2010年11月12日金曜日

S施設へ入寮された方の手記-2

私がk市にあるSホームの施設長をしていた時に、入寮された方の手記の№2です。

電灯の明るさに気持ちも晴れやか、初めて眠る布団の暖かさ、我に返り、昔の我が家の家族の顔を思い出した。約3年前に、家庭は「崩壊」してしまった。悔しさと子どもにかけた、すまない気持ちとで「涙」が出てきた。
 自分の起こした苦しさと、どうにもならない現状を情けなく思う。福祉の職員の方の力を頂きありがたく感謝の心で一杯です。
今日は、朝からSホームの近所のJリハビリテーション病院に、3年ぶりの診察で、病院でレントゲン、視力、尿など、少し不安もあったが、今のところ体の異常はなく、お尻に「出来物」が2つあるぐらいで、生活する上では心配いらない。
両親から頂いた体、61歳まで健康体で過ごさせていただいている事に深く感謝しています。明日は、H山に出向いてお墓参りをさせていただきます。(O谷祖廟分骨で永代供養)
大谷祖廟、両親の眠るお墓が設置してある。H山、Y神社へ、高台まで静かな山の高台である。「永代供養」をさせていただいているので、現在はE前市Y養寺の団家である。お墓の前で線香をさせていただき、手を合わせると両親の顔を思い出して涙が出てきた。今、我が家の家庭愛を無くした辛さと、子どもにすまない気持ちで一杯で情けない自分を感じました。
帰りに坂本龍馬、中岡慎太郎氏などの銅像を観て、彼等は「日本の近代化」の誓いを立てていたに違いない晴れ姿に見えた。
私自身も年齢61歳、日々、自分を生かして人生を過ごしたい。自分の前には日々変わりゆく時が流れている。
今日も心華寺、研修道場長時代の著者「自分を生かさないで、何の人生か」を開いて読書させていただきました。今日も一日感謝の気持ちをわすれずに、ありがとうございました。
朝、5時40分に目が覚めた。子どもの姿が脳裏をよぎる。父親らしい事を何もしてやれなかった、自分を「顧みる」姿勢がまだ自分の心のあらわれる、自分の過去が空しく思う。ぼんやりと机の壁の正面を見て、何も感じない無然な1日だったのかな。自分が愚か者かもしれない、駄目な親父である・・・情けないなぁ。
3年ぶりにホームから近鉄電車でK市駅まで車窓から「眺める」というより、いろいろ人間模様。社会の中で行動しているんだと、私もN本願寺に手を合わせ、心の安らぎを求める。人生とは何の為に生きていくのか、目標をしっかりと持って、自分の価値観で生き抜く事を学ぶ次第である。
朝からJリハビリテーション病院へ、9時過ぎに到着。十人十色というけれど、患者の8割は年配の方に見えた。人間年を取ると動作も緩慢になり、鈍くなるものである。介護を必要とする人や、車いすの方など病気になると覇気が無くなり弱々しいものだ。
待合室のテレビに国会審議が放映されていた。呼び出しの間、テレビを観ていると、不景気で派遣切りの労働者、生活資金等々、内閣総理大臣の支持率まで落ち込んでいる。近況、暗いトンネルから少しずつ明かりが見えそうな春であって欲しいものだ。病院の職員、看護士、ウイルスに負けないように対応を取っている状態。一寸先は闇、我が身の体も支持率ゼロにならないように頑張りたいものだ。
午後から散髪後、面接に。外部からの社会奉仕に活動してくれる人が訪問してくれました。散髪のハサミを入れてもらった時、少しは社会人になれるかなと、喜び半分、今まで自己流でやっていた(約3年間)から、散った髪も、白髪交じりで、これからは白でいい黒にはなりたくない、平凡な道を歩けるように進みたいものだ。
ケースワーカーの面接や女性の相談員の人も初めてで、色々な分野で活動している姿に「娘」の思いが重なり感無量でした。
早朝からN本願寺に参りに行き、足を運ぶ事3時間余り。色々な景色、人の姿、バス、電車、バイク、自転車、その他目に映ったものが思い出される。境内のお堂の中の何体もの仏様の顔が怒って指図しているように見えました。昼からは区役所に寄って返ってきたが、今日は一日平凡な日であった。
新聞を読んで、東京、横浜等では、憲法反対のでも、片方は賛成のデモと。私ながら感じ入るところは、昭和18年~21年ぐらいが戦争という、血肉の果てに領土の奪い合い、化学兵器と称して、原爆投下と人間魚雷から原子力(核兵器)と。
江戸末期から幕末からは、想像も出来ない、スピードの近代化政策であった。戦後の日本の高度経済成長である。今日の源も、戦争に召集礼状で呼び出された、十代の若者達、日本の国を守るために勇敢に、国を思えばこそ、無惨な死に至る。血肉分けたる写真など無くなって欲しい。今の日本の姿も、例えば、沖縄を出発して北海道宗谷岬までの航海に出た。海に漂う波間に浮き沈みして、目的地の設定もないまま、航海している姿に見えた。
麻生内閣の支持率も最低に、日本の国は行くすえ定かでない、定額給付金、暗闇の航路先は濃霧警報中の突進で不安定な船である。
ある著者の豊田佐吉(トヨタ自動車創始者)の「自分のやった事は、まだやる事の1/100に過ぎない」と思ったそうだが、今は派遣切り、労働者(非・正)勤労者までもが、不安の世の中に生活安定を求めている。
アメリカの成功者、トム・モナハン(ピザショップ)は言っています。DO.IT.NOW(今すぐにやれ)。
