が支給される。妻の一時金も同じ日に出ているが、金額は聞いていない。聞く気もしない。
久しぶりに映画の鑑賞に行く「武士の家計簿」で、お客さんは年配の方ばかりで、私は一人で映画を見ている。
今年最後の墓参りにも出かけた、長男、妻の三名での墓参りである。今年の御礼と来年も健康で生活できるように手を合わせ帰宅する。
介護者の会に参加する。介護のをしている人の会であるが、介護の話はそこそこに、飲み会が本来の目的か、それとも日頃の介護の疲れを取るために集まっているのか、どういう分けか私も呼ばれる、友人がいるので声がかかるので参加することになる。
年末年始は、妙高高原へスキーへ出かける。3年ぶりである。クリスマス寒波で積雪も十分のようである。
という、1年であった。来年はどんな年になるのか分らないが、健康で仕事やお酒が飲めれば言うことなし。友人も4月には退職をししばらくは失業保険で生計を立てるとのこと、その後は年金で暮らすと言うが、何かの仕事の着くとは思うが、働くなら私の下で働きたいと言っている。ベトナムにも行きたいと考えている。まぁ、来年もぼちぼち、やろかという気持ちでやるしかないかと思っている。
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2010年12月26日日曜日
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