アルボムッレ・スマナサーラの本を読んで心の持ち方次第で、人生のあり方が変わるという教えを学びました。人間は生まれて「死ぬために生きている」生老病死である。若い時は死ぬことなど、頭の中の片隅にもありませんでしたが、50歳を過ぎる頃になると、「死」というものを意識しだし、病気やけがなどを気にしたりする。そのたびに心が乱れ、イライラしたりすることもある。
死ぬことは自然の法則であり、生老病死をそのまま真理として理解しておき、心穏やかになり、落ち着いた生活ができることになる。イライラや嫉妬、嫉み葛藤に悩むこともなくなり充実した人生を送ることができる。生まれ落ちてから誰もこの法則から逃げることは不可能である。
身体は、単なる借り物です。生まれる時は両親の遺伝子を借りて生まれ落ちました。その後は地球からの物質的な栄養物で身体が大きくなり、要するにこの身体は地球からの借り物でしかないので、死ぬ時はこの身体を地球・宇宙にお返しすると言うだけのものである。
人間は、何も持ってあの世に行くことはできません。お金や宝石、絵画、名誉、地位などいくら持って行きたいと思っても不可能なことです。この身体を地球にお返しするするしかないのです。
年をとれば身体能力が落ちてきます。若い頃のように頭の回転が悪くなり、目が見えなくなり、耳が遠くなったりしてきます。それをそのまま受け入れて、今の自分の身体を認めることが大切であり、年双方の生き方が心がけることが必要だという。身体は衰えても心は歳をとりません。心はいつも若く生きていくだけでいいのだと言うことです。
孤独を恐れてはならないと言っています。人間が社会的に必要な存在とされる時間は限られています。会社で出世して定年退職すれば、その会社との関係は絶たれてしまいます。
孤独になるまいとするよりも、孤独になることを前提に人生を考えていくことが必要であると言っています。気の合う友人は一人居れば十分であるという、沢山の友人が居ていろいろな情報が入ってきても、無駄な情報の方が多いので、無駄な情報や物に執着しない生き方をしなければならない。
この本は私にとって見れば、「座右の本」です。このような生き方ができるような人間になりたいと思っているが、心穏やかに生きていければと思っているが。難しいことは百も承知であるが、半歩でもそのような生き方ができれば、違う生き方ができるかもしれない。
ぼちぼちと生きているので、焦らず、急がず、迷わず、自分の時計で生きていく、「ぼちぼち、やろか」というタイトルにしました。 記載事項は、個人の出来事や経験、本の感想、個人的に感じたことなど、また、インターネットや新聞等で気になるニュースなどからも引用させていただいています。判断は自己責任でお願いします。
2012年7月22日日曜日
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