麻生日本丸も波間に傾き掛けた船を、何とか正常に戻そうと踏ん張っているが、その足を引っ張る大臣が存在する。日本の大臣たる者、公務で海外に行き、二日酔いで日本の恥をさらすようでは、大臣の資格はないといわなければならないだろう。
日本経済のこの不景気の最中に大臣を兼任するような政治状況では、まだまだ暗くトンネルの中を入ったまま、明かりが見えてこない。国民も黙ってていいのか、呆れてみているだけでは駄目である。何事に於いても、国民の願いであればその方向に政治の舵を切り替えなければならないのだが、早く解散総選挙を行い国民の真を問わなければ混迷の日本国になりかねない。政権が変われば文殊の知恵が浮かぶかもしれない。
国民も頑張る、国も頑張る、日本の不景気から明かりが一日も早く訪れる事を願わずにいられない。
読書に時間を使った。朝の日課にしている3時間のジョギング、T寺~N本願寺の往復と、今日は日祭日明けで、マスク姿、通勤者またはバスから降りる人もマスク姿で鞄を持参している、いつもの光景である。交通網も車、バス、自転車、バイク、タクシー等々みんな目的地である職場について仕事に頑張る事であろう。
何事も行動するにも体力、健康が一番、今日を生かされている事に感謝せねばならない。また家の事を願って両手を合わせ帰り道。
ハローワークに仕事の検索に行きました。61歳の年齢と仕事を探しに、パソコンサイトを見ましたが、面接までには至りませんでした。自立の姿がそこに見えたけれども、今後に生かし、掲示板の張り紙なども見て来ました。昔は職業安定所、今はハローワークと年寄りには何の事かさっぱり分かりません。状況も未だ「春眠暁を覚えず」不景気で、混迷する世界経済の中、耐えて耐えて我慢の日々です。
今日初めて高齢者会館へ、、炊きだし実施されるとのことで、初参加させていただきました。京都市のこの場所で集まって、来た人達のほとんどがホームレスで生活したり、車の中で、路上で生活したりと、中には別の人もいるかもしれませんが。
健康で、貧しくても、リサイクル(空き缶、金属等々)で生活し、雨風をしのいでいる者にとって、心の支えになりました。衣類などの提供もいただき感謝の念に耐えません。出来るだけ早く自立できるように自分を戒める。自分の心の向上を図って、日々の不満、若しくは愚痴、社会に対する敵対感を捨て、自分は何が出来るのか考えさせられた一日でした。感謝、感謝です。
朝の読売新聞を読んで、アメリカのヒラリー国務長官が就任後、最初に日本を訪問されるとありました。今、自動車産業は不況の大波をかぶり全世界を巻き込んでいます。それに輪を掛けるように派遣者社員のリストラ、契約打ち切りと、とどまるところではありません。今だ日本の景気の上昇は目に見えず、起爆剤としての給付金もどのような経済効果があるか、疑問視される識者もいるとお聞きしています。
昼過ぎに、読売新聞に出ていた学校歴史博物館に歩みを運びました。25年から50年の写真を見て、少年の頃を思い出しました。漫画雑誌では、冒険王、少年画報、女の子には「なかよし」など一冊。この本では赤同鈴の助、矢車剣、鉄人28号など、今覚えば、天才バカボンの赤塚不二夫さん、遠藤周作さん、横山光輝さんなど苦労して一流になった人ばかり、昔の職人気質そのものが生活する為にはそれぞれの道で成功された。
今思えば、田舎の豆電球の中で育った若者が志し果たして、いつか帰る、その夢は希望と青春の晴れ姿だったかもしれません。
学校運営そのもの自体、団塊の時代の我々も、もう61歳、「幾月は人を待たず過ぎたるわ、我に帰らん」。今書き記していると、昔の少年時代の恋愛は好きだけど言葉に言えず、手をつないで帰ろう者なら厳しく怒られた時代。今思えば卒業式の時くらいは、手を握って帰りたかった。
その時代の映画スターでは、大川橋蔵、中村金之助、千原しのぶ、日活では小林旭、石原裕次郎等々、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家等。NHKのゼスチャー柳家金五郎、水ノ江滝子。朝日放送のてなもんや三度笠、白木みのる、藤田まことなどなど。白黒テレビ時代の、プロレスの力道山、相撲の栃錦、若乃花。プロ野球の長島、王、星野・・・等々の有名野球選手、巨人:南海、巨人:西鉄戦は忘れません。
この間も張本さんが新聞で言っていました。契約金を新聞紙に包んで兄と二人で列車に乗って帰ったと言いましたが、今の時代も何千万、何億とお金が動く時代、プロになった以上、格言通り、「虎は死しても、皮は残す」一世を風びするスターが、子ども達に夢を与える時代、石川遼、ゴルフのように十代でもやれる、彼の親は立派であると思う。この子ありて親思う。何事も目標が出来れば、それに向かって邁進する、挫折をしない、余分な事は考えない。
強い意志を持って頑張りたいものだ、20年から50年の歩み皆それぞれ、夢も希望も青春も辛酸な青春時代を思い出した一時でした。
夕方から、F見のハローワークに行く。ハローワークに取り付けてある閲覧求人募集は、年齢制限あるいは、通勤と住み込みパート、ガードマン、ホテル、病院等の掃除等、それぞれも数が少なく、時代の流れか若年層採用優先が多く。高齢者には辛い閲覧だった。

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