1940年4月、日本の陸軍航空技術研究所所長の安田氏中将が、部下の鈴木中佐に対して、原爆の製造が可能かどうか調査するように命じ、同年10月には鈴木中佐は東京帝国大学の学者と相談し調査を進め、原爆の製造は理論的には可能であるというレポートを提出していました。当時の日本の科学技術の水準も高かったことを証明するものです。理化学研究所の仁科氏は1943年1月にウラン235を濃縮すればいいと報告書をまとめ、研究から2年もかかっていました。
この報告に基づき陸軍研究所は直轄研究として原爆の製造を開始されましたが、1945年4月の東京大空襲で研究所が焼失し実験は中止に追い込まれました。
海軍も独自の研究を、京都帝国大学で荒勝氏を中心に原爆の製造の研究を行っていましたが、1945年8月の敗戦を迎え、原爆の研究は設計段階で中止に追い込まれてました。
陸軍と海軍が合同で原爆の研究を国家プロジェクトとして、行っていれば米国より早く原爆の製造が出来ていたかもしれません。日本は縦割りの組織で行われたことが、米国に遅れを取ったという事になります。
日本の研究の弱点は、縦割り組織での研究という弱点を今も持っている。iPS細胞などの研究は縦割り行政を壁を無くし、オールジャパン体制で研究を進める、山中伸弥教授の考え方は、理にかなっている考え方であると思う。
米国ではマンハッタン計画という、国家プロジェクトで原爆の研究を行い、日本よりも先に原爆の製造に成功しました。米国と日本の違いは国家プロジェクトで研究していたことで、日本は個人的な研究として行ったことが原爆製造の違いがあります。
戦前でも原爆の製造は可能だということは、今の日本の技術からすれば製造は可能だという事になる。中国に対抗するためにも、原爆は水爆はいつでも製造できるという事になる。
国民的世論形成がなければ、作ることは難しいことは分かるが、中国と対抗するために必要ならば水爆も持たなければならないという世論形成が出来れば、日本も核武装の選択も可能になる。
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2012年11月25日日曜日
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