2010年11月12日金曜日

Sホーム時代の思い出

今から約3年前、k市のN村さんの紹介でSホームに就職しました。Z法人を辞めてハローワーク通いをしていた時、声がかかりSホームの寮長として行くことになりました。
Sホームは定員12名ですべての方が、ホームレスの人たちでアルミ缶を集めて生計を立てていた人ばかりです。ホームレスの人たちが市役所に行き、救済をお願いすると、K市は一時保護施設へ入所させ、就職の斡旋や治療などを施し、そこから自立していく人もいますが、ほとんどの人たちはSホームへ来ることになります。私が在籍していた時、部屋が空くことは一度もありませんでした。中にはK市の旅館で働いていて、同僚の給与をねこばばし、そのまま旅館を飛び出しホームレスになった人もいたり、暴力団の人もいました。全身入れ墨をいれ夏場でも長袖を着ていました。
就職した年末には、定員を12から15名に引き上げ、多くの人を受けられるようにしましたが、すぐに部屋は定員一杯になりました。年末にはK市の河川敷の橋の下でホームレス生活をしている人の訪問活動や石鹸、ホカロン、お餅などを配って歩いたりもしました。
K市の各区役所からの問い合わせは、毎日ありいつ部屋が空くかという問い合わせで、今のところ部屋が空くことはありませんという返事をしていました。
このSホームの費用は、入寮者の人たちが受給している、生活保護費から必要な費用をいただくのですが、11.5万円もの費用がかかります。保護費は12.5万円なので、ほとんどがSホームの利用料に消えてなくなります。たばこ代に消えてなくなる程度しか所持金はないことになります。
3食は保障されているのですが、たまには違うものを食べたいと思うのは、当たり前のことですが、それを買うことも困難な状況も生まれます。
保護費をいただきに区役所に行くと、本人が受け取ることになるのですが、頂いたその場で、私たちの目を盗みそのまま逃亡してしまう人もいました。その時だけは、唖然としてしまいました。
中には、真面目にハローワーク通いをされ、警備会社やバス会社の清掃の仕事に就かれたりと努力をしている人もいました。
入所者の中には、知的障害者、統合失調症、人格障害などの人たちの入所が増えてきては、病院の手配や付き添ったりしたものです。
Sホームには10ヶ月ほど在籍しました。そこを辞める理由の一つは貧困ビジネスがマスコミで報道され、私も自分のやっている仕事が貧困ビジネスではないかと思うようになり、何度か悩んだり、N村さんとも相談したりしたりしましたが、結果的には辞めることを選択してしまいました。
今は、Sホームのはどうなっているのかは知りませんが、きっと満室の状態が続いているのではないかと思います。

